マッシュルーム、いや毒きのこ。

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皆さん、いろいろと子供時代の記憶っておありでしょうが…わたくしは子供時代を振り返ると、いつも泣いていた記憶ばかり。押し入れの中、小屋の中、布団の中、宿題をひろげた机の上、学校のトイレ…家では怒られ、友達とはケンカばかり。

 

 

なんか最近、仮同居していた父母が去ったら色々思い出していました。

 

長い休みに入ると、田舎のばーちゃんが迎えに来て夜汽車に乗って連れてってくれました。駅前のヨーカドーでほしいもの何でも買っていいよって。だけどばーちゃんに悪くて、一個だけしか選べなかったなあとか。それを手に持って、ばーちゃんと夜汽車で、ビニールみたいな容器に入ったお茶を飲んで、みかん渡されて。ガタゴト揺れながら、ばーちゃんの匂い感じながらウトウト。そんな記憶がありありと浮かんでくる…。

 

いまだに夜の電車を見ると、汽笛が聞こえてくると、はたまた夜の新幹線から見る景色…何か蘇るものがあります。心細いような自由なような、切ない気持ち。

 

ばーちゃんちは、どっぽんトイレで悪臭で、たまにおつりが来たり。それは衝撃で。

でも腕をふるった料理が、とても美味しくて。たまに背中にしょってる、タヌキの毛皮の毛が入っていたけども。そんなの構わないぐらい美味しかった。

シュンシュンなるやかんの音、夏のセミの音、家の前の川の音がうるさくて眠れなかったこと、魚の焼ける匂い、うちでは食べたことのない川魚の味、不便なお風呂、家と違う匂いの布団、カチコチなる柱時計の音、ばーちゃんちの周りの迷路みたいな町内、

お手伝いさんが住んでいた小さな小屋、(知らない男の人が出入りしてた子供にとっては謎の事件)ものだらけのばーちゃんの部屋。

母親が扱い辛くて辟易してる子供なのに、ばーちゃんにとっては、まるごとの存在であることが嬉しくて。どんなわたしでも。ばーちゃんのほうがよっぽど変人で、アリだよ、全然アリ。なにやってもそんな顔して、クシャクシャの笑顔で笑ってくれたもんでした。

 

 

山によく連れていかれ、きのこを採ったのです。突然、目の前でパンツさげて用を足したり、熊がこないように大声で歌ったり、歩くたび、わーっしょって叫んだり、かと思えば、はぐれて姿見えなくなったり。牛のフンを踏んで、ばーちゃんも見えず、途方に暮れてると突然現れておにぎり食うか?と、渡されて。ばーちゃん手汚いよ…でも言えなくて、黙って食べて、でもやっぱり美味しくて。

 

まあ、ばーちゃんが波瀾万丈な人生を送ったのは、子供心にうすうす感じていたのですが、どこか不器用に自分を貫く姿勢に救いを感じていたのは確か。

四角い箱の中に入りきれなかったらそれでいいよ、と。人のこととやかく言うやつがバカなんだ!と言い放ちながら、どこか寂しそうだった姿。

 

 

 

おととし、起業を頑張ってる友達たちに影響され、遠藤貴絵さんから事業のブランディングをしてもらったとき、名前をどうするのかと聞かれ、自分がやりたいこと(個人のヒストリーを映像化、思い出の写真を使った本、遺影写真)の原点ってなんだろうって考えたのでした。そしてたとえば事業をやっていくなかで、踏みこたえなきゃいけないピンチや、思いもよらない辛いことが起きた時も、それを思い出したら乗り越えられるような、そんな自分自身の思い出がつまった名前にしようと、そう考えて。

 

振り返ったらそこには、きのこ。

 

ばーちゃんもわたしも、似ても焼いても食えないよーな、そんなところそっくりで。そうだ、毒キノコの看板しょってこれからは行こう、と。

それがライフヒストリースタジオマッシュルームの由来です。

 

 

 BGMは「あなた」ですが、あんまり関係ないです。

でもいわゆるソウルメイトみたいなものに出会うと救われる思いがするってことかなあ。この曲も。上手に息ができる関係に出会ったとき、魂が生きてくる感じ。 自分がやるべきことを思い出す感じ。そんなことを思いながら。