Maybe Tomorrow

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高校のとき、県民会館にレベッカが来るよ!と

同級生のみっちゃんが誘ってくれた。

記憶はあやふやだけど、たぶん行くまではレベッカをそこまで好きじゃなかった。

でもステージを駆け回って歌うノッコのエネルギーに鳥肌が立って、自分がずっと探してたのはこれだと思った。

エネルギーが人に伝わる感覚。

魂にふれてくるパワー。

 「ノッコのように歌うのだ」

それから毎日、心の中に音楽が鳴って勉強も手につかず

歌、歌、歌

歌のことばかり考えていた。

 

目立ちたいとか、アイドル的存在になってチヤホヤされたい動機ではなく、とにかくあの姿になることしか考えてなかった。

修学旅行、文化祭、出られる場所ではいつも歌っていた。

偶然、歌もうまかったので(謙遜はしないで書くけど)、文化祭で音響に来ていたスタッフという会社の人に声かけられ、大人の人や、秋大の人とバンドしたりするうちに、コンテストにも出るようになった。

高校の音楽の先生が大学時代のレコード会社の友人に紹介すると言ってくれ、友人のギタリスト・寺内タケシさんに歌手の道を頼んでやるぞ、と。

 

ただでさえ、バンドの人たちからの電話連絡を断ち切る両親。

説得する勇気もなくて、応援してもらえる気もしなくて、見えない未来にワクワクするどころか、突然怖くなった。

どういうわけか、バスガイドになって歌う道を選びますと断った。

わたしのために進学費用は捻出できない、弟が跡取りだからって口を酸っぱくして話していた親に、就職して歌うならOKもらえるだろうと踏んだ。

それでも親は難色を示し、さらにはその試験も校内選抜で落ちた。

不思議なことにホッとした。

たぶん、向いてないのを自分でよくわかっていた。

人を楽しませるために歌うとこまでいけてる自分じゃなくて、根本からなにか違っていたから。何か欠けてる自分を埋めてくれるのが歌だったから。

 

のんびり、デザインの勉強をしながらバンド活動でいいかなって軽い気持ちで選択を変えた。ほんとうに軽い気持ちで。

魂の願いを意識で簡単に塗りつぶすことができると思った。

 

デザインの専門学校は、バイト代でも払える金額で、修学旅行の費用を親に出してもらって、そっちのほうが高かったくらいだ。

でもいざ、学校に入ってバンドを続けようとしたら、大学生や社会人の人たちとのつながりが切れて音楽活動は尻切れトンボに。

次第にデザインのほうに傾いていく。

 

たいして才能もないのに、当時秋田で勢いのあったデザイン会社の面接を受ける。

その社長に作品を見た瞬間言われる。

うーん。ちょっとスケッチブック見せて。

作品とラフスケッチを見比べて言う。

君は何か自分に対して勘違いをしているね。

ラフのほうが現場では使えるものばかり。

作品は全然だめだ。

その辺の絡まりをほどいてから、この仕事にむかってください。

 

目の前真っ暗になって疑問だらけになってとぼとぼ帰る。

すぐに学校の先生から勧められた別の会社を受けることになった。

面接をしてくれた専務は、スケッチブックを見なかった。作品も。

笑顔だけで合格になった。

大きな会社が後ろについているデザイン会社で親は大喜びした。

それでいいかなって思った。

 

笑顔だけで受かった会社でわたしは、なんもしないで

お茶を汲んで、毎晩先輩上司たちと飲みに歩き、

時々、得意先や代理店の人とチークダンスを踊っていた。

ケツ触られたりもした。そんなもんだと思ってた。

 

デザインもやめて医療営業の仕事につき、お金のためだけに4年働いた。

決まった時間に決まった場所にいき、決まったことをして余計なことを言わずに帰る。

帰る道を照らす月を見て、自分は何をしているんだろうって何度も泣いた。

温泉に泊まりに行ったある日、地方営業の歌手のステージが終わったあと、お客さんで歌いたい人いますか?と司会の人がいったので手をあげて一曲歌わせてもらった。

すると「ちょっとこの歌も歌ってみて」「これも歌ってみて」とオーディションのようになり、もしその気があったら、この名刺に連絡をしなさいと言われた。

ちょっと整形はしないといけないけど…会社に話を通すから、と。

また、嬉しい反面怖くなって母に話すと、包丁を持ち出し、「歌手にするぐらいなら、あんたを殺して私も死ぬ」といった。

 

