お客様のこと

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生前の、その人らしい笑顔を

ということをコンセプトに

遺影写真撮影をひっそりとやってきて、

 

いつかそんな日が来るかもと思っていたけれど

初めて撮らせていただいたお客様が

先週、永眠された。

 

娘さんから電話をもらった。

 

母を知っている人みんなが写真を見て

母の笑顔を見て喜んでいた、

ありがとう、と。

 

撮影のとき

とても恥ずかしそうで

最初は黙り込んでいたけど

 

外に出て二人きりになると

ぽつぽつ、自分のことを話しだして

自分のことなんてずっと後回しにしてきて

人としゃべんねーで、畑ばっかりで

イヤリングなんてつけだごどもねくて

はずがしなあ

 

そう言いながらも

「こうやって笑ってください」って

私が彼女に向かって見せるその表情を見ると

彼女は何度も噴き出す

そんなにおかしな顔だったのだろうか…

わたしの笑い顔がツボなのは少々心外だったが…

笑顔を見るのが嬉しくて、

喜んでくれるのがうれしくて

何度もやって

何枚も撮った

 

 

 

こんなに笑ったの久しぶりだなあと

彼女は言いながら、あたりを見回し

写真を撮らせていただいた男鹿の「あじさい寺」の

境内の菩薩様かお地蔵様…か…を見つけた瞬間、

すっと駆け寄った。

そして、手を合わせ深深と頭を下げた。

 

その瞬間の澄み切った目がとても印象に残っている。

 

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人が踏み込めない、その人の歩いてきた道のり

 

何気ない瞬間の

 

 

この日以来、お会いしてない

一期一会でしたが

 

ほんのすこしだけ

わたしは、一生懸命祈るように働いて生きてきた

あなたの中の不器用な純粋さを感じた気がします

 

お疲れさまでした

 

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野の花

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ひさしぶりに書きます。

ぼけっとしていたらもう6月。

一年の半分がおわるところです。

 

3月までは自分がスターにでもなったような

勘違いな流れの中で寝る間もなく突っ走っていましたが

コロナで立ち止まったら目が覚めた。

 

 

そうでした。

わたしは野の花でした。

言うまでもない。

 

 

姫女菀をこんなに寂しく見えるように撮るかい…。

蜘蛛の巣張ってるし…。

 

 

ひさしぶりに書いてるので

自分の「調」が思い出せないですが

なんとびっくり

このブログにはファンがいらっしゃる。。。

 

「読みたくなるんで、たまには書いてください」

そう言われて、ひさしぶりにログインしたものの

なんだか照れる。

あっ

2月にライブで歌わせて頂きました際は、

ブログのファンだというはじめましての方々が

来てくれていましたね。

その節は本当にありがとうございました。

ほんとにほんとに感謝申し上げます。

 

今こうして書いている向こうで誰が読んでいるのか

わからないけれど

読んでくださってるあなたに愛を贈ります。

 

あなたに明日、いいことが起きますように。

胸がちょっとあったかくなるような

幸せなことが起きますように。

あなたの大好きな人があなたに向かって笑顔でいて

それを見てあなたも笑顔になりますように。

 

 

わがやのちびこは、今じゃ背丈は

姉を超え

母を超え

コロナ自粛で休んでいる間、のべ3か月

朝も昼ももう好きなように暮らした結果、

世界史三昧で物知り博士になってしまい

 

休校措置が明けるのが早すぎると感じた母が

4月は学校を休ませたので

人より少し遅れて学校へ戻ったため、

てっきり「コロナ」とか

「ばいきん」とか

まあ去年からの流れでいじめが起きて当然のことと

覚悟してたのに

世界史が好きすぎて、もう突き抜けちゃって

何かの拍子にそれが伝わり、

クラスの男子の心をぶち抜き、突然「リスペクト」に変わり

「神」に昇格した模様。

 

 

お母さん!

