2019.7.10 赤い彗星

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娘さんの靴が隠されています。

学校から連絡が入ったのが6月。

 

娘からちらっと聞いていた。

違う人の靴箱に自分の靴が入っていたり

別の場所に持ち物が移動していることがあると。

誰がやってるのかわかっていて

本人は気にしてない。

わたしは

仲のいい男子のからかいか、と思ってた。

 

が、先生から話を聞けばもっと事態は深刻。

実は嫌がらせはもう1か月も続いていて

聞き取り調査の結果を聞けば、

からかいなどではなく、

我が子不憫で胸が痛むこと多々、そして

私は許しても周りは許さない、

本人の出来不出来をはっきりと聞かされる。

10年前の長女の時の子育てよりも

子ども同士の中で寛容さがないのを忘れていた。

 

いつかはと予想していたが、今来たか。

と、腹に重たいものが入った。

 

本人も知らなかった、嫌がらせの全てを

本人に話す。

そして周囲がどう思ってるかも全て話す。

まじかーそこまでかーと、受け止める本人。

伝えるのは辛かったが、

しらないままにもしておけない。

そして、気づかないできたことにも

ほんの少しウケた。

 

 

先生は、クラスで話し合いをして

ここで根絶やしをしたい、

そのため、お子さんの名前をクラスで出していいかと。

先生からは、その場でもこれからも

全力で娘を守りたいという意志が感じられた。

そしてクラスの生徒を正しい方向に導く決意も。

それはありがたかった。

 

だけど、何か引っかかる。

クラスのみんなの前で、先生にかばわれて

背中を小さくする娘。

ただ守られるだけの存在でしかないと感じながら

自分のことなのに、自分以外のひとの言葉が飛び交うのを聞くのか。

 

 

娘と話した。

初めて娘と真剣に話したかもしれない。

まっすぐ目を見て聞いた。

あなたはどうしたい?

 

しばらくして、

被害者扱いだけは嫌だと彼女が言った。

 

だとしたら、自分の言葉でみんなに向かって話してみるか?

まっすぐに。自分の気持ちを。

先生じゃなくてあなたが。

 

娘はかなり考えて、目に涙をためて答えた。

「言ってみる。怖いけど言ってみる」

 

 

そのあと娘に、自分の気持ちを話した。

去年も娘はクラスのひとりの男子に毎日罵倒されていて

それがきっかけというわけではなかったけれど

少し学校に行けなくなり、

おさななじみたちとも遊べなくなった。

遊べないというよりも、関係が少しずつ変わってくのに

ついていけなくなったんだと思う。

なんとなく入っていけなくなったことを

認めることもできなくて、考えるのも対処するのもやめて

ただただ二次元や漫画で緩和して

一人で過ごすようになった。

 

時々、クラスのお友達のおうちで遊びに連れてってくれた。

週に一度のバトンでは、

新しくチームに入ってなじめない子を率先して仲間に入れたり

いじけやすい子のそばにいたり、

みんなの輪を保ち、楽しく過ごすようになっていった。

 

 

そんな一年が過ぎ、わたしの心もだいぶ落ち着いたころ

突如、剣道をやると言い出した。

新しくクラスメイトになった子がやっている部活を見に行ったら、

どうしてもやってみたくなったと。

 

運動嫌いなのに、と、こちらは腰が抜けるほど驚いた。

ママ友恐怖症から抜け出せないわたしは、

正直、スポ少だけは勘弁してほしいと思っていたけど

ひとりでダラダラこもる姿を一年見続けたあとだけに

両手あげて賛成した。

 

だから、

お母さんはその時思ったよ。

あなたのなかに、これから目覚めてく

ほんとのあなたがいるんだと。

一年間、逃げて逃げて、だけどそれじゃいけないって

自分で自分を見つけ出そうって

動き出したんだなって。

そして剣道部に入ってすぐに、あなたが言った。

おじいちゃん先生がすごく厳しくて、

でもその先生の中にある「何かに認められたい」って。

そういうものが、これからあなたの柱になっていくんだなって。

今はダメダメでも、そこには程遠くても

自分でこれだったんだ‼って思うものに出会えたんだって。

そんな自分になるために、今回勇気出してみるのは

とても大事だと思う。

勇気があったなら、本当はどうするか。

そういう自分になったつもりで行動してみて。

裏にあるものならば、表にだしてみんなにも考えてもらって。

誰か一人でもかならず、その勇気に心動くひとがいるかもしれない。

 

 

嫌がらせを受けていたこと

嫌がらせを受けるのは嫌だということ

嫌がらせを受けるだけの何かが自分にはあるのだと思うこと

でもそれは直していく、私は変わる

だからみんなも変わってください

わたしのダメなところだけ見るのはやめて

良いところもみてください。

わたしは剣道を頑張っています。

 

 

彼女が伝えたのはこれだった。

 

 

