036/365 永久平和

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今日は中国残留邦人の支援をなさっている根田さんをインタビュー。

忙しい最中、お時間いただき本当に申し訳なかったです。

ですが、やっぱり撮らせていただいて本当に良かった。

残すべきだと思った。

もちろん根田さんの支援団体「同路人」を通して、

秋田の中国残留孤児の方々が歩んできた道のりや

根田さんの活動をご存知の方は多いと思うけれど、

私たちぐらいの年代はよくわからないかもしれない。

だから、

少なくとも私の知り合いぐらいは見てくれたらいいなと願う。

誰か1人でもいいから、心に何か残ってくれたら。

 

兄弟に売られてしまった人、

集団自決で生き残り売られてしまった人、

殴られて育った人‥

大きくなってからも

中国では日本人とイジメられ、

日本では中国人とイジメられ。

そんな風に

戦争に人生を引き裂かれてしまった人たちが、

目の前で穏やかにお茶を飲んでいる。

沢山の苦労と引き換えに得た慈愛のようなものの気配。

目に見えない何かを赦すことでしかたどり着けなかった境地にいる気配。

 

最初は言葉も通じなくぎこちなかったのに、

何度か顔合わせていくうちにお互い慣れてきて、

先日の太田町の火祭りでは身振り手振りで会話するようになり。

中国語で数字を教えてもらいました。

イーアールサン‥‥なんだっけな、もう忘れてる💦

指の数え方も違うから頭が混乱。

同じ言葉でも音の上げ下げで4パターンの意味になるそうで。

私がたどたどしい発音で繰り返すと

みんなから総ツッコミ入り、

ばっちりだとみんな喜ぶ。

嬉しそうに笑う。

なんだか懐かしくて泣けてきた。

爺ちゃんと婆ちゃん思い出した。

 

辛いことがたくさんあった人生だけど、

今が本当に幸せだと思えるんだそう。

そうなるまで支えてきた根田さんの苦労もはかりしれない。

根田さんの人生にも想いを馳せた1日でした。

 

同行の和〜夢のメンバーも、色んな想いを持ち帰ったようでした。

スムーズな進行に助けられました。

そして根田さん、本当に

ありがとうございました。

 

 

 

035/365 心の灯

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98%レイアウトを任せていただいている別冊トラウトステージという雑誌が、今月25日に発売になります。そのため毎日缶詰状態でにっちもさっちも行かない中、町内プロジェクトのイベントが17日に迫り…しかしまだ告知すらしていない状態。そして着物アレンジ和~夢がケーブルテレビに投稿している番組「わあむちゃんねる」の編集もまだしていない…。そちらも締め切りが15日ころと、いろんなものが2月中旬をめどに渦巻いており…いつもなら過呼吸もの…が、体力が落ち、そんなファイトすらない状態。

伸びきったゴム状態で何も感じなくなってしまっている…💦

わずかなエネルギーを最大利用するためにロー状態で長持ちさせてる感じ。

とても冷静で逆に怖い。。。。

どうあがいても無駄。一つ一つ粛々と…。

 

 

残り40ページを明日明後日で完成させ、7日には雪まつりのチラシを完成させ、町内子供会のおうちに一件一件手配り。

 

チラシ配布は手伝ってくれる人がいないかもしれない…

声かけて断られたら傷つくからもう自分でやっちゃおうかな…というレベル。

それじゃ意味なし…なんですが、みんな本当に忙しそうだよね。

みんな本当に忙しい。だから気が引ける。

普段からも迷惑かけるなとか、迷惑かけないようにしようとか…

子供たちすら言っている。なんとなく寂しい。

 

そしてこんなに切羽詰まっていても手伝って~と甘えられない自分にも疑問。

言えよ、ゆうき出せよ。なんもかわんねーぞ。

 