わたしは五年生のときの自分に言ってやりたいよ

「だいじょぶだ、おまえは一年後、

ばいきんから神になってるぞ!って

今がどん底でも絶対に落ち込むな。

自分をダメだと思うな。

ひとの評価なんてこんなにもあっけなく変わる。

全然意味ないよ。

そんなことより好きなことを徹底的にやれ。

死ぬほど好きなことをやれ。

そしたら気づけば何かが変わってる」

 

ひょうひょうとそう語る娘を複雑な気持ちで見つめた。

ひとつひとつ、自分で乗り越えていく。

林家パー子のように、ピンクの服を着て

3頭身でツインテールで、ぴょんぴょん歩き

誘拐されたっておかしくないほど、人懐こかったちびこが

わたしはグレーの服でじゅうぶん、

存在しないように生きていたい、

そう話すようになって

でも

また少し違う自分を見つけ出し

傷つくたびに大きくなっていく。

 

 

わたしもそうやって50年生きてきて

たまにはドカンとつまずいて

こころに氷山かかえた時には何もかもがストップして

でも

出逢った人が

なんでもないことのように

救い出してくれたりもしたっけな。

 

順風満帆じゃないほどに

面白いのかもしれない。

 

と、思うことにする。

 

 

さてさて、やっぱり何が言いたいのか

さっぱりわからんけど

今日も無事に一日が終わった。

 

 

あとは明日のわたしよ、

よろしくね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Let go

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不思議なんだけど…

 

急に御飯を作る気力がわいてきたのは

創意たっぷりの手料理を

画廊カフェで食べたからだと思う。

家に帰ったら

スイッチの繋がる先が少し切り替わっていた。

 

あたいは

秋からもうとんでもなく忙しくて

ごはん、一品作ればもう限界

副菜作る暇あったら

レイアウト一本終わらせたい

諸連絡オワラせたい

何かに追われて追われて…

そのうえ心配事もあって

ようやく新年のイベントを終えたら

やっと睡眠不足が解消されて

休みをとってみた

そして誘われて手形のトゥルムへ

 

画廊スペースの版画からあふれ出る画家のエネルギー

 

ああ久しぶりだ…って

 

なんだか一瞬で

自由に

 

 

 

幸せになっちゃ悪い

自由になっては申し訳ない

 

その縛りが

自分も相手も苦しめていたような

 

 

三度の飯ごとに副菜の数が増えていく

料理が楽しい

 

そんな気分で部活にいったら

いつもはじっこで輪に入る気力もないのに

気がつけば普通に楽しく

あったかい心やり取りして

いつもはみんなと目が合わないのに

透明人間みたいなのに

なぜか話せば話すほど、みんなも笑っていた。

不思議。

 

仙台で長女と暮らしてた時も

シングルマザーで大変だった時

せんだいメディアテークに行くと元気出た。

元気というか

なんだろう

 

血沸き肉躍る

 

そういう何か。

ワクワク。

 

それを思い出しかけてるから

苦しみや悲しみが浮上してきてるんだろうな

整理しようと

浄化しようと

 

どこまでいっても

自分は自分なのだ

誰の代わりにもなれない

ひとり。

 

その孤独をどう生きることに生かすのか

何を選ぶのか

それも自分次第。

 

 

すこし自由になってみよう

 

 

 

三日坊主返上の末

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新年早々、三日坊主ブログになりかけましたが、

怠惰と言うよりは忙しくて…だからいっか。

あんまり自分を追い込まないように

外側で回していかなければならないいろんなことを

伊藤一恵本人と剥離しないよう

自分の心が悲鳴をあげないよう

願わくば

外側のために自分を変えていくのではなく

内側から溢れ出るものが外側を変えていく、

そして見つめる視線の先が

できれば利他的であり

本心であるように。

ひとりよがりでなく、利己心が上手に隠されていないように

でも一切にしがみつかず

今の一瞬を精一杯生きること。

というのを常態にするには

 

悩むのをやめて

案じるのもやめて

一週間に一回は休むことにして

寝ても良し

歌っても良し

縫物をしても良し

絵を描いても良し

そんなふうな時間を自分に与えることにして

あ、

冬のコートを買いました。

大学生がいる我が家は、お金がないので

リサイクルのを買ったのだけど

逆にあんまり安かったので

赤いコート

黒いコート

白いコート

キャメル色のコート

形もそれぞれ違って、試着して自分の体に合うものを。

4つも。

嬉しくって嬉しくって飛び上がりそうになって

レジにいったらさらに半額で

合計440円だったので

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と叫んだらレジの女子大生のバイトの子が

一緒に喜んでくれた。

わかちあってくれる人がいる歓び。

 

それから婦人会のヨーコさんから教えてもらった

秋田の現代美術家の村山留里子さんのこと調べて

作品として作ってるドレスを見て

あら、これやりたいし!