少し味方が増えた。

目に見える悪質ないやがらせは消えた。

でも、何もかも解決したわけじゃない。

相変わらずなんとなく避けられたり

ついていけてなかったり。

 

だけど、うちらは

この問題を1週間で腑に落とした。

下手したら、このあと何か月も

もしかしたら一生引っ張ったかもしれないものを。

 

それでも、みんなの前で話したあとの娘、

平気な顔して一週間過ごして、そのあと

バトンでできない技ががあり悔しいと涙こぼし始めたら

止まらなくなって、えんえんと泣いていた。

そして最後に、

ああそうか、わたし本当は傷ついてたんだなあ。

と言った。

 

そうだね。やっと泣けて良かったね。

ちゃんと自分の気持ち、わかれてよかったね。

これで終われるね。

よかった。

 

と、わたしは言って。

 

 

嫌なことはまだまだ続いてるけれど

そんなことより

部活の初大会のことで大騒ぎ。

 

チームの仲間のやさしさ、先輩たちの心のまっすぐさ

みんなが自分を育てるために頑張ってる空気、

見守る父兄、コーチたちの姿…

 

ここがあるから、負けないでいられる、と。

 

ちゃんとした礼をもって人と闘う、

相手の懐を借りて真剣に向き合って、

自分を鍛えさせてもらえる、

そんなものに巡り合えて、

何がいいことで悪いことなのか、

よくわかれた気がする、と。

 

試合は命がワクワクする。

 

それでも3試合目でコテンパンにやられ嗚咽。

それを先鋒の男の子が、一心に慰めてくれていて

本当に感謝の想いしかなかった。

ありがとう。

 

 

今日も部活を頑張っていた彼女。

宿題も部活前に終わらせて、ドヤ顔。

ほんとうは月曜日にまた悲しいことあったけど

ちゃんと前見ている様子に胸打たれ

食べたがってたラーメン屋に連れていく。

 

こないだまでは、一杯食べるのも大変だったのに

大盛ラーメンをぺろりとたいあげて

笑ってしまうと同時に、

いつの間にか、大きくなってしまったなという

一抹の寂しさ。

 

帰りの車で娘がいった。

 

お母さん、わがまま聞いてくれてありがとう。

ごめんね。ラーメン。ありがとう。

 

ラーメンぐらい、

ラーメンぐらい、

ラーメンぐらい。

 

何杯も食わせてやるし。

 

負けるな。

負けるな。

 

負けない。

負けないんだよ。

 

自分に負けたりなんかしないんだ。

いいものも、そうでないものも学校にはあふれてる。

それは社会も同じだ。

 

誰のせいにもしないで、

今見つめてるものだけを追いかけて歩いていこう。

きっと、あなたらしい花は咲く。

必ずそうだから。

お母さんにそれを見せてね。

 

誰が笑っても、お母さんは素敵だなってきっと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019 3月 魚座新月

2018年が止まらないまま、休みなしで仕事してきて

やっと色々、納まるところに納まって

保留し続けたスタジオの準備に取りかかれそう…でいて

取りかかれない、という現実。

 

怒られるかもしれませんな。

スタジオでご飯食べる気なくて。

借金まで背負っておきながら。

でもなんだか、長いことウダウダ考えてましたが

ここでの写真撮影は偶然の出会いに任せようかと。

生活費は別で稼いでいます。

その重さたるや…

 

まあだから、すり減るまで頑張らない…

いや、頑張れない自分に気づきました。

あれもこれも、無理。

ここでも結果出すとかって無理。

ちょっと心を空っぽにしたくなりました。

 

起業したら、お金稼がないといけない。

アピールはこんな感じでやらないといけない。

何が成功で何が成功じゃないとか

写真が嫌いになりそうになって

待て待て待て。

仕事でちゃんと稼いでるんだよね。

どんだけ自分に期待してんの?

 

 

とりあえず原点に戻ることに。

稼ぐ仕事じゃないものに関しては

行き当たりばったり

出会うものに導かれるようにやってきた。

そして

日々、出会う人たちに

本当に救われてきた。

 

みんな各々、とても素敵なものを持っている。

たくさんのこと教えてくれます。

自分だけじゃ気づけない、たくさんのこと。

 

分校の先生たちも、生徒たちもそうです。

目には見えない何かへのリスペクトの心を感じます。

 

もしかしたら、わたしの報酬って

わたしの財産って

お金じゃないんだ。

 

そういう自分でいいということにしました。

ままごとって責められることもあって

でも、なんでそんなこと言われないといけないのか

呑み込めないまま、罪悪感もちながら、

しっかりやろうとしてきたけど

あれ?

