124/365 満月


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大事な一歩にしようと企画していた29日のイベント。
同じ思いの方々の力を借りて、
ここからをみんなと始めようと迎えた当日。
イベントが始まって15分、電話が鳴り、
父、危篤の知らせ。
全てをよそのママたちに任せて病院へ。
うっかり者の母が
先生の話を勘違いしたんじゃないかと半信半疑。

でも嘘じゃなかった。
一週間で退院できるはずだった父。
体調が急変し、自力呼吸ができない状態に。
この日の午後3時まで元気で、
午後5時6分、家族が見守る中、息を引き取りました。

イベント会場においてきてしまったちびこを
よそのママが病院まで連れてきてくれたり、
途中で任せきりになってしまったイベントも
町内のママたちが仕切ってくれて、無事終わり。
大事な一歩のはずの29日はバタバタと暮れていき、
ふと空を見上げると満月。

去年の暮れ、なんとなく撮っていた父の写真。
抗がん剤治療を一年半、月に二回受け続けても
弱音一つ吐かない父だったけど、
見るに見かねて少し休んだら?と言ったとき、
父が少しホッとしたような顔をして、
んだな…休むかな…と言って。
その休んだ期間、少し元気を取り戻したとき、
父らしい姿を何枚かカメラに収め。
それがこんなに早く役に立ってしまうとは
思いもせず。

ご近所の皆さん、葬儀に参列してくださった方、
斎場の職員の皆さんや別のご来場者さん、
お通夜ではお坊さんが、
父のこの笑顔に父の全てを感じてくださったようで、
娘として誇らしいと思いました。

うちの親戚は賑やかだけが取り柄で、
29日から毎晩大笑いでどんちゃん騒ぎ。
そんな最中、弟がどんどん頼もしく成長し、
お嫁さんも一生懸命頑張っていて、
母もやりきった感じで悔いなく。
娘たちも弔辞を自分の言葉で語り、
愛されていた父の姿が浮き彫りに。
それだけでもう十分。
まあ、寂しさはこの後からでしょうが。


葬式が終わって、飲み会前の料理のさい、
限界を超えた母の言動が怪しくなり、
少し言葉がきつくなってきて。
ここまで頑張った弟夫妻、母を少し休ませようと、
それまでは出しゃばらず控えに徹していたものの、
台所に立って、母に休んだら?と声をかけると、
邪魔なの?とキレ始める。
いつも届かない思いやり。
唖然とし、私も憤然となる。
が、最後まで笑顔でいると決めていたから我慢。


が、その後もジャブを打ってきて、
怒らせよう、怒らせようとする。
なぜなのか?

弟は優しい、なんでもしてくれる。
そんな言葉を親戚に繰り返す。
構ってくれない恋人に拗ねて意地悪するみたいな。
子供時代から、私へのこの行為の意味がわからず
ほんとに不思議でならなかった。
そして傷ついてもいた。


かわし続けても、とうとう最後まで持たず、
みんなが帰る直前に私に爆発してしまった母。
大丈夫?疲れてるんだよ…。
そんな言葉すら、非難と捉え怒り出す。

無言で荷物をまとめて帰宅。
三日三晩、父が寂しくないように
遺体や位牌、遺骨の前で寝た。
母、弟夫妻が少しでも疲れ取れるように。
自室で休めるように。
そうすればまた1日をみんな笑顔で過ごせる。
自分にできることは精一杯やった。
いつもそうだ。
精一杯やったときに限って母がむしり取る。
届かなかった。
もうとっくに丸くなったはずの
インナーチャイルドが大暴れして、
母に愛されてない娘なんて生きてる価値ないよな、
そんな気持ちが渦巻いて泣いた。

が、30分も泣けば終わり。
アダルトチルドレンの自覚はある。
普通に考えれば母は疲れていただけだ。

いっぱいいっぱいな人って、
感情のトリガーを、
1番依存してる人に引かせるじゃない?
全部相手のせいにして、自分の怒りを解放する。
それは健全な愛じゃないけど、
母は無意識で知ってるのだと思った。
自分が何をしても私が母を許すことを。