とりあえず苦手な営業職をやめることにした。デザインに戻ることでお茶を濁した。

テレビで吉田美和をよく見かけるようになった。

楽しそうに、心から楽しそうに歌っている姿を見て見てるだけで生き返る思いがした。

 

友達も仕事で悩んでいた。

二人で月に一度は歌いに行くようになった。

その瞬間だけ自分を取り戻す気がした。

でも、彼女が死んでしまった。

 

絵を描くことが大好きだった彼女が絵を描くのをやめて、日常に適応することを選んで数年後だった。わたしも似たようなもので。それでも時々、ふたりで思い切り歌を歌えばなんとか幸せに過ごせた。

 

死に突然向き合うことになってどうしたらいいのか何もわからなくなって、その恐怖を埋めるように、デザインの仕事に没頭しはじめた。

何日も寝ないで仕事した、休みもなく働いた。

仕事してると泣かないで済んだから。考えないで済んだから。

そんな日々を数年続けてある日、家から一歩も出られなくなった。

 

もう頭も心も狂いそうに苦しくて、言葉をブログに書き始めて押しとどめていた表現するという行為に没頭した。

するとそれを目にした映画監督とであう。

 

そのひとは私が、ないことにしようとしていた欠けの側のひとだった。

不思議な人が周りに沢山いた。

その人と関わった短い時間、自分は自分をマイノリティだと思っていたのに

実はマジョリティ側で、少し外れてるだけだと知った。

自分が思ってるより、ささいなことをただ恐れているだけの。

 それまでの人生で会うはずのない人を沢山知った。

コミュニティビジネスで億を稼いでいる人、ヒッピーみたいに暮らしていながら、月200万不労所得がある人、悪名高い宗教に心酔していた人。

ずっこけるほど想定外の人生を歩んでるひとたち。

おっきく欠けながら…おっきく輝いてる人もいた。

漫画に命をかけた人生、映画の配給に人生をかける人、絶命したゲイの作家の人生、その妻…ゲイの人たちの団体生活…

みんなそのままの自分を受け入れて当たり前のように存在してた。

わたしのほうが変わり者のように思えた。

 

どういうわけか、

ラフスケッチの線は生きてるのに、作品はクソだと言われた過去の出来事が何度も思い出されて…

それでも何を問われているのか、どうしてもわからないまま。

「みんなが丸く収まる」

それが自分の安心。

そういう選択をまたしていく。

 

そして今に至るのだけど。

 

欠けを、ないことにして普通に徹した時代。

欠けのほう側で歩かされた時間、

光と闇と思っていたものを一周する羽目になって

全て解決したのかって思っていたら、

次のらせんにまた突入して

 

欠けている自分が発するものが人の役に立ち始め

今度は、人から愛され

嬉しくって嬉しくって

欠けが埋まったように思えるけれど

やり過ぎて疲れ果てて、ふと自分を振り返ると

ぽっかり空いた大きな穴

 

それだけでは限界があることを知り…

そうじゃなくて

 

なんとなく

欠けてるのは自分だけじゃないから

もっとだから、

それを大きなものに使えるように

何ができるのかって

同じことを無意識、意識的にしている人たちと

力を合わせていくことを覚えたりして…

 

それもゴールじゃなくて

きっとこれからも

何度も何度も螺旋は続いていくんだと思うけど

 

なんとなく、

一番最初に軽い気持ちで間違えてしまった選択、

そこに立ち戻りたくて…

二日前、わたしを大切にしてくれる人たちに

バックで踊ってもらいながら歌を歌ってみた

 

そしたら、大きく欠けていたころの自分が

どうしても取り戻せなくて

当たり前だけど…愛されてない、

それを埋めるための歌はもう歌えなくて。

ボイトレもしてないの、まあまあ上手、

そんぐらいの歌しか。

 