仕事で稼いでるし、いいんだよね。

ままごと、ただ楽しんでも。

 

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話は変わりますが、

ちびこはどちらかというと、教室のカースト

かなり下のほうにいるらしくて。

本人曰く。

「いつかすごいひとになって見返してやる」

「いつか有名になって皆に認めさせてやる」

「その時には遅いんだから」

と、言うようになってきました。

 

…胸が痛む。

思い出しました。子供のころ。

わたしもそんなことを思っていたなあ。

 

そうやって自分を保つことが、

誰よりも「自分の今」を認めてないってことに

気づかないまま40代になって

そんな思い癖を引っ張って生きてきて

何もいいことはなかった。

 

誰が何と言おうと、今のわたしは素晴らしい。

 

誰が何と言おうと、今のあなたは素晴らしい。

 

わたしがいいと思ったらそれで良し!

シミしわ白髪、それで良し!

老いもウエルカム、それでいい。

 

 

何もかも忘れて好きになろう。

もう思いが溢れて溢れてたまらないぐらい

ただただ何かを心から。

本物の自己中が一番優しいんだよ。

 

ほんとの強さ、自分のなかに見つけよう。

お互いに。

お母さんはあなたが大好きなのだ。

それでいいじゃん。

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2019-1.10「それでいいのだ」

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昨春から子育てに関して

意見を交わしていた人が居て、

まあ、意見を交わすというよりも議論に近く、

相手はマジョリティ、わたしがマイノリティ側として

話し合うと真っ向から意見の相違。

でもどうにかして協力しないと先に進めなくて

こちらの思うことや、感覚もしっかり伝えつつ

相手の言ってることも自分のなかに感覚として落としていった。

相手は、私の言うことがわかるようでわからないという感じ、

どこか「この人論点すり替えてる」といった疑いを残したまま、

でもそこで切るのだけはやめようと、

話し合う姿勢、耳を傾ける姿勢は保ってくれていた。

 

時々合意できそうになったり、

相手側を否定したくなる気持ちが抑えられなくなったり、

そんなことを繰り返して一喜一憂しながら年末を迎えて。

最後の最後に、あなた側にとってそれが一番いいことですよ、と

マジョリティ側がマイノリティを理解したつもりの提案があった。

が、それが思いのほかこちら側を追い込んで、

子どもと二人で泣いた。

 

それで被害者ぶるつもりもなく、

こちら側の想いをまっすぐ伝えた。

それで事足りた。

が、思わぬ副産物として子どもがしっかりした。

やべ…って思ったらしい。

 

それでプラマイゼロ。

なんとなく諦めた。

違うんだから、どうしようもない。

ほんとうにほんとうに伝わらないんだ。

何を届けても相手からの目線で見ればたしかにその通り。

それ以外の見方、感じ方で

こちら側を理解してくれることはないのだ、と。

 

その件は自分の中でもう終わることにした。

でも、話せばわかるかもしれない

と、思っていた時に見ていた希望の光が消え、

これから何を支えにやっていけばいいのか小さくフラフラした。

でもとにかく冬休み、子どもとたくさん話して

笑って、料理作って、お菓子作って、

いま何を読んでるのか、どんなゲームしてるのか

一緒に興味持って楽しく過ごそう。

そう思ってたのに、

もりもりと仕事に追われて、

気づけばもう冬休みも終わりに近づいてる。

 

とにかくなんとか時間を作りたくて

猛烈に猛烈に頑張って、

でも必死な時ってトリガー引いちゃうみたいで

どういうわけか行く先々で、

何気ないことから相手が急にチクチクしてきて

それは私が空気読めないとか以上に、

普段はどこにいっても笑顔だらけなのに

どこいっても近しい人がぶつかってくる。

余裕のない心にやめてほしいくらいに。

というか、

自分が疲れ切ってるから些細なことも

切りつけられるように感じるのだろうな。

 

そんなこんなで人には会いたくないし、

仕事は待ったなし、

イベントなんか行ってる場合じゃなかったのに

義務で参加した講話会。

講師の方が子育てに関することで話されたことが

日ごろ私が、前述の意見交換相手に話してたこととそっくりで、

妙に救われた気持ちになっていたら、

意見を交換していた相手も同じ会場にいたのだった。

 

そして、その方に

いまの話、とてもよかったですねと呼び止められ、

あなたが言ってたことと全く同じだと思って聞いてました。

あなた、間違ってなかったんですね。

あなたの子育て、間違ってなかったんだ。

これからも頑張ってください。

あなたの持ち味生かして。

 

そう笑顔で言われて不思議な気持ちに。

今更、、、、もう諦めてから理解してもらえた…

正直、発言者に肩書や資格があるとマジョリティには

ちゃんと伝わるのかってのも思った…。

けど、

ほんと決着って、そう感じた地点から離れた場所に、

思いがけないところにあるんだなと再確認。

だから、いつも何もわかったような顔できない。

 

 

子育て、

 

間違ってないとは思えない。

でも、これで精一杯なんだよ…

なんでも出来る人から見たら、あほみたいだけど。

ほんとに、精一杯なんだ。

 