で。

今日はレイアウトの合間に、近所の中学生が顔出してくれて昼ご飯を一緒に食べ。

元気そうな姿にホッ。

最近調子悪そうだったので、思ったより笑顔で心底ホッ。

真剣な話と、くだらない話して笑って帰っていった。

フッと思い付き、17日手伝ってくんない?と聞いてみたら、いいですよと二つ返事。

ほんとにうれしかった。

で。

前の子供会の仲間にも聞いてみたら「いついうかと思いながら待ってたよ」と返信が。

助けてって言ってもらったほうが助かるんだよ、と。

で。

町内会長も多忙ながら、予算をやりくり検討してくださるとのこと。

で。

ちびこの幼馴染のお父さん一名も、設営手伝ってくれるとのこと。

で。

そして、町内のお母さん2名が読み聞かせをしてくださるとのこと。

 

怖がってないでさっさと動けばよかった~~(´;ω;`)ウッ…

 

 

いろんな人の手を借りながら、

なんのためにそれをやるのか目的だけ見つめて、

とにかくあと2週間をなんとか淡々と乗り切ろう。

 

自分だけじゃないんだよね、きっと。

みんなそれぞれ大変な中、動いてくれてたり、待っていてくれてたり。

手伝いたくても手伝えなかったり、いっぱいいっぱいだったり。

今は自分を大事にしたかったり。

だから、できることでできるだけのことをしよう。

理想はさておき、かかわる方々みんなにとって無理ない範囲でいこう。

 

今日から節入りかあ。今日の流れからすると、

これから次の節までは「無理しない、させない」ってのがテーマみたいだなあ。

自分にもひとにも。

そんなことを思いました。

 

まあでも雪まつりで子供やおじいちゃん、おばあちゃんがにこにこ笑ってくれたら、

本が売れて担当や雑誌社さんがにこにこ笑ってくれたら、

番組を見た、たったひとりの人でいいから演者の行動に何か感銘を受けてくれたら。

それだけで全部報われる。

 

何があってもまごころだけでいられますか?

そんなお試しの2週間。

 

がんばろ。

 

030/365 明日は満月

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明日、満月ですか。

秋田では見えないかもしれないけど、

雲の向こうには、きっと。

こんな感じでいるんでしょう。

今日は、お世話になってる方の手伝いで、

折り紙を沢山おりました。

真心を込めて…と言いたいとこですが、

12時半までにある程度完成させたい、

明日、自分は来れないから2人が大変になる

だとすれば、自分の力量ではこの部分の担当だな、

手が効く人が難しいものをやり、

私はこの土台あたりをかなりの数作れば

全体の作業効率がいいなあ、、、

などと、折り紙を誰のためにどうして作るのか、

全然遠い意識でありました。

人と何かするとき、

そういう冷めてるところがあるなあ。

でも明日、飾り付けする方々は、

幸せな思いを味わうのですよ、

きゃーかわいい!とか言って和気藹々と。

いつも楽しみながら頑張ってきたご褒美。

それが嬉しい私なのでした。

あ、去年、

伊藤さんの書くものは、嘘くさい。綺麗事。

と、言われました。

だろうなあと思いました。

炎上系の人だったので(^^)