ああ、そうかって。

 

 

 

遠い昔に確かに選択を間違えた

18歳から

本当は違うのに、軽い気持ちで、

みんなが丸く収まるってことを

選ぶことのほうが多くて

 

でもそれもわたしの優しさでもあって

いい、悪いってなかったのかもしれない。

親を説得してまで、夢に向かえなかった

自分を許せなかったのが本当で

少しすり替えて、

親の応援がなかったから夢に向かえなかったと

そう思ってると楽だったのかもしれない

 

いつも本当は

自分が許せなかっただけで。

勇気のない自分が

がんばりとおせない自分が。

 

それでもやっぱり、夢って。

本当にかなえたい夢ってとっても怖いから

叶わなかったら本当につらいから

人の応援がなかったら、歩いていけない。

がんばれという声

できるよ

きっと叶うよ

大丈夫だよ

見ているよ

信じてるよ

あなたならできる

力になるよ

そばにいるよ

気持ちは一緒だよ

がんばってくれてありがとう

 

そんな自分以外の背中を押す存在が

いつでも

うなずいてくれる存在がなかったら

到底、あるけない

 

だから

がんばれなかったのも本当だ。

 

 

夢はひとりじゃかなわない

 

 

そんなことを想いながら、

誕生会で応援してくれる人たちを目にしていたら

18歳の誰も応援してくれる人がいなかった

自分が浮かんできて、

たくさんたくさん遠回りをして

50のいま、こうしていて

ああそうか、

わたしは歌手になりたかったわけじゃなくって

あのとき、

鳥肌をたてて見ていたノッコのエネルギーに

いまだ惚れていて、

まだそれに近づこうとがむしゃらに

生きているだけかもしれない、って

そう気づいて

 

アホみたいだけど

 

それに付き合ってくれるみんなへの感謝とか

愛情とかありがたくてたまらなくなって

でも泣かないって決めてたから

絶対泣かなかったけど

 

ひとりぼっちで歩いてきて

ひとりよがりが身に付きすぎて

自分が馬鹿すぎて、今も泣けるけど

 

作品にはなれない人生も

ラフスケッチがイキイキしている人生も

いいも悪いもなくて

もう仕方のない、それが自分で

もうずっとラフ書いてればいんじゃね?

って思った。

 

 

そんなこと思いながら歌った

「maybe tomorrow」だけは

ちょっと魂はいってた…かもしんない。

 

幸せでも、欠けてなくても

歌える歌があるんじゃないだろうか。

あるよね。普通に。

 というか、

幸せになったら表現が終わるって思ってたのかも

とも思い当たって…

つまんなくなるんじゃないかって

満たされて何もしなくなるんじゃないかって

 

だけど、

 

 

でもそうじゃなくて

 

老いても

きっと

伝えられることはあって

衰えていくものがあっても

むしろ

人を幸せにできる

 

欠けていたころの魂の入り方とはまた違った…

なにか

いろんなことへのリスペクトのような

そんなものの存在がきっと

その表現のなかにあるんじゃないかって

あるよね、普通に。

どうしてそれに気付かなかったんだろう。

 

わたしだから、

歌うことはやめないって決めた

 

 

そして

もっと楽しくなっていいと

幸せになっていいのだと

ブレーキをかけていたものを

一つまた外してみることにした

 

 

ラフ書いて

作品作って

ラフをいつも超えられなくても

どっちもやればいいよね

どっちもすごい勢いでやればいつか…

 

それじゃ今までと同じだけどさ

このまんま生きたらすぐ倒れそうだけど

 

それでも

しあわせじゃん

 

 

とりあえず、みんなの意見で決まった

誕生会の日取りの1月4日は

亡き父の誕生日

 

 

父があの世から言ってる気がした。

 

お前はいい加減、気づきなさい。

ずっと愛されているんだよ

ずっと

はじめっから愛されていたんだよ

 

 

そうなのかなあ、お父さん。

きっと、そうなんだろうね。

でもね

どうしてだろう

 

愛されるってずっと怖かったんだよ

 