それでも

仕事もなんでもかんでも一生懸命頑張ってる。

それは、ただただ

子どもにこんな生き方もあるって

あなたとそっくりなお母さんでも、

こうして社会で生きていけるよって

ただただ、子どもに未来を信じてもらいたいからだよね。

頑張ってるんじゃなくて、頑張れてるんだ。

わたしも未来を信じたいから。 

 

だから、

笑ってる。

だから、

頑張れる。

 

だから、

周りには

応援してほしいよね。

 

だから、

わたしも周りの人を応援したいよね。

 

だから、

怒りや否定はノーサンキュー。

 ぶつけたいのを拾ってしまうのも。

愛で返す余裕も今はない。

 

外では笑ってしっかりやって、

一歩内に入ると

しんどいしか言ってない。

 

でも、それでいい。

 

自分を丸ごと愛したい。

そして

子どもにも周りにも言いたい。

 

「何があっても、それでいいのだ」

 

 

 

 

 

 

 

2019-1.6 新月「amore」

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昨年、父が亡くなったので

新年のご挨拶はできないのですが、

2019年もどうかよろしくお願いいたします。

 

年末年始は悲喜こもごもでして、

2018の自分が必死だったことが

なんの意味もなかったような気がして

心底悲しくて泣いたり、橋の上で叫んだり、

たくさんメッセージをいただいたり、

歩いてたら突如、プレゼントのマフラーを首にかけられたり、

懐かしい面々から元気な顔見せてもらったり、

ほんと色とりどりな中、仕事は山積み、

お正月休みもないままに松の内も終わる。

ですが、2018と2019は続いてると思うことにした。

もう去年から始まってることが何件かあって、

一つ一つ形にしていかないといけなくて、

無理に元気でポジティブにするのが嫌いなので

なんなんだよおー

ちくしょー

とか正直に言いながら、奥歯かみしめながら

ただ前を向いてます。

そんな2019の幕開け。

 

こんな個人的なこと書いて意味あるのかわかんないけど

このブログを楽しみにしてくれてる

奇特な人々がいることがわかり、

まあ今年もめげないで書いてみようと思います。

新月と満月の日だけでも。

 

昨夜は、10歳の娘がお友達のおうちにお泊りで、

二分の一成人式の記念にと着物を着せてもらっていた。

とっても嬉しかった。

最近は、次女のことばかり考えて、

よその子たちのことまで、

心から思えなくなってた自分を恥じた。

ちょっと目が覚めた思いがした。

色々つらかった4年生。

冬休みに最高に幸せな思い出。

本当にありがたかった。

 

 

そして20歳の娘は、

中学時代の吹奏楽部の仲間と先生も招いて初の飲み会。

幹事で大張り切り。

その帰り、小学校時代からの仲良しが泊まっていき。

それこそ、二人は10歳ころにピアノで連弾し、

喧嘩ばっかりでハラハラしてみてた。いつも。

いろんな時間を共有して、好きも嫌いも超越して

何かあったらこの人がいる、

そんな仲になっていったなあ。

 

次女にもそんな出会いありますように。

いや、わたしが心配しすぎなだけで

もうあるのかもしれないよね。

 

 

年頃になったら、だれかわからないぐらい

けばくなるのを覚悟していた長女が、仲間の中で

意外にも誰よりも地味で小学生みたいで笑ってしまった。

すると、

教職も考えてるからそれでいいのだと

長女はきっぱり言い切った。

吹奏楽部の先生か…

そうだね、出会ってなかったらきっと

何もかもどうでもよかったよね…

先生が大事なことたくさん教えてくれたよね。

なったらなったで大変なのはよくわかるけど

それでも、どっちがいいんだろう。

大好きなものとともに生きていけるのと、離れてしまうのと。

未来。

これから気が遠くなるほど大変なことばかり。

でも、未来。

新しいことがいっぱい。

いいことも悪いことも、

なにを持ち帰ってきたとしても

どーんと受け止める強い母でありたい。

だから失敗を恐れないで、思いっきりやりなさい。

 

 

正直、成人式のことまで手が回らなくて、娘に

「全く思われてる気がしない」と言われちゃったけど

でも私、ほんとのピンチは必ず助けるし。

そういったら

「それは知ってる。あなたは必ずそうするって知ってる」って。

あたしんなかでは、そこだけだった。

大事なの…。

 

でも反省して振袖も買っちゃったり。

今更ながら着付けをしてくれる人に

無理いってお願いしたり。

本当に助かった…

そしたら今度はそれが楽しくなっちゃって

仕事から気持ちが離れる。

ほんと、どっちかしかできない。

 

 

時々、母なのも忘れ

現役の夢見る少女だもんで

子どもたちに申し訳ないのだが、

やらねばならぬことがたくさん。

 

これからも「何屋」にはなれないまま、

でも、

あなたに頼みたいと手渡された案件を

一つ一つ形にしていく、

それを

納得できるようやっていきたくて。

 