なんて思っちゃって

久しぶりに自分が好きなことを思い出したりして

ここ2年くらい

どっかに修行に出ていたような自分を改めて

感じたりして。

 

ヨーコさんは80代半ばなんだけど

生まれたての子供みたいに魂がきらきらしてて

人が好き、手仕事が好き

話すことが好き、食べることが好き

いつも興味をもったいろんなことを

楽しそうに教えてくれて

そばにいると

わたしのほうがおばあちゃんみたいな気がする。

それでも先日、孫の家に遊びに行き、

ひ孫と遊びながら、孫の作った手料理を食べたら

ほんとうに胸がいっぱいになったと言っていて

少し目がうるんでいて

わたしまで感慨深い気持ちになった。

こはちゃんとおばあちゃんなんだね。

よかったねえ、ヨーコさん。

 

ヨーコさんの明るさ、幸せそうな姿に

家族の皆さんもどれだけ救われてきただろうか

と考えた。

周りのひとたち、

ヨーコさんが自分らしく幸せに生きているだけで

救われただろうな。

そのまんまでいることが徳になる在り方っていいな。

ヨーコさんは全くそんなつもりもなかっただろうけど

ヨーコさんの自然体が与えてる周りへの影響、

積み重ねてる徳を感じて見つめていた。

 

そうなのよ

たくさん人は勘違いをしていて

こうあらねば正しくない

こうでなくては許されない

こうあれば愛される

認められる

 

だから

そうしてない人を見ると許せない

そんなことは正しくない

あなたを許せない

だからあなたを愛さない

認めない

 

こうでないとダメなんだよね?

こうでないと自分はダメなんでしょう?

 

わたしにもたくさんブロックがあって

スケッチブックの線は生きているのに

作品はクソだ

そう言われたあの言葉の意味がこの頃すこし

わかりかけてきたような

 

足すんじゃなくて引いて

力むのではなく緩んで

押し出すのではなく調和するように届けて

 

ずっと身の内で昇華しなければならなかった

がんばっても報われないとか

あんたは我慢してねとか

愛しても愛されないとか

わかってるから許すしかないとか

甘んじるとか

ふみにじられても忘れてあげるとか

多めに分けてあげるのが当たり前とか

多めに背負うのが当たり前とか

理不尽なこと言われても黙っているとか

ぜんぶ

抱えたまんまじゃ生きていけないから

でも人に擦り付けるのも許せなくて

だから

ひっくり返して愛することにかえて

わたしなりに生きてきたけど

それがキレイだと思ってたけど

 

まっすぐ輝いてる人を見ると

自分の中の一部が絵空事なのにふっと気づく。

もう少し若ければそれが

何もかもへの誰もかれもへの嫉妬にもなっただろうけど

もう生きてる時間も短そうなので

ただただ、ほんとうのものが欲しい

ほんとうに歩く道を歩きたい

ほんとうに愛し

ほんとうに積み重ね

良く生きて何かに身を投じるように死んでいきたい

ただひたすらにそうありたい

 

 

 

嫁だとか

仕事でどうこの社会で生きてるとか

いくら稼ぐとか

誰と知り合いとか

その場での自分のたち位置とか

空気読むとか

誰がどこの偉い人だとか

何が得とか損とか

そういうことの大事さが

ちょっとわからなくなってきて

 

 

無駄なブレーキを踏むの

もうやめていいんすかね。

それが一番、自分がこの世界と

調和することを阻んでいるような

 

 

あなたのためなら、

絶対ひとはだ脱ごうって思うのに

なんであんたが心のどこかで

もう死んでもいいって思ってるの

と、昨日怒られて

たくさん苦労しても裏返ししてきたそれが

わたしにはもうお腹いっぱいの愛で

それができるようになるために

生まれてきたんじゃないのかって

だから、もう余生みたいな人生で

自分のためにしたいことも

欲しいものも

ほんとうはあんまりなくて

 

でも目の前にやらなきゃいけないものは迫ってて

わたしがわたしのこころに点火して

いろんな人と手を組んで歩いていかないといけないのだけど

それがなんのためかはわからない

行かなきゃいけないことだけはわかるけど

 

でも

やらなきゃいけないからやる…なら

応援しないよ!