何が言いたいのかよくわかりましたが。

なんて答えたんだっけ。

私はロクでもない人間なので、

それは重々わかっているので、

だから自分から出すときにはせめて

一番綺麗なものを差し出したい。

心の中にはそうじゃないものも山のようにあるけど、

書くときは一番綺麗なものを選択する自分でいたい。

それは自由選択ですよね。

とか。

自分をどう見せるか頭を使っていたら

もっとマシにしてるでしょうな。

仕事の宣伝しようと思って書き始めたのに、

全然ビジネスライクになりません。

むしろベクトルは全て逆へ💦💦

ベクトルが逆といえば、、、

目標に向かって夢中に走ってきた間、

周りの友達を相手に仕事する感覚でいたら、

本当のお客様はそこにはいないと気づいた。

私のことを全く知らない人がお客様。

その人に何が提供できるか。

食べるための仕事と同様。

それならもうとっくにやっていた…

自分が輝くためにじゃない、

当たり前にお客様に何ができるか、だった。

私の場合、イマココで、振り出しに戻る。

でも、おなじようでいて出発地点とは全然違う。

何も変わってないようでいて全然違う。

頭でわかってることを経験で裏打ちしていくたび、

出逢いがある。流れが変わる。

自分の中で螺旋を描くように何かが巡る。

テーマはいつもおなじ。

知らなかった自分を知る。

私は何も知らないことを知る。

幼稚な心は他人を見下すことで保たれて、

己から目をそらす。

そんな自分や人の心を知りました。

私は何もわかっていない。

まだまだ何も。

だから身体は疲れていても、心は全然なのだね。

今日何が起きるか、

何も考えてなかった子供の頃みたいです。

二十歳に戻してあげると言われても断る。

子供の頃より今が幸せ。

時々誰かが現れて自分の物語を聞かせてくれる。

私の知らない物語を。

それが私の幸せですなあ。

027/365 金にならない仕事、金になる仕事

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ジャーキングスピリット5発売中です! すみません、いきなり宣伝でした。

さて。話は変わって、昔の知り合いに年賀状を出したら、差出人が奥様の名前でハガキが来たので嫌な予感。

やはり訃報でした。昨年の10月24日永眠、69歳。

私が旦那と一度別れ、母子家庭で奮闘していたころにお世話になった方でした。

知らない街の慣れない職場で孤立していた時、

後輩として60歳の彼が私の下につきました。

動画制作を毎日教えていくうちに、子沢山で優しい彼の性格に触れて私も落ち着き、壁が消えたのか知らぬ間に職場のみんなと仲良くなっていき。

定年を少し早めて夢だった動画制作にチャレンジしたのだと、食らいつくように質問してきたし、式場や現場にお金にならないのについてきてくれました。

ある披露宴の最中、ハケ先を間違えて高砂の屏風の裏に迷い込みました。2人で息を潜めて体育座りで披露宴が終わるのを待ちました。

ポケットから飴玉を取り出し、私に差し出しながら、これはもう仕方ないですね(^^)と笑顔を向けられると、まあいっか、という気持ちになりました。新郎新婦には申し訳なかったけども…。彼には人を緩ませる何かがありました。

一番の思い出は私が誰かのことを怒っていたとき。

わたしは子供のために生活のためにお金を稼ぐ。そのために必死なのに、お金にならないことで自己実現しようとしてる人間が許せないと。そんなことより家族を養うことの方が大事なんじゃないのか?と。

彼が聞いてどう思うか、全く考えもせず発言しました。自分が許せないと思った相手しか見えてなかったし、彼もまた、私が朝8時に寝て昼12時に起き、また翌朝8時まで子供の面倒を見ながら動画制作していることをよく理解していたのだと思います。

だから静かな声でまっすぐ私を見て言った。

伊藤さんは、お金になる仕事だけが仕事だと思いますか?

いつもと違う調子だったということだけはずっと覚えていたけれど、意味がわかるのにこんなにも時間がかかってしまいました。

正直、彼は動画制作、あんまり上手じゃなかった。

でも彼がチームに入ってきたことで、チームに結束が生まれたこと、みんなが優しくなって助け合うようになったこと。元職場では偉い人として肩書きを持って、長年家族を養ってきた彼にとって、好きなことで新郎新婦に喜んでもらえるということはお金じゃない喜びだったんだろうなあということも。

…仕事って。。。。。

私はいま、食うための仕事と、資質を最大限に生かした仕事、母親業、近所のみんなと力合わせる仕事、色々持ってはじめて、彼の言葉の意味を感じてる訳ですが。

役に立ちたい気持ち、役に立てる、

食わせる、食うために与えてもらう、

力を合わせる、喜んでもらう、対価をいただく。

全部1人じゃできないことなんだなあ。

愛することすらも。。。

今ならいろんな話できたのになあ。そんな気持ちでいっぱいです。

沢山のものをありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

ついつい当時に戻って先輩みたいな言い方で書いちゃったけど、いつもいつも守られていたことだけはちゃんとわかっております。本当にありがとうございました。

そうね、どうせやるなら、少しでもお客様が喜ぶように。

少しでもクライアントの売り上げになるように。

ライフヒストリーマッシュルームの仕事とは 別な仕事ですが、年始からバタバタしていたDVD、

ジャーキングスピリット5、発売しました!