 

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夏の終わり

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昨日、信金さんと保証協会の方がいらして、

起業してから現在までの流れを報告する時間があって

 

この半年以上、何をやってたの?って見られる怖さから

過剰防衛でお迎えしたわけですが、

なんのことはない

むしろ、困ってることがあったら力になりますよって

そんな面接タイムだった。

 

それでもやっぱり、昨年末に掲げた目標金額に

到達する見込みがあるかと問われ、、

まったく理想には届かない現実。

 

 

 

でも、なんのために、

ライフヒストリースタジオマッシュルームと名付けて、

何をしたかったのか、

今年の前半は何をしていて、これから何をするのか

話しているうちに、よくわかった。

何も形になってないようでいて、

挑戦もたくさんして、自分なりのコンセプトに沿って

動いてきていた、振り返ってみれば。

…自分なりのコンセプト。

それはストーリー。

 

太田分校を太田町から失くさない「太田分校応援プロジェクト」。

トラウトを愛してる人たちに、トラウト愛を届ける別冊本「トラウトステージ」。

まちゃこや、大好きな人達と花ひらこうと始めた「hanaひらく」。

町内の各世代の心のつながりをどうにか繋ぎたかった「さるやまプロジェクト」。

トラコちゃんの写真を、寝たきりの旦那さんに届ける撮影。

高校や中学校吹奏楽部の想いを届ける、ポスター作りや動画制作。

動物愛護の施設作りに尽力したアロマスクール・ルベールさんの想いを届ける動画制作。

娘が通い、わたしの母校でもある小学校の50周年記念誌のレイアウト。

着物アレンジ和~夢の集大成ともいえる、思いの詰まったイベント開催にあたってのリーフレット制作。

ああ、そうだ。二月には秋田の名工のパーティーの裏方もあった。

これからの理容美容業界が少し変わっていくタイミングでの。

そして、歌うことが大好きな、

秋田の短大生シンガーソングライター梨湖ちゃんのCD制作もあった。

ひとりの女性の今までとこれからを描きたい「dress」撮影も。

そして「豆と味噌の学校」。

 

有償無償入り混じって、この8か月も、この先もまだまだ駆け抜けないといけなくて、ちゃんと、やりきれるのか怖くもなる。

 

断り切れなくて手を広げすぎたわけでも

出来ると思って出来てないわけでもなく

(自分のストーリーでないものは淘汰していくけれど)

やらなくてはと必死なわけでもなく

何かから逃れたくてやっているわけでもなく

かといって、

思った通りに、描いたとおりに

結果を得られているわけでもなく。

 

 

では、なぜ。

なんでこうしてるだろうって。

 

そういうラインに乗せられてるからだ、と思う。

見えないそんな流れがあって、

いまはそれをしなくちゃいけないような。

それがどこに通じるのか、何もわかってない。

それでもやらなくてはいけないんだ、それだけはわかってるような。

 

なぜか現れる助け人たち。

日々のスケジュール、組み立てるのが何よりも苦手だったわたしに、手帳術を伝授してくれる先輩や…日々の苦しみ、幸せ、なんでも毎日毎日話せる友達…。どんな撮影でもついていくよって、無償で同伴して機材もってくれる古希の先輩。何があってもイベントを手伝ってくれる仲間たち。そして本当の強さを教えてくれる、不自由な体でいつも愉快に笑ってる友人の存在。

 

ちびこの部活も、ちびこの学校の問題も

地域のボランティアも

大学生の仕送りも…

普通に頭も心も財布も痛いけれど

 

それでも必死ではなく、本気でやれてるのは

本当に本当に幸せなことなんだろう。

 

だけど…

この夏はしんどかった。

 

 

しんどくて一度だけ子供みたいに泣いた。

 

おさななじみと仕事していたら、ふっと子供時代の話になり。

 

 

それは

家の中でわたしが引き受けていたスケープゴートの話で

 

正直、もう何度も何度も乗り越えていたはずの

自分のなかの根深い記憶で

 

 

んがいったものは(あんたみたいな人間は)

