163/365 雨の大森山

 

 

f:id:life-history-mushroom:20180613082743j:plain

 

頭を整理したくて、入稿の待ち時間を使って

大森山の展望コーナーへ。

見事に何も見えない。

先の見通したたず。

 

f:id:life-history-mushroom:20180613082823j:plain

 

そうそう、そんな気分。

 

 

 

 

そんな今日は夕食時に。

ママ、5年前に戻れたらどうしたい?
と、次女に聞かれて少し考えましたが、ほぼ即答。

「戻りたくない」

どうして?と、ちびこ。

「今のほうが楽しいから」

 

またこの道のりを歩けと言われたら死んじまう。

 

「わたしはね、昔に戻れたら

3.11に戻って 福島の人に言うの。

地震が来るから、 原発が爆発するから

逃げてください!」

 

…と、次女は続けた。

さようですか…。

でもさあ、次女さん。

きっと誰も信じないだろうなあ…。

 

 

 

そういえば最近お母さんから 「ママ」に戻ったね。

まあ19の娘もいまだに「ママ」なんだから。

いいよ。

あんた、まだ甘えてていいよ。

 

先週は5月からの次女の異変に

自分側で決着をつけて

担任の先生や、ママ友たちと本音の会話をし、

負担だったことをやめて、

漠然としてたことに線引きをし。

そしたらピタッと原因がやんだ。

もたもたと動かないから、

いつも向こうからやってくることになる。

わたしが変わるまで。

 

誰が悪いって結局自分がわるいのだ。

目の前に起きることは全部、

自分が作っている現実。

つまり自分で変えられるってこと。

 

落ち着いてしまえば、

次女の元気ない姿に、

自分の昔を重ねていたのでは?と。

もしわたしにそんな傷がなかったら、

笑い飛ばしてあげられるぐらい小さいことだった?

なんだかそんな気もしてきた。

傷おそるべし。

 

 

 

そんな折、若い友人から久しぶりにメールが。

とっても柔らかい部分で対話して、

いじめを受けた過去から現在…

その過去からつながる今の活動を聞く。

 

 

わたしも死んだ友人のことを心に背負って、

友達の分も生きようと12年、

気張って歩いてきた歴史があり。

出逢った初対面のひとが突然

「二人分生きなくていいよ」って。

なんとなく今はその人がそう言った気持ちがわかる。

 

たぶんとても難しくて簡単なことなんだけど、

過去から連綿と続く自分を

持ち歩かないで生きてもいいのだ。

そういう自由もあるような気がしてきた。

 

忘れるわけでもない。

成長しないわけでもない。

でも、

ただただ今日生まれて今日死ぬ。

毎日生まれ変わる。

うまくいく日も行かない日も。

ただそれを繰り返して、ひとつひとつ精一杯。

結果はどうあれ。

動機が純粋なら理由なんていらなくて…

そしたらなんだか軽くなって、

執着も自己否定も自己欺瞞も、

誰かとの比較もなくなっていき、

あるのはただ「いま」だけ。

そんなことを考える。

 

きっと、年をとって

背負うことにつかれたのかも。

もう血が通わない枝葉を切り落とし、

全体を生かすしかないって、

木を見て思った。

手放したらそのスペースに風が吹くことも

新しい何かがやってくることも知っている。

覚悟できるかどうかは別として。

 

そんなわたしの今日は、

毎月の締め切りをようやくクリア。

でも新しいお仕事が待っていて、

明日から始まるけどいまは考えず。

このひととき、

友達からもらった純米吟醸を飲みながら、

ちょっとホッとしている。

 

今年ももう折り返し地点。

夏至までに、2018の後半の自分が

これだけはやろうと思うことを「覚悟」しよう。

まだカスミがかかってるけど。

表面ではやらねばならぬことを全うしながら決めよう。

 

 

そして決めたならあとはまっすぐ。

 まっすぐ…

まっすぐになろう。

まっすぐでありたい。