053/365 私、お母さんだから。

f:id:life-history-mushroom:20180221224756j:plain

雪まつり

 

今年もやるかやらないか迷っていた時、

顔見知りのママが言いました。

「迷惑ってかけちゃいけないもんなのかな?」

 

子供の部活での話で。

 

もちろんウチんちの子が

いつも迷惑かけてるのはわかってる。

だけど、全体的に常につきまとう、

人に迷惑かけちゃいけない!

なにも言われないようにしよう!

誰からも嫌われないようにしよう!

そこだけしかない感じが…苦しい。

だからママ友恐怖症になりそうだった。

でも、この町内の人たちは違うね。。。

 

と。

 

で、雪まつり

 

仕事も詰まっていて、悩み事もあったし、

私も人に迷惑かけるのが怖くて迷ってたし、

やらない理由を探していた。

けど、それを聞いたらそんなわけにはいかなくなった。

 

近所のおばさんが自宅で自死した時、決めたのだった。

誰かが声をかけられる町内になるように、

自分にできること少しでもするんだと。

そして次女のような、

個性豊かな子でも居場所がある町内に。

子供達がいつかどこかに散らばってしまっても、

そのエッセンスだけは覚えていて、

何かの時にその精神が花開くことを願ったのだ。

どこのどいつだった?

やっぱり、やらなきゃ。

 

そこからわずかな日数で、本一冊分入稿と並行して、

いろんな人に相談し、チラシを子供会全戸に手配りし、、、

1人でもやってみせる!と思ったら、

全然できなくて結局、

いろんな人の知恵、助け、アイデア、労力、

お借りしまくりでやっとこさ。

 

なかでも本当に力になってくれたのは、

一番頼みづらい横の世代のママたち。

1人は限界がある。

でも力あわせたらすぐ解決。

ほんとに涙出た。

ありがたかった。

 

長女の時の子育てはさんざんで、ママ友1人もできず。

いや、そんなこと言ったら怒られるかな…

あまりに孤立することが重なったので、

心開かなかったのは私の方で、

中には親しくなろうとしてくれる人もいた。

でも、つるむ人たちを見下すことで自分を保っていた。

 

まず、最初に躓いた。

子供の病室が同じだった方々と、

退院後も交流があったのだけど、

お家に呼ばれた時、私だけが職場復帰していた。

主催の子のおかあさんは本当は働いていたのに、

子供を産んで社に戻ったらリストラされてしまった。

そのことが整理つかなかったんだと思う。

 

わたしは、あなたみたいに働くお母さんより、

毎日子供のそばにいる母親の方が

ずっと子供の為にいいと思う!

わたしの方がずっと子供にとっていい母親だと思う!

やっぱりね。親から離れてると乱暴っていうか。

 

私は私で子供のそばにいたいのに、

生活の為働かざるを得なくて悩んでいたのに、

毎朝、保育園前で私の手を握る長女の手が

緊張なのか?冷たくなるので泣けてくるのに、

パーティ主催のママにはそう見えなかったのだろう。

 

彼女は、よそのママにも同意を求めた。

その姿を見て頭の中が真っ白になって帰ってきた。

残業につぐ残業の日々で、やっと取れた休みだった。

 

 

近所でも似たようなものだった。

毎日、朝から夕方まで一緒に子供を遊ばせてる

ママ達の輪には当然入れず、

たまに早く帰宅して話しかけようとすると

皆んなパーっと散っていく。

それが夕方だからか、自分のせいなのか危ういところ。

だって話が弾んで遅くなることもあるようだから。

 

ある日、

早く家に入って2人で遊ぼうと思い帰宅すると、

おばあちゃんに預けていた長女がまだ友達たちと遊んでいた。

傍らにはそれぞれのお母さんたち。

友達の輪の中に入ってる長女の名を

離れたところから呼んだ。

どうせ風も強くて皆んなもう家に帰り始めてる。

自分が来たからとは、なるべく思わないように、

気にしないように。。。

 

すると1人のママがやってきて叫んだ。

子供がかわいそう!

なんで面倒見てあげないの?

早く帰ってきた日ぐらい、

少しは遊んであげたら????