クソのあてにもならない。

クソだって肥料になる。

んいがいったもの(あんた)、そのクソ以下だ‼

 

と、閉じ込められる押し入れの記憶と

どんなに許しを乞うても開けてもらえない

誰も助けてくれない

見捨てられる恐怖と無念さと自己価値のなさ

 

暗闇の中で泣き叫んで

泣きつかれて

これが現実なんだ

わたしは

何をどうしても愛されない

と、体に刻んでいく感覚

 

もしもこの襖があいたなら

全力で

お母さんに気に入られるために、嘘をつこう

ごめんなさい、わたしが悪かった

と誓って、

 

そして土下座をしてしまう自分を

心底嫌いになり

 

その怒りは

大人になって、少しずつ癒えるも

いまだ集団のお母さんたちが怖かったり

当時の母によく似た人が

怖くてたまらなかったりする。

 

 

夏休み中の小学校での先生との面談や

遊び相手のいない、ちびこの夏休みの生活

部活の送迎

慣れない久しぶりのお母さんたちとのやり取り

親しい人とのやり取りの中での言葉のすれ違い、

想いのすれ違い、現実のすれ違いや

思うように進まない編集作業、

結果を出せない自分への苛立ち

 

いろいろなことが積み重なって

 

クソの役にも立たない自分が

無力な自分が

そこにいて。

 

 

気づけば、幼馴染の前で弱音を吐いていた。

すると彼女は意外なことを言って

 

あの頃、一恵ちゃんが悪いんじゃないって

思ってた人は案外周りにたくさんいたと思う。

 

 

昔、わたしは恥ずかしかったのだ。

わたしだけ周りの友達の前で辱められ、

しょっちゅう、家の外に出され泣いていたその声を

みんな知っている、でも助けてくれないのは

わたしが悪いからだ…

そう思っていた。

 

だから、不意をくらって

わんわん泣いてしまった。

 

 

昨日今日大人になったわけではないから、

母の当時の気持ちも

もうとっくに理解できるし、

この人はそういう人だってよくわかってる。

飲み込んだつもりだった。

それも、何度も。

 

 

幼馴染は続けた。

 

人とのかかわりって、結局

親子関係が全部影響してるよね。

恋愛でもなんでも人間関係が上手くいかないときは

親とうまくいってない何かがあるから。

 

そう、年末に母と喧嘩して以来

自分のなかで許してない何かがあった。

 

幼馴染の家を出て

少し考えて母を食事に誘った。

娘たち2人とあわせて4人でランチに行くことにした。

 

母はうれしそうだったけど

わたしをいつ怒らせるかと気を遣っていた。

いつもは外食に行っても、

家で食べたほうがマシだったな、

と言うのだけど、さすがにそれは言わなかった。

クルマから降りても

ありがとうって最後まで言わなかった。

 

 

ちびこの夏休みも終わりに近づいて

長女が東京に帰ることになり、

秋田駅に送る道すがら、ちびこの剣道の試合までに休みがあるなら

東京に来い、東京に来い、という。

仕方なくその夜、高速バスにのり東京へ向かう。

行ってみると、朝に弱くて

いつも待ち合わせに遅れるはずの長女が

待ち合わせ場所に早々いて、

ちびことわたしを、自分の連れていきたい場所へ案内し

誰よりも嬉々としている。

その夜、長女はわたしは幸せに暮らしてるよと、

自分の生活を見せてくれ、

バイトも始めたし、仕送りも減らしてくれていい

進路は…就職は来年しないと思う。

でもなんとかやってくから大丈夫、と言われる。

 

普通の親なら

ちゃぶ台ひっくり返していいのかもしれない。

どんだけの学費…お前…

と、5分だけもがいて、わかった。と納得する。

自分の人生、自分で責任取りなさい。

これまで頑張ってきた自分に恥ずかしくないように。

 

帰りの道すがら、ふっと思う。

ものわかりのいい母親づらは、

自分の母への当てつけかもしれないなと。

 

こうでなければ絶対許さない

 

その枠にどうしてもハマり切れずに

悪いことしてないときも

罪悪感の塊として生きてきて

 