現場を見ていた友人からメール。
お母さん、あれでスッキリだろうな。
羨ましいと思ったよ。
感情を奥底にしまうことの方が残るもの。

失礼なことしたんじゃないかと、
友人に申し訳なく思った気持ちが救われると同時に、
この50年がギャグに思えて、救われた。
ずっとモヤモヤわからなかったことが
はっきりとわかった。


でも思った。
もうそれは引き受けたくない。
もちろん、母があそこまで追い込まれることは
そんなにあるわけじゃないだろう。
でも、いつか母が病気になった時…。
きっと母の弱さは私に向かうだろう。
その時までにどうにか心を鍛えたい。
どうにか心を拡げたい。
いろんなことを諦めて、
他人のように優しくなりたい。
そうだね、お母さん。
お母さん、そうだよね。
母は私に一番、そう言って欲しいのだ。
心を殺さずにいつか、
それに応えることが…できるといいなと思う。


娘たちが私に、黙ってマッサージしてくれた。
そこには無言の何かがあった。
母を想う気持ちが感じられ、
私からのありがとうも二人にちゃんと伝わる。
母と私にはどうしてそれが生まれないのだろう。


与える一方だけじゃなく、受けとる。
そうすることが、
相手を幸せにすることも確かにあると思った。

イベントを終えた町内のママ仲間から、
いたわりの言葉と一緒に、
申し訳ないけどイベントがとても楽しかったと、
言葉をもらい、嬉しかった。
そのイベントで何をしたかったのかを、
みんなに受け取ってもらえたことがほんとに嬉しかった。
ちびこを病院に送ってきてくれたママ仲間も、
お母さんを若くして亡くしてる。
ちびこを、死に目に合わせてあげたいと思ってくれた彼女の気持ち。
私も受け取った。
彼女の中にある生死と私の中にある生死の接点が繋がって、
言葉にできない何かが循環した。
思えば今回助けてくれた仲間たちはみんな、
身近な誰かを亡くしていた。
黙って差し出してくれたものを私は沢山受け取った気がした。



この3ヶ月、父になかなか会いに行けなかった。
ほんとはそんな自分を
反省したほうがいいのかもしれない。
一緒に暮らした最後の半年、
後半の後半になって母と喧嘩して
父も心を痛めていたはずだ。
でも、時々の送迎ではそんなそぶりも見せず、
冗談ばかり言っていた。
そして、ありがとうを繰り返した。

満月の下、ふと思った。
最近のものすごい勢いの成長は、
父からのエネルギーもあったのではないかと。
病床から私に
自分の命を送ってくれてたんじゃないかと。

尋常じゃない進み方だった。
父の余命宣告を受けてから、
父からもらった命を燃やしたくて、
突っ走ってきたのだ。

私がもっとゆっくりしていれば
こんなに早く死ななかったかもと。

何もかも許した上で
愛されていたんだ、と思った。
そう思うことにした。



何が本当かはわからないけど、
父の遺影写真はいろんな人の心を動かしたようで、
依頼が沢山舞い込んできた。
遺影を見上げると、亡くなった人が笑っている。
一緒に話している気分になる。
大丈夫だよと言われてるような気がする…と。
いままで何をどう売り込んでも頓挫してきたのに、
突然の依頼の嵐。



お前にできることで、世の中で役立ちなさい。
お前ができることで人と人を繋ぎなさい。
でも、少し母のことをわかってあげなさい。
他人には向けられる思いやりを、
母に少しは与えてあげなさい。
俺をきちんと見送ったお母さんの心残りは、
弟もしっかりした今、
お前との心の繋がりだけなのだから。
お前が好きな遺影写真の仕事をあげるから、
お前も少し大人になりなさい。
いなくなっても、
離れていても、俺はお前を応援してるんだよ。



全てを、
父からのサインだと思うことにしました。



今回の満月は、
そんな今までとこれからのマイルストーン

いつだって
次には持って行けない、
手放さなければいけないもの。
別れが遺してくれる何か、志のようなもの。
もしかしたら、
そんな風に生きなくてもいいのかもしれないけど、
それが私の弱さなのか強さなのか知らないけれど、

だから、これからはもう迷うまいと。