このイトウカズエがどうしてもやる、やりたい!

その心意気に応援したいのに

全部ささげて助けたいのに

 

あ~

 

そうか

 

俯瞰でみて歩くのが癖になって

わたしはわからない

やりたいことと自分が火のように直結するってことが

どっかで冷めてる

精一杯やりながらも

常にどこかが冷めてる

人にも自分にも期待しないで

届くわけないと思って

でも必死に歌っている

 

 

楽しそうに

幸せそうに

必ず夢をかなえると燃えて

元気で、笑顔で

情熱だけの

そういうわたしを見たいんだね

そういうわたしに応援したいってことだよね

 

ちょっとだけ心に響いた。

みんなそういう人に何かを授けたいんだね

そういう人になら

 

でもだから。

そのために、外側だけを整えるのは嫌で

ずっとこうして生きてきた気がするけど

それも終わらないといけないところにきたような。

 

 

愛は

私の知っている愛は

まだ半分なのかもしれないよね

わたしが愛だと思ったものは

もっとその先があって

その先を見ないといけないかもね

自分っていう人間の

北半球しか歩いてなかったのかもしれないし

南半球では愉快な人生かもしれないよ

そしてそれが誰かのための徳になるような

 

 

幸せになるのが嫌なのは

忘れたくないものがあって

終わってないことが一つあって

 

いま必死に

のんべんだらりとしながら

整理をつけている

 

でもやっぱ、無理はしない

心のなすがままに

目に見えないものに

見えるものに

調和しながら

 

結局わたしは

自分自身と

時に誰かと

世界と

きれいなハーモニーをただ繰り出したいだけなのかも

 

三日坊主返上しようと思ったら

これ完全にポエムだね…

きゃは…

 

では、またね

 

 

 

 



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先日の市川海老蔵さんの特番を見ていたら

6歳の勸玄くんが、

千秋楽で自分の演技に納得いかず楽屋で泣いていた。

周りからしたら立派につとめて「すごい」の一言。

でも自分を許せず、鏡の前で涙をこぼす。

その足元に姉の麗禾ちゃんが座り込み

励ましの言葉も何も言えずにただ弟を見つめながら

ハラハラと涙をこぼしていた。

 

 

物心ついてすぐ失った大きな存在

ぽっかり空いたものを

二人小さな胸に抱えながら

お父さんを支えなきゃ

お父さんの大事なものを自分たちが守らなきゃ

お父さんが壊れないように

 

そうやって

こんなに小さいのに

魂で生きる道のりの中に在る、

選ぶ選ばないすらなくて

 

 

本当は怖がりでシャイな麗禾ちゃんが

父や弟の姿にひっぱられながらも

共に同じ場にいて

人前で踊り、拍手を浴びて

苦手なことでも、どこまでも向かっていけるのは

大切な人のため…

家のためとか弟との競争心なんかじゃなくて

二人が感じていること、味わっていること

見ている世界、

置いて行かれないように

ちゃんと理解してあげられるように

何があっても応援したくて

誰よりも一緒に体感していたくて

その様子が愛でしかなくて

お母さんのような…

年なんて関係ない「母性」というか

誰かを本当に愛してる女の在り方で

見ていて心が震えた

 

これでいいんだなって思った

 

男の抱える孤独を見つめて

寄り添う

自分の道を勇気をもって歩いていく

そして花を咲かせる

相手のこころに雨が降ったら傘をさして

だいじょうぶだよって微笑む

相手が楽しそうだと嬉しくて

疲れてると安らいでほしくて

ただただ

 

 

 

きれいだよね

きれいなもの見た

 

  1.  