それがなかったら、普通に

ちょっと変な女の子でも居場所があったかもしれない

 

 

家にもどこにも居場所がなかった自分は

いま

同じように居場所がない私のような子供やちびこが

生きられる場所を残そうとしたり、

自分なりに創ろうと四苦八苦している。

 

オセロのゲームが黒から白に

なっていく最中なだけ

 

 

 

全部、それでよかったんだ。

わたしのせいではなくて

母のせいでもなくて

 

全部、決まっていたことだったんだ。

 

 

その翌日、ちびこは部活の大会で

疲れた体で試合にのぞみ、

コテンパンに負けたのだけど、

強化チームの練習があって、なぜかその現場を

見せてもらえることになった。

とても短い限られた時間のなかで

強い選手たちが、先生の胸を借りて

掛かり稽古をしてもらっていた。

ものすごい迫力で、先生たちも手加減なし。

その様子を見ていたちびこが、モジモジしはじめる。

目の端でそれをとらえながら、黙って練習を眺めていた。

「お母さん…お母さん」

やっと、ちびこが思いを言葉にし始める。

「お母さん、わたしもやってみたい…」

私を動かせようとするのを無視して、

「自分で先生に頼んでみなさい」

と、心を試す。

しばらく迷っていたちびこが、やっと意を決して先生の所へ行く。

「わたしも入ってもいいですか?」

先生は無言で頷いて、素っ気ない。

正直、一番へたくそなちびこが入ることで

選手のみんなの時間も減ることになる。

それをわかっていて、

それでも自分からその輪の中に飛び込んでいった。

よし、と思った。

とはいえ、先生は思いっきり手加減してくださってた。

そして、

「よく勇気出したな、その気持ち忘れるなよ!」

と最後に声かけてくださって

その瞬間、ちびこは号泣していた。

「ありがとうございました」

と、深深と頭を下げていた。

 

そして、夏休みの宿題は終わってなくて

登校日の朝まで親子で対応に追われ、夏が終わった。

 

 

部活があり、迎えに行く準備をしていると母が来た。

手にハンバーグをもって。

これ作ったから、ちびこに食べさせてあげて、と。

そそくさと手渡して、玄関から出ようとした瞬間、

「こないだはごちそう様。ありがとね」

と言って、去っていった。

 

 

 

長い時間の流れのなかを、いい時も悪い時も

ただ歩いてるだけだ。

いつも、結局そこに落ち着くんだな、

と思いながらクルマに乗ったら、

カーラジオから

加山雄三の「君のために」という曲が流れてきた。

 

父が大好きだった青大将。

ちがう、それ田中邦衛だ。

若大将ね。若大将。

 

いつも風呂でわたしの体を洗いながら歌っていたな。

あ、でもあれは「君といつまでも」か。

その曲じゃないんかーい、と

天にツッコミ入れたくなったけれど

流れてきたその曲は、とても素敵な曲だった。

男の人が出会った女性をとてもまぶしく思い、

心から愛してる歌。

 

 

涙が出てきた。

 

 

わたし、お母さんにそんな風にいて欲しかったんだな。

愛する人の子供を育ててることが

幸せでたまらないって

そんな風に

生きててほしかったんだな

 

そして私自身も誰かから

そんな風に愛されていたいんだ

 

 

たくさん、たくさん飲み込んでもなお

ここまで歩いてきた私に

その資格あるって

思っていいよね

 

自分にそう言い聞かせた。

 

 

2019の夏も終わる。

 

youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.7.10 赤い彗星

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娘さんの靴が隠されています。

学校から連絡が入ったのが6月。

 

娘からちらっと聞いていた。

違う人の靴箱に自分の靴が入っていたり

別の場所に持ち物が移動していることがあると。

誰がやってるのかわかっていて

本人は気にしてない。

わたしは

仲のいい男子のからかいか、と思ってた。

 

が、先生から話を聞けばもっと事態は深刻。

実は嫌がらせはもう1か月も続いていて

聞き取り調査の結果を聞けば、

からかいなどではなく、

我が子不憫で胸が痛むこと多々、そして

私は許しても周りは許さない、

本人の出来不出来をはっきりと聞かされる。

10年前の長女の時の子育てよりも

子ども同士の中で寛容さがないのを忘れていた。

 

