きのこの還る場所 018/365
森に住んでるご夫婦から連絡があり、急きょ車をとばしました。
パソコンのSOSでした。
お二人に会わせたい人がいるんです…と連絡しようと思っていたので願ったりかなったり。そのお話もしつつ、お二人の生活や活動をこれから数年かけて撮らせていただけませんか?とお願いしてみたところ思いっきりお断りされ…。そんなことよりちょくちょく遊びに来てください。一緒に森で遊びましょう。わたし達にはそっちのほうが大事です、と。
そうです。わかっています。だけど…と言いかけて躊躇。
まあ想定内でございます。諦めません。何度も伺いますとも。
旦那さん、たくさんお話なさる方で…。
伊藤さん、あんたは検察官なみの取り調べ力だね。気づけば全部喋っちゃう。
すごい尋問力だ!
と、からかわれましたが、いやいや、わたし殆ど質問してません、目を見て頷いていただけですよ…笑
毎度お会いするたびに、映像が浮かびます。
旦那さんが見ている世界。
加速度を増して壊れていく自然。
嘆き、焦り、憤り…そんなものを抱えながらも、諦めない。恨まない。投げ出さない。
笑顔で次の局面を信じている。
相手がえらい人だろうが、私のような何も知らないものだろうが、態度も変えずまっすぐ、たった一人の深いところに繋がればその周辺に何かが生まれる。それが少しずつ輪になって、いつか奇跡になる。それを信じてお話をなさってる。
全国を走り回り、どれだけの人に会っているかわからない、通り過ぎていく人が多いなか、それでもあきらめず森とともに生きている。
木や虫の声、動物の歌、季節の足音、暗闇のたたずまい…。
日が昇り、葉が揺れて、雲が流れ、日が陰り、星や月を眺め、森と遊んでいる。
こんなに楽しいものがあるのに、こんなに豊かなものがあるのに。
けして、失ってはいけないものがあるのに。
なぜ。
子供たちを森に案内するとき、絶対に行先も答も遊び方も教えない。
自分で考えて自分で体験して、自分なりの答を出すように見守るその人にわたしは愚問を。
世界はこれからどうなってしまうんですか?
たくさんのお喋りがピタッとやみ、その顔には問いかけるような笑みが。
少し黙って、そして言った。
「伊藤さんのこれからが楽しみだね」
ああそうか、その答えは自分で見つけ、作っていくしかないのか。
どんな世界にしたいのか、わたしもこの世界で生きているのだから。
今日もご夫妻の子供みたいに、ご飯をご馳走になって。この二人の前にいるとき、不思議にありのまま。どこの誰かもあまり知らないはずなのに何もかも見通されて。体調を崩している神奈川の娘のことをちらっと考えていたら、無農薬(に近い状態)のリンゴを持たせてくれた。むすめさんに送ってやりなさい、と。
自然も人も、あるがままをそのままに愛しなさい。
たとえどんなに醜い自分でも。
たとえ自分を嫌っている相手であっても。
その命の輝きを感じ取れる人間になりなさい。
ありのままの美しさを。
山のものは山のもの、海のものは海のもの。虫は虫、鳥は鳥。
比べることはできない。
いつもそう無意識でメッセージ。
そしてまた背中を押されて、わたしは居場所に還る。
子供のころからずっと探してたものを二人のなかに見ていることの奇跡。
その二人をどう描くか、その方法も探しながら、
でも、いまは頂いている仕事にまい進、まい進!
これから数年かけてオトナになりたいと思っている。
そのうえで自分史上最高に自分に還るつもり。