2018、自分の限界まで純粋になろうと思ったのに

年の終わりには、へたれちゃってた。

でもなんかつかめたから、

戻れないぐらい深いところまで降りて、

2019は覚醒したい。

いわゆるビッグになるとか、

認められるとか、活躍するとかではなく、

本質的なところでの「覚醒」。

静かに、静かに。

 

仕事するひととして、母として、人間として。

そして、一人の女として。

 

youtu.be

 

350/365 虹色の光

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夫の父…義理の父が亡くなって15年ぐらいになる。

その朝、ものすごい夢を見て飛び起きた。

ベッドの隣で眠る5歳の長女、

長女を挟んで向こう側にいる夫はまだ眠りこんでいて

カーテンのない寝室には昇る朝日の光が立ち込めて、

現実に戻るのに少し時間がかかった。

 

前日に雄物川が流れる、とある山に行ったのだ。

親友を亡くしたばかりで、立ち直れない私は

彼女が亡くなる少し前にすがっていた…

命を助ける水がある場所を訪ねた。

どこでもよかった。彼女の面影を探していた。

でもその場所に入った途端、ああ違う。と思った。

これは本物じゃない。

何とも言えない気持ちになって

すぐさまその場を去った。

そして車を走らせた。

 

車を路肩にとめて、山の斜面を登った。

かなりの高さまで登って蛇行する雄物川を眺めた。

ほんとうに蛇のように川はうねり、流れは生きていた。

斜面に体育すわりをして何時間も川を見ていた。

鹿嶋さんの舟が岸辺に流れ着き朽ちていた。

見えないけれど水の中にはたくさんの生き物がいて、

枯れた葉は養分になり、土は水をろ過し…

巡り巡る様々なことを思った。

みんな生かされてる。

命はリレーしている。

だけど、彼女はいない。

ただただそう思った。

いつまでも寂しがるなんておかしいよ、と

人からあきれられていた。

違う。

寂しかったからじゃなくて、

飲み込むことができずにグルグル回っていたのだ。

死ぬということを。

昨日まで確かにここにいた人が居なくなってしまうことを。

 

その翌日だった。

夢の中、自分は空を飛び、蛇行する川を俯瞰して見ていた。

突然、虹色の光に包まれた。

そのひかりの中にものすごい勢いで吸い込まれていく。

感じたこともない感覚が襲う。

セックスでも味わったことのないような

ものすごい快感だった。

あまりの気持ちよさに息ができなくなって目が覚めた。

そのあと、しばらくして電話が鳴った。

夫の実家からだった。

「今朝突然、眠ったまま、お父さんが死んでしまった…」

 

弔問客のべ1000人。

ただただ人を愛していた人だった。

 

最後に会ったのは義父が死ぬ一か月前で

会った途端、何故かわからないが、

義父が死んでしまうと悟った。

義父はわたしに自分が好きな納豆の食べ方を

丁寧に教えてくれた。

伊藤家直伝の食べ方だから忘れないでね、と言った。

納豆の膨らみ具合…卵を入れるタイミング、

あおさを入れるタイミング、

笑っていた。でもとても怖かった。泣きたかった。

そのあと、夫の三番目の兄夫婦や夫に

「お父さんが死んじゃう」と意を決して話した。

夫は信じてくれなかった。

三男夫妻は外国にいたので気に留めてくれ、

お父さんと連絡をとってくれた。

そしてそれが最後の会話になったよ、ありがとう…と、

お葬式のあとで、三番目のお兄ちゃんがそっと教えてくれた。

 

 

 

亡くなった友人に言える言葉があった…

そんな気がした。

抗がん剤治療を受けていることを自覚しながら

家族がガンではないと言い張る言葉にすがる彼女の前では

たいした病気じゃないふりを、お互いにする他なかった。

病室で笑いあって、ほんとうのことを話さないで

笑ったままドアを閉める。またねと言って。

その直後から止めていた涙があふれる。

本当は本当は、

心細そうにしている小さな少女が

暗闇から手を伸ばしているのが見えるのに。

 

いよいよ病状は悪化して

もう病院での治療も終わり、自宅療養になったころ

仕事場に彼女から連絡が入った。

なんでもないことを少し話したあと、

彼女が何か言いかけた。

そしてやめた。

…なに?どうした?