問い合わせの電話が殺到した模様です。

何はともあれ、ホッとしています。

偉知郎ファンを楽しませることができるよう、

もっともっと、学びます!

021/365


椎名林檎 – 人生は夢だらけ

 

濃い一週間でした。

 

過去や現在、未来が交差し連鎖していくような。

新旧入り乱れて人に会い、過去からの積み重ねたものがある到達点に。

そこへ自分以外の人のいろんな歴史も入り交じり、

違いもつながりも、深く己のエッジを浮き立たせるような。

まあそんな印象的な一週間でございました。

 

 

今日も胸に音たてる瞬間がありました。

 

枯れてしまった木を伐採した写真を見ながら

ある人が言った言葉。

 

 

なぜ切るんだろうね。

哀れな姿をそのまま残せばいいのに。

そしてみんなで考えればいい。

切ってしまえばなかったことになる。

それは思考停止を生み出す。

なかったことにして見栄えをよくすることで何の得がある?

何も生まれない。

どうしてこうなってしまったのか、

どうしたら、こういうことが起きなくなるか、

考えることからすべて始まるのに。

 

なんでも時間をかけることさ。

子供のように考えるんだよ。

どうして?

なぜ?

どうしたら?

仮説をたて実験して、失敗して答えにたどり着く。

一見遠回りに見える、それが一番の近道なんだと私は思うんだ。

 

この生活が楽しくてたまらない。

いつまでもこうして生きていたい。

すべてがここにある。

時々、運悪く迷い込んでくる人に出会い、

その人とどこまでの付き合いになるか、実験のようで面白い。

自分は純粋すぎるから、人からたくさん嫌われるけれども

それでも人として相手へのリスペクトは絶対に忘れない。

 

 

そんな熱く語るそばで奥様が旦那様を見つめてほほ笑む。

女神のように。愛しくてたまらない子供を見るように。

ああ、子供のころに見たかったものは、これだ。

 

尊厳。

 

自分を愛するがごとく、

相手も世界も、この世の生き物も川も山も海も…

すべての尊厳を侵さない。

 

 

わたし、もっとよく考えよう。

もっともっとよく。

現実ではこの足で世界に立ち向かうように立ち、

転んだり立ち上がったり、

歩きながら心の奥を深く旅しよう。

多少の傷なら誰の心にもある、もちろん私のこころにも。

傷に貼ったばんそうこうをべりっとはがした奥に

潜むように拡がる湖のような深い何か。

そのことをもっとよく考えよう。

 

自分にとっての生きるということの本来を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きのこの還る場所 018/365

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森に住んでるご夫婦から連絡があり、急きょ車をとばしました。

パソコンのSOSでした。

お二人に会わせたい人がいるんです…と連絡しようと思っていたので願ったりかなったり。そのお話もしつつ、お二人の生活や活動をこれから数年かけて撮らせていただけませんか?とお願いしてみたところ思いっきりお断りされ…。そんなことよりちょくちょく遊びに来てください。一緒に森で遊びましょう。わたし達にはそっちのほうが大事です、と。

 

そうです。わかっています。だけど…と言いかけて躊躇。

まあ想定内でございます。諦めません。何度も伺いますとも。

 

旦那さん、たくさんお話なさる方で…。

伊藤さん、あんたは検察官なみの取り調べ力だね。気づけば全部喋っちゃう。

すごい尋問力だ!