献本

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やきいものおじさんに会った。

久しぶりだったけど「おお、えくぼちゃん」と

おじさんはにやりとした。

おじさんはなぜかわたしに会うと

タレコミのようなことをする。

もちろん、聞いてもどうすることもできないが。

 

いい話と悪い話、今日はどっちも教えてやるよ。

そう言って、誰も知らないけれど

ものすごい人がこの辺に住んでいる話と

イージスに少しかかわりのある裏話を教えてくれた。

新聞社に持ち込んだが扱ってくれないと

おじさんは憤っていた。

売れ残りの冷やし芋を何個か手渡してくれて

おじさんは「じゃあな、えくぼちゃん」と去っていった。

 

話を聞いておじさんが心配になった。

その足で駅まで長女を送る。

道すがら、落ち着かない気分で

長女とスタバに入って、ふっと隣席の

なんとなく美しいファミリ―を見やると

イージスアショアの件で立ち上がった女性議員のご家族だった。

お子さんがふざけたのでお父さんがたしなめながら

それを見ていた私に笑いかけた。

わたしも微笑んだ。

 

長女は長い帰省が終わって東京へ帰らねばならず

機嫌がよろしくなかった。

今起きたことを話そうにも話せないまま帰った。

 

翌日の今日、イージスの献本をしたいと

女性記者さんがうちに来た。

何の気なしに話していたら、

やきいもやさんが話を持ち込んだ記者とは彼女だった。

そして受け取った献本のなかには

女性議員さんと一緒にわたしも女性のモチーフとして描かれている。

偶然の符号。

これ、わたしが村上春樹なら本一冊かけるな…と思った。

不思議な気持ちがした。

 

 

女性記者さんとはこの1年半、いろんな話をした。

初めての取材を断ったとき、彼女は自分の想いを

一生懸命伝えてくれた。

自分も仕事ではないけれど

人にマイクやカメラをむけることがあり

相手が話してくれることが

どれだけありがたいか身に染みている。

また彼女が、自分のために

私を利用しようとしてるのでは

ないのはよくよく伝わってきた。

 

その次に断ったとき、わたしはちょうど

次女のいじめ問題でそれどころではなくて

私がまた話したら、

周りからどう思われるかと躊躇してる

胸の内を明かした。

 

すると彼女は自分が

子供時代に体験したことを話してくれた。

それも同じ立場からの話ではなく、

ご家族のことだったけれど、

言いたくないことを正直に伝えてくれた。

たくさん話した。記事とはまったく関係ないことを。

そして結局、取材もなかった。

 

状況も変わって、いじめ問題も解決し

自分も主婦の範疇を大きく超えた問題に対しての

自分なりのアンサーが出た頃。また連絡があった。

そのとき思っていたのは

信じられないけど頑張る、そんなスタンスじゃ

何も叶わない

絶対にそうなる、そうする、そう信じる

そうでないと現実なんてやってこない

 

そういうものなんじゃないだろうかと

思い始めた頃だった。

すると

計測の間違いや、女性議員の当選、

いろんな風向きが変わる事件が起こり

併せて、あなたがどう思っているか

どうしてもお聞きしたいと彼女から依頼があった。

どうしても聞きたいんです。

その言葉を受けて会うことにした。

 

最初から答えありきの誘導インタビューではなく

こころで話を聞き取ろうとしてくれて嬉しかった。

そういう人が現場でちゃんと頑張ってくれてることが

本当に嬉しいと思った。

きっと利用されることも、

思うようにいかないことも沢山あるのだろうけど

いつまでもそのままで頑張ってほしいって心から思う、

そんな風に、彼女と関わって感じたことを

今日は伝えた。

 

すると彼女にとっても

同じ人とずっとアポをとり、

気持ちの変化を追うというのは

とても印象深いことだった、しかも

わが社が頑張ってることが

伊藤さんの心にも変化を起こし

自分がしている仕事が誰かの心に勇気の灯をともすなんて

記者をしていて初めて感じたことだから…と。

一生忘れられない経験になりました、

と彼女は言った。

 

暮れから台湾に勉強にいっていた彼女から

お土産をうけとった。

金魚のお茶。

明日、楽しみに飲もうと思う。

 

献本には、デスクと思われる方からの

御礼の言葉が長々と、したためてあった。

 