いいかける彼女は、言葉がみつからないようで

そしてわたしも頭が真っ白になった。

ううん、いい、じゃあ…

そう言って、彼女は電話を切った。

 

そのあとは亡くなる二日前に5分だけ会って

次は亡骸の額をなでていた。

 

まるで別次元にいるみたいに

かみ合わなかった電話のあと、

そんなに楽しく生きているわけではないのに

自分がいる生のベクトルと

死に向かうベクトルの違いを思い知らされた気がして

夜眠る前に

死が身に迫っている状態を体感しようと思った。

どうあがいても余命宣告され、

死が身に迫る感覚にはなれなかった。

所詮、、、人は…

本当に一人で死んでいくしかないのか…と

分かち合ってあげることもできないのか…と

布団の中でむせび泣いた。

そのまま眠りかけた時だった。

布団の四隅から暗闇が押し寄せてきた。

自分が飲み込まれていく。息ができない。

恐怖で心拍数が上がり、

布団のへりを指で握りしめていた。

寝汗でぐっしょり濡れていた。

こんなものを、と思った。

こんなものを抱えるのが日常だなんて。

 

そして彼女は亡くなって、

お通夜、火葬、お葬式での弔辞の準備、

遠方からくる友人やその他の友達へのやり取り

仕事はちょうど締め切りで入稿日、

丸二日寝ないで読んだ弔辞。

お葬式が終わったあと、うちで友達たちと飲んでいて

別の部屋に物を取りに行ったとき、

そのまま、ソファーでふっと眠ってしまった。

夢のなかでわたしは暗闇の中を歩いていた。

石畳のような感覚、周囲に飛び交うたくさんの声、

人がすれ違っていく気配。

チリーンチリーンと鐘の音があちこちから聞こえて、

みんながどこかに向かって歩いている。

わたしも何も見えないけど歩いている。

すると急に明るくなってモノクロの景色が広がり、

彼女が目の前の岩場に座っていた。

そして何か言った。

聞き取れないままテレビが消えるように

真っ暗になって、目が覚めた。

 

 

そんなことがあって、

一年ほどしたころの義父の死だった。

その時に見た虹色の光、

味わった感覚に救われた思いがした。

あれがそうなら、あれがそうならいい…。

年月がたつほどに、その思いは強くなる。

 

 

彼女に伝えたい言葉は

なんだったのだろう。

 

行かないで

わたしが、行かせない

必ずまもるから

 

想いと想いがつながれば、病から

引き戻せると思ったのはなんでだろう。

今もそう確信しているけれど。

 

 

でも何も言えなかったし、何もできなかった。

そんなもんだろう。

そんなことはわかっている。

でもそれで話は終わりじゃなかった。

 あの世とこの世はつながっているらしい。

 

その後、ごく一部の人としか関わることをやめ

失うことを恐れて

引きこもっても

人と出会う方向に向かわされ、出会った人を通して

与えられた命を生かすことを教えられた。

 

もういいんだよ、もういいからさあ、と夢の中で、

きれいな服を着た彼女が、けらけら笑っていた。

 

彼女の夢を見たのはそれが最後。

それから

二人分背負っていたのをやめた。

 

そこから、12年間止まっていた時間が動き出した。

 

 

この世の物質はすべて、

人間さえも素粒子でできてるんだから

わたしはスピリチュアルも宗教も信じないけど

息子が反抗期で口をきかないときも

わたしの愛の素粒子を息子に送ったのよ

と、近所のイシカワ先輩が言ったとき、

ああ、そうかと思った。

 

人間の本質は光

 

宗教もスピもわたしも苦手だけど

そうかもしれないと思った。

 

 

とらわれず 自由で

すべてをつつみこんで

一生懸命かがやく光になって

 

いのちのふるさとに還る。

 

 

現実は相変わらずのままの、ちっこい私と

見えない世界を感じ生きている私、

わたしが二人、

手に手をとりあって生きている。

ほんの少しだけサイキックになった。

人が何故、こころや体を病むのか、

目の前の人が何を必要としているのか

何を恐れているのか、

本当のことが、わかるようになった。

それで嫌われることも増えたけど

好かれることも増えた。

 

でもそんなことはどうでもよくて、

一番よくわかったのは自分のこと。

それ以上でも以下でもない

わたしはわたしだということ。

そして、わたしはみんな、なのだ。

 

 

いま、

最後は何も持っていけないのに

あくせく働いているけれど

本当は毎日毎日、奇跡を感じている。

お腹いっぱいになるぐらい。

何にもいらないけど、精一杯やるしかない。

わたしにできることを。

 

 

 

 

もうすぐ2018も終わるなあ。

 

たくさんのこと、ありがとう。

体を大事に…

残りの半月も、一日一日大事に…

恐れないでありのままで。

 

 

346/365 メッセージ

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満月や新月のタイミングで月二回、

自分の言葉をここで書いてきたのに

ちょっと間が空いてしまいました。

 

気が付けば12月も半ば!