と、からかわれましたが、いやいや、わたし殆ど質問してません、目を見て頷いていただけですよ…笑

 

毎度お会いするたびに、映像が浮かびます。

旦那さんが見ている世界。

加速度を増して壊れていく自然。

嘆き、焦り、憤り…そんなものを抱えながらも、諦めない。恨まない。投げ出さない。

笑顔で次の局面を信じている。

相手がえらい人だろうが、私のような何も知らないものだろうが、態度も変えずまっすぐ、たった一人の深いところに繋がればその周辺に何かが生まれる。それが少しずつ輪になって、いつか奇跡になる。それを信じてお話をなさってる。

全国を走り回り、どれだけの人に会っているかわからない、通り過ぎていく人が多いなか、それでもあきらめず森とともに生きている。

 

木や虫の声、動物の歌、季節の足音、暗闇のたたずまい…。

日が昇り、葉が揺れて、雲が流れ、日が陰り、星や月を眺め、森と遊んでいる。

こんなに楽しいものがあるのに、こんなに豊かなものがあるのに。

けして、失ってはいけないものがあるのに。

なぜ。

 

子供たちを森に案内するとき、絶対に行先も答も遊び方も教えない。

自分で考えて自分で体験して、自分なりの答を出すように見守るその人にわたしは愚問を。

 

世界はこれからどうなってしまうんですか?

たくさんのお喋りがピタッとやみ、その顔には問いかけるような笑みが。

少し黙って、そして言った。

「伊藤さんのこれからが楽しみだね」

 

ああそうか、その答えは自分で見つけ、作っていくしかないのか。

どんな世界にしたいのか、わたしもこの世界で生きているのだから。

 

 

今日もご夫妻の子供みたいに、ご飯をご馳走になって。この二人の前にいるとき、不思議にありのまま。どこの誰かもあまり知らないはずなのに何もかも見通されて。体調を崩している神奈川の娘のことをちらっと考えていたら、無農薬(に近い状態)のリンゴを持たせてくれた。むすめさんに送ってやりなさい、と。

 

自然も人も、あるがままをそのままに愛しなさい。

たとえどんなに醜い自分でも。

たとえ自分を嫌っている相手であっても。

その命の輝きを感じ取れる人間になりなさい。

ありのままの美しさを。

山のものは山のもの、海のものは海のもの。虫は虫、鳥は鳥。

比べることはできない。

 

いつもそう無意識でメッセージ。

そしてまた背中を押されて、わたしは居場所に還る。

子供のころからずっと探してたものを二人のなかに見ていることの奇跡。

 

 

その二人をどう描くか、その方法も探しながら、

でも、いまは頂いている仕事にまい進、まい進!

これから数年かけてオトナになりたいと思っている。

そのうえで自分史上最高に自分に還るつもり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしを忘れないで 015/365

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咲き誇る華やかさ、散り際の潔さから日本では「優美」「精神の美」「純潔」という花言葉を持つ桜。

が、フランスでは「私を忘れないで」という花言葉をもつのだそうです。

Ne m’oubliez pas

なんて読むのかわからんけど…(;'∀') 

 

中学生のとき、大きな川を渡って歩いて40分以上の学校に通っていました。

桜並木でわりと有名な新屋という土地で、春は花びら、初夏は毛虫を避けるため、晴れていても傘をさして歩いたりしていた。わたしだけかも知れませんが。

その後、20才まで新屋という地区で学生生活をまっとうします。

 

高校を出てから、美術系高校の専門課程に入学。本当は歌がやりたかったけど、そこはモラトリアム。時間稼ぎのためにバイト代で授業料が払えるその学校へ。秋大の方々やスタッフというスタジオの方とのバンドを掛け持ちしながら腰掛けの気持ちで通い始めました。今思うと残念な選択です。自分にとっても学校にとっても。