 

 

その頃、おそらくわたしの知らないところで、

彼女はうちの長女にいつも愛情をくれてたんだと思う。

不憫な子として。

そして長女の中での愛情不足を感じ取ってたんだと思う。

あるいは、いつもお世話になって💦

とか、もっともっと沢山言うべきだったのかも。

でも何も言わせない言い方に

なんとも言えない気持ちになった。

ワタシハアナタヲオカアサントシテミトメナイ!

それが突き刺さった。

ああ、ずっとそう思ってたのか。。。

 

 

朝から晩までクタクタに働き、

それでも1人しか働いてない

あなたのオタクより月収は少なく、

そこまで言われても、

私はどうすればいい?

もう何も出てこない。

カスカスだよ。

 

 

その夜、彼女から電話があった。

人の家のことなのに言いすぎたと彼女は言った。

余計なお世話だった、と。

 

そこじゃないな。と思った。

わたしは言った。

 

こないだ、、

あなたの旦那さんと話した時にこう言ってたよ。

おれは、妻と子供達守る為に

好きでもない仕事を頑張ってるんだ!って。

今の仕事は給料がいいから。

家族のためなら頑張れるって、嬉しそうに言ってたよ。

羨ましいなって思った。

うちは私も頑張らないといけないから、

子供と離れてるの辛いけど、そうするしかないから。

私が楽しそうに見えるかもしれないけど、

あなたが思う通りではない。

仕事だからちゃんとやるしかないだけだよ。

 

彼女は少し黙って、ごめんなさいと言った。 

そこから、彼女と数年話さなかった。

でも会うと彼女の方からきちんと会釈してきた。

心の中で責められて表面はなんでもないふりしてた頃の方が

まだマシな気持ちだった。

わたしはママ友作りを諦めた。

1人でいることに決めた。

 

そこから10年。

今じゃ、次女の周りは働くお母さんだらけ。

時々、そんなお母さん達の本音を聞いたり、

子供さん預かったり。

引きこもりも経て、V字回復のいま。

あの経験は一体なんだったのだろう?と思う時がある。

いや、今も決していいことばかりじゃないけど。

 

 

この10年、人生の横っちょで出逢った

不思議な不思議な人達、優しい人達のおかげで、

友達は作るものではなくて、

その人の本質的なものを自分がちゃんと感じられるか?

だと思うようになった。

仲良しこよしでなくてもいい。

いつも同意見でなくてもいい。

嫌われたからといって、

相手も自分も全てが悪い人でもない。

合う人も合わない人も、

良いところは良いままで。

自分の都合の良いようにジャッジしてる暇があったら、

その分、逆に自分の本質を考える。

どこの部分なら人からの信頼に値するか。

全部は無理でも。

 

私は先に立って何かやるタイプでは決してない。

能力的に無理だ。

ただ消してはいけないものを見つけた時に、

気づかなかったふりはできない。

前はよくしていた。めんどくさいから。

でもそれでよく後悔した。

 

とりあえず動く。

私にはそんぐらいしかできない。

大嫌いな大嫌いな地元だったのに。

でもそこだけ必死にやってたら、

私よりもっと知らんぷりできない人が現れて、

それに触発されて

動かずにはいられない人も出てきて、

楽しみ始める人も出てきて、

救われる人も出てきて。

巻き込んでいるとも言える。

だけど反省はない。

 

みんなが出来ることを持ち寄って、

違うもの同士、場を作っていけたらいい。

そして広がっていけばいい。

みんなも頷いていた。

同じメンバーだけでいつもこうしていくのではなく、

自然に自然に輪が広がっていくように、

もっともっと見事に楽しんでいかなければ。

 

 

雪まつり後の打ち上げで飲みながら、

そんな話をお母さん同士でしていた。

それが何より嬉しかった。

段取りの悪さを反省しなさい、

これから同じこと繰り返すな!と怒られたけど。

それすらも嬉しかった。

もうみんなが来年の話をしているんだもん。

 

長女を産んでから20年間、

母ってなんだと答えを探していた。

が、帰り道、もうそのことは終わった気がした。

 

 

とりあえず人と力を合わせられる人間になる。

ここからは、それが目標。

何かあったら助けられ、助けにゆく、

そんな循環ができる人間になることが目標。

 

私もあなたもそこに居ていいのだと、

思えるような、思わせるような

そんな人間になることが目標。