前回の独り言ですっかり子供時代のトラウマが落ち着き、

なんだかセンチメンタルになる機会もなく時は過ぎ。

腑に落とすべきこともなく、

いまを生きるのに必死だったかも…。

 

でも2018…

いろんなことがありました。

100万あげるから、自叙伝を形にしてってお客様に

ご意見しちゃってご破算になったり、

大仙市の唐松神社の護摩焚きにいって

そこから大仙に呼ばれるようになったり。

山の手ホテルさんのお仕事させてもらったり。

突如、太田町の紙風船に行くことになり

ちっちゃいもの倶楽部の男鹿さんに出会ったり。

 

父が死んで、

そして、ちびこが悩みはじめ、

太田分校に出会い。

 

太田分校のことを知ったのは、

男鹿さんからの何気ないメールでした。

太田町になくてはならない学校がある。

存続のために、町をあげてプロジェクトを始める。

なんとかその活動をメディアで取り上げてもらいたい。

どんな方法があるのか知っていたら教えてほしい。

なんとなく動いてみたい気持ちになり、

疎遠になっていた映像の師匠に連絡を取ってみる。

ダメなら、自分で撮ろう。

何もしないよりましだろう。

すると思いのほか、師匠は快く承諾してくれて

春から秋にかけて、

分校だけで3本、太田町近辺で2つの物語を形にしてくれた。

仕事だからと淡々と当たり前の顔をしながら、

たくさんの副産物をのこしてくれた…。

 

 

自分以外の人のためにいつも走ってる男鹿さん、

誰かが持つメッセージを、形にし続けている師匠。

その二人をただ眺めてるのが嫌で、

なんとなく自分も太田分校のことを

ケーブルテレビを通じて伝えようと動き出し。

でも、アポも企画を形にするのも、ぎこちなく。

だって、お役所とつながったり、学校とわたりあったり

そんなことしたこともなかったし。

何がなんだかわからないまま。

撮影もこれまでは知り合いばかりだったから、

撮り直しも可能だったり、

もともとの考えもよく分かったうえで企画が練れたり、

肩の力抜いて作れたものの。

 

何もかもがドキドキなまま、

ただただ精一杯その場にいたり、

何がしたかったのかわからない状態のまま

あちらをたて、こちらをたて、

無難にまとめてみたり。

 

そうこうするうち、次女が成長の時を迎え、

学校のことで躓きはじめ、

関東に進学した長女にはお金がかかり、

ボランティアはボランティアとして

割り切った形でやっていくしかないと思い、

スタジオづくりの話も進み、

そうよ私は、子育て重視、仕事重視で無理しないで

分校動画を作ることにしよう、そう思ったものの。

すすんでいく太田分校の行事のクライマックス。

 

 

自分よりはるかに短期間の関わりの中で

分校の一番素敵なところをきれいに描いていく

師匠の作品を見る。

 

そして、一つの行事に真剣に向き合ってる

高校生たちと先生の姿を目にする。

 

無理してまでやらない。

30点でもよしとする。

それでも3回目までは必ずや続ける。

そう決めてたのにこの感情は何だろう。

 

文化祭での民謡発表のリハ、

お客様を百パーセント満足させて返す、

そう語った3年生の言葉に、自分を振り返る。

それでも時すでに遅し。

たいしてちゃんと撮れてない動画の中から、

なんとか頑張ってまとめ上げたものは

ただ分校を好きな人が頑張って作った内容。

でも、それでもいいと思ってた。

 

学校に縁もゆかりもない人間が

必死になることで

遠くの人たちは興味をもち、

内部の人たちは別の視線を通して自分たちを見る。

気づかないもんだから、自分たちの良さなんて。

それでよいと思っていた…あたしの作品なんて誇りはなく。

 

 

だけど師匠は、違った。

お前の作品なんだよって。

作品を通して、見てる人は

お前の目線を、心を、美意識を

感じるんだって、

私に厳しく伝えて。

 

あたしは、あたしは、

あたしなんかにそんな価値がありますか?

と、師匠に聞いてみたかった。

でもそれ以来、話ができてない。

 

あたしなんか。

そう思って生きてきた長い歴史を

深いところから覆してくれたのは師匠の存在。

いのちを削るって言葉を体現して見せてくれたのも。

なんでもないふりして、日々を過ごしながら

人のメッセージを伝え続ける姿を、その意味を、

あたしは、よく知っている気がする。

何故だか知らないけど。

 

 

他人が怖くて仕方なかったあたしが、

人と人のきずなを描けるように。

そのことにもっと長けてゆくように。

未来は。

師匠のそんな願いも感じる。

育て、育て、いのちの出し惜しみをするな。

そんな祈りも。

 

そんなわけで、3回目の番組制作。

このシチュエーションなりに踏み込める一歩を。

自分なりのメッセージをもっと。

もっともっと

もっともっと伝えられるように。

 

 

 

308/365 土曜の午後

 

 

みんな寝静まってから、

工事してる部屋にひとりいると

過去、いま、未来が押し寄せてきて困る。

 

スタジオにしようとしている部屋は

実家の建て替えのさいに

父母に使ってもらっていた部屋。

屋根をあげて、欄間と八畳間の壁をとっぱらったら

開放的で居心地よさそうな空間に。

 

いつも父が寝ていたあたりを見ていたら、

ふと思いもよらなかった感情が。

どうしてもっと早く、こうしなかったんだろう。

 

私に気を使って

一日中、部屋の中で過ごしてた両親。

 