が、そこに通い出した途端、息がつけるというのはこういう感覚か…と思うようになりました

小中高、窮屈だったのが、気づけば不思議な人に囲まれていて。それぞれの個性を絵やデザインにぶつける、それまでとは違うものが求められる世界。ほんとうに自分の魂からそれが出ているのか? 一瞬で周りにバレてしまう。向き合っても向き合っても何も出てこないときの焦り。そんなスランプのときに限って親友がインスピレーション絶好調だったり。その作品をみて完敗し、自分とはなんだ?自分の絵ってなんだ?と考えたり。遊んでばかりのようでいて大事なことを考えていた時期。とても濃い2年間を過ごしました。今では通って良かったと思っています。

 

そのときの仲間とは今もつながっています。ただ、輪の中心にいた一人は死にました。

 

亡くなった彼女からもたらされたインスピレーション、イマジネーションは、特別なものでした。彼女が絵を描く姿が本当に好きで魂がワクワクしました。ケンカもいっぱいしたけれど、わたしは目の前で彼女が生きてることが幸せでたまらなかった。不器用でへんてこりん、でもどこか純粋で。いろんなこと抜きに彼女の存在が好きだったのです。彼女のそばにいると自分も息ができる。そんな感覚。

 

死ぬ前に彼女が言いました。

新屋という場所がなんとなく怖いんだよね。

どうしても怖いと言って、卒業以来あまり新屋に足を向けなくなった彼女。なのに嫁ぎ先のおうちのお墓は新屋にあり、彼女は春になるのを待たずに病気発覚から4ヶ月でそのお墓に永眠しました。

 

 

わたしは弔辞を読みました。

遺影を見たらだめだとわかっていたのに、途中でふと見上げてしまった。式場で一度も目に入れないようにしていたのに。遺影の中の彼女は、いつもよりすましていて、普段の彼女っぽくなかったのでした。それも全部含めて言葉にならない感情のかたまりがお腹の底から出てきて、弔辞の途中で涙を流してしまった。嗚咽を必死にこらえて無言で1分。そして何もなかったようにまた読み始めた瞬間の気持ち。

今でも思い出します。最後のお別れを精いっぱいやり遂げたいと思った気持ち。

 

あれから、干支が一回りして数年。

わたしの人生にもいろんなことがありました。その間、彼女からのサインが何度か送られてきました。はじめは弔辞を読んだ夜。彼女はコントラストの激しいグレーの世界で岩の上に座り苦しみ切った顔で私に向かって何かを言いました。そこから点々と段階を踏んで夢の中に現れていましたが、とうとうそんな夢も見なくなった。

 

最後、彼女は笑っていました。明るい空の下、気持ちのいい風に吹かれながら花のようないい匂いをさせて。ふわふわ飛ぶように歩きながらコロコロと笑い、ボブの髪が揺らしながらアホでも見るような顔をしていったのです。

 

「もういいから。もういいんだよ」と。

 

そして笑って消えていった。

 

 

彼女に触発されて描いていた絵も描かなくなり、体の中にあふれていた音楽も長女が生まれてからサッパリ電流が流れず12年以上。

気づけば、手にカメラがあり、写真を撮っています。まったく思いもよらなかった。
そして、誰かの個人的ヒストリーを形にするというこの仕事が残りました。

 

 

他の人にはさっぱりわからない個人的ストーリーだとわかっています。ですが、あの地点を通り過ぎる前の自分と今の自分では180度違う。どんなに戻りたくても戻れない。はしゃぐ自分が永遠に消えたような。それは年とは関係なく。

でもあの地点を通り過ぎたからのいま。
時々、あるんだと思います。出会ったことにより何かが大きく変わってしまう存在や出来事が。

 

 

この10数年、心のどこかで自分だけ幸せになることが赦せず、また失うことが怖くて人を遠ざけてきたけれど、そうではなくてきっと。

 

あなたの人生に幸多からんことを。

ただただそう願ってくれている。

 

これからも人と出会い、どんなストーリーが生まれるのか、死ぬまでに何を交わせられるのか実験しながら生きていく。ただそれだけを繰り返していく。

 

 

あなたの人生に幸多からんことを。

わたしもただただ、出会った人に心からそう思えるように、そんな生き物になれるように。