本の中では49歳のわたしが、

まっすぐいられずに右往左往している。

女性議員とは偉い差だ。

その姿を今はちゃんと受け止めて

この先…

 

いつか、あなたにこの問題とは違うことで

きちんと取材してもらえるように

わたし頑張りますね。

だから、あなたも記者人生を頑張って。

また会いましょう。

 

 

そう話して別れた。

 

 

やきいもは甘くて甘くてとても美味しかった。

純粋すぎて極端に振れている

やきいもやさんの心が鎮まりますように。

 

 

イージスが来るなら、ここにいられるかわからない。

そう思ってスタジオのことに本腰出せなかった私が

最近焦りだしてきたのはホッとしたからだと思う。

この町で小さな小さな、

人と人との時間にまつわるお仕事をするスタジオを

細々とやっていくのだ。

へんてこな事務所。

中にいる人もへんてこな。

 

 

毎年、やきいも買うし。

えくぼ見せてあげるし。

だから、いつものおじさんに戻ってほしいと願う。

 

 

 

 

50歳の伸びしろ

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家事もできずに仕事に追われる日々をやめることにした。

何があっても6時半になったら仕事をやめて

9時半には日記を書く。

それが終わったら風呂に入って寝ることにした。

今までの生活はとても書けない。

 

メンタル維持にプールに誘われたけど

自分は日記を書くのが一番ホッとする。

とはいえ運動不足なのは間違いないので

午前11時に設定した休憩タイムに

洗濯物を干しながら歌い、踊り狂うことにした。

なんて素敵な主婦だろう。

自分でやってて笑えるのがいい。

 

そんな新生活を始めて3日目。

15日まででいいと言ってた仕事が

今日中になりずっこける。

15日でいいって言ってたやん!

と、担当Dに怒るも

すみませーん、確認不足でしたー

と、のらりくらり。

何が腹立つって、3日坊主になることだよ…

1日のリズムを決めたのにさ。

 

そんなわけでプリプリ、予定変更しながら作業しつつ

でもやっぱり日記は書くのだ。

 

今日は長女が東京へ帰っていった。

毎度のことだが別れるまで無言。

よっぽど帰りたくないのか。

それでもやれ。

自分で決めたことだからな。

あばよ。

 

と、決めたつもりが

クルマのある方向と正反対へ歩いていってしまい、

また戻ってくる恥ずかしさ。

 

今日は、ちびこに友達が来てくれて

一緒に勉強していた。

穏やかに笑いながら…

去年は想像もしてなかった気がする。

不思議な、不思議な気持ち。

 

近所の石川さんがきて、少し話して

カズエさんの伸びしろ

まだまだあるから

忙しいけど面倒見てあげる、と。

それで全県を回って歩けるぐらいにして

かましてやるのよ!

と。

同じこと考えてた…

今年のテーマは「かましてやれ」ですね…

 

 

頑なにまじめなところがあって

今年はそれをぶっ壊すつもり

女っぽいことも苦手だけど

あえてその「女を使った正攻法じゃないやり方」

にも精通してみようと思う。

気分は昭和のストリッパー、そして

店をしめた帰り道のスナックのママ。

そんな気分で生きる‼ どんなだ…

 

ほっとくとロジカルに考えすぎるから

もうゼロベースに近い気持ちで

今までのこことは心の中で手放して

何がやってくるのか、

何が来ても

解せぬことでも身を委ねることを

楽しめるような

太っ腹になってみたい

 

自分が自分のまんまで、ただあれば

引き合うものがやってくる

 

大切にしたいもの

大切にできるもの

こころから愛せるもの

幸せだと感じるもの

 

それがやってくるスペースを作りながら

生活と仕事という筋トレをして

淡々と待つ

 

もう何も考えない

ひとつひとつ丁寧に準備

 

きっと

やってくるから

来ればわかるから…

ああ、これだ

これ、わたしのだって。

 

 

だから…探して歩かない

何かしなきゃと焦る日も

人から置いてけぼりくらってるような気がする日も

大事なこと積み重ねていこう

 

でも今年はいっぱい

すげーなーって思う人に会おう。

何このひと!って思うような

すごい人に会ってみるのだ。

 

 

 

未来から時間は流れてくる

わたしは

そう信じてる