こどものころ、あんまり幸せじゃなかったこと

もうとっくに忘れて、許してたつもりだったのに

老いて、頼られると

忘れていた感情がよみがえり。

余命宣告を受けた、がん闘病中の父と

最後の時間を共に生活できることが

本当にうれしかったし、

喧嘩どころではなかったはずなのに。

母の些細な言動に

いちいち、都合よく忘れられている過去を思い出し。

それは伝わっていき、

何かと冷たい言葉が行き交って。

 

そのまま父母は悲しい目をして

弟が建てた新しい家へ。

父にとっての最後の場所は

食堂であった空間も、家も

父の人生全部かけたものが消えた場所でもあったけど

それでも父は、弟の成長を喜んで

静かに死んでいった。

 

まだストーブがないので寒い、工事中の部屋で

オレンジ色のあかりを見つめながら

久しぶりに体育すわりをして

膝を抱えて泣いた。

 

どうしてできなかったんだろう。

どうしてそんな気持ちになれなかったんだろう。

父と母が来る前に改装して、

快適に暮らしてもらおうって思えなかったんだろう。

弟にはそんな気持ちがあったのに

どうして私にはそんな気持ちがなかったんだろう。

 

 

それは、それなりの理由があったんだけど

 

 

だけど

 

今思うとちっぽけすぎる。

 

 

愛されなかったから愛さない

思うように愛してくれなかったから愛さない

 

それがあたしの全てなのかなあ。

そうじゃないよね。

 

もし子供のころ、自分が支えられていたら?

ゆるぎない愛情で。

見守られて安心して育ってきていたら?

ダメなところはダメと叱られても

いいところを親が誰よりも認めて育ててくれてたら?

あんたに触られるのが世界で一番嫌い、触らないでと

手を振り払われたりしていなかったなら?

 

あたしは、きっと

多少のことではへこたれない、

しなやかで強くて優しい子になってただろう。

いつも笑顔で、

心の中があったかい海のようで

いろんなことを面白がって楽しんで

人と分かち合いたいと願う。

 

いつだってあたしはトゲトゲで

そんなものとは程遠く大きくなって

そのまんま、おばさんになって、

でも

出会った人たちが私を開放してくれた。

 

結局、最初から持っていたものは

ずっとそのまんま

原型は変わらない

 

ほんとうは何も変わってない

いっぱい遠回りしたけど

ずっとずっとそれがあたしだった。

それが証拠にいま、

心の中にあったかい海みたいなものが

日々揺らいでる。

あたしはそれに守られてる。

まだまだ子供には還れないけど。

 

どうしてお母さん一人に全部を求めてた?

 

結局、母には死ぬまで通じない物語。

あたしの家を勝手に掃除するという

一番いやなことを、

喜ばれると思ってせっせとやってくる。

そこじゃなかったの、お母さん。

それはあなたのお母さんが、

あなたにしてもらってうれしかったことだよ。

あなたがそうすると、

きっと昔、おばあちゃんが嬉しそうにしたんだね。

ばあちゃんのそんな顔が見たくて

あなた、子供のころから頑張ってたのよね。

あたしは違ったんだけど。

あたしはそれうれしくはないんだけど。

あたしをお母さん代わりにしないでください。

母として優しく見つめて欲しいのに、

私を認めてって、迫ってこないで。

 

でも、もういいか。

うちが汚いのは確かだし。

 

そしてあたしも、お母さんが喜ぶ顔みたくて

仕事頑張っていたんだよね。

外で働いて活躍できないお母さんの期待背負って。

 

 

でももう自分のために生きてる。

好きなように生きてる。

あったかいものと共に生きてる。

 

体育すわりのまま、目を閉じて、深く深く、

何も傷ついてないあたしをイメージする。

ピンクの柔らかいものに包まれて、

まるいまるい光みたいな。

それが海の上に浮かんでいる。

そう、

うまくやれなかったことは過去もいまも

山のようにあるけど

 

 

傷なんてどこにもない。

 

 

 

いつものように、バケツ持った母が来て

こわごわと私を見つめる。

髪が伸びたといって、気にしてる。

久しぶりに髪を切ってあげようか?と聞く。

そういえば20代からずっと切ってあげてた。

嬉しそうな母。

切っている間、顔に保湿パックをしてあげて

髪にブラシあてて、きれいに見えるように

カットしてあげて。

そのまま、イオンにご飯を食べに連れていき、

母とちびこはたくさんパンをおかわりして、

満足そうにしていた。

ふと母が、あんたきれいになったねといい、

美郷さんから教わった保湿の大切さを話すと

化粧水を買うという。

 

二人でイヤリングを見て、

お父さん死んだからもういいかなと思ったけど

やってみようかな、と母。

明るかった外は暗くなり、実家に送り家に帰る。

 

あなたに触られるのが一番嫌いと言っていたこの人が

わたしを好きでたまらないってことを

受け入れられそうな気がした土曜の午後。

 

 

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