いつかはと予想していたが、今来たか。

と、腹に重たいものが入った。

 

本人も知らなかった、嫌がらせの全てを

本人に話す。

そして周囲がどう思ってるかも全て話す。

まじかーそこまでかーと、受け止める本人。

伝えるのは辛かったが、

しらないままにもしておけない。

そして、気づかないできたことにも

ほんの少しウケた。

 

 

先生は、クラスで話し合いをして

ここで根絶やしをしたい、

そのため、お子さんの名前をクラスで出していいかと。

先生からは、その場でもこれからも

全力で娘を守りたいという意志が感じられた。

そしてクラスの生徒を正しい方向に導く決意も。

それはありがたかった。

 

だけど、何か引っかかる。

クラスのみんなの前で、先生にかばわれて

背中を小さくする娘。

ただ守られるだけの存在でしかないと感じながら

自分のことなのに、自分以外のひとの言葉が飛び交うのを聞くのか。

 

 

娘と話した。

初めて娘と真剣に話したかもしれない。

まっすぐ目を見て聞いた。

あなたはどうしたい?

 

しばらくして、

被害者扱いだけは嫌だと彼女が言った。

 

だとしたら、自分の言葉でみんなに向かって話してみるか?

まっすぐに。自分の気持ちを。

先生じゃなくてあなたが。

 

娘はかなり考えて、目に涙をためて答えた。

「言ってみる。怖いけど言ってみる」

 

 

そのあと娘に、自分の気持ちを話した。

去年も娘はクラスのひとりの男子に毎日罵倒されていて

それがきっかけというわけではなかったけれど

少し学校に行けなくなり、

おさななじみたちとも遊べなくなった。

遊べないというよりも、関係が少しずつ変わってくのに

ついていけなくなったんだと思う。

なんとなく入っていけなくなったことを

認めることもできなくて、考えるのも対処するのもやめて

ただただ二次元や漫画で緩和して

一人で過ごすようになった。

 

時々、クラスのお友達のおうちで遊びに連れてってくれた。

週に一度のバトンでは、

新しくチームに入ってなじめない子を率先して仲間に入れたり

いじけやすい子のそばにいたり、

みんなの輪を保ち、楽しく過ごすようになっていった。

 

 

そんな一年が過ぎ、わたしの心もだいぶ落ち着いたころ

突如、剣道をやると言い出した。

新しくクラスメイトになった子がやっている部活を見に行ったら、

どうしてもやってみたくなったと。

 

運動嫌いなのに、と、こちらは腰が抜けるほど驚いた。

ママ友恐怖症から抜け出せないわたしは、

正直、スポ少だけは勘弁してほしいと思っていたけど

ひとりでダラダラこもる姿を一年見続けたあとだけに

両手あげて賛成した。

 

だから、

お母さんはその時思ったよ。

あなたのなかに、これから目覚めてく

ほんとのあなたがいるんだと。

一年間、逃げて逃げて、だけどそれじゃいけないって

自分で自分を見つけ出そうって

動き出したんだなって。

そして剣道部に入ってすぐに、あなたが言った。

おじいちゃん先生がすごく厳しくて、

でもその先生の中にある「何かに認められたい」って。

そういうものが、これからあなたの柱になっていくんだなって。

今はダメダメでも、そこには程遠くても

自分でこれだったんだ‼って思うものに出会えたんだって。

そんな自分になるために、今回勇気出してみるのは

とても大事だと思う。

勇気があったなら、本当はどうするか。

そういう自分になったつもりで行動してみて。

裏にあるものならば、表にだしてみんなにも考えてもらって。

誰か一人でもかならず、その勇気に心動くひとがいるかもしれない。

 

 

嫌がらせを受けていたこと

嫌がらせを受けるのは嫌だということ

嫌がらせを受けるだけの何かが自分にはあるのだと思うこと

でもそれは直していく、私は変わる

だからみんなも変わってください

わたしのダメなところだけ見るのはやめて

良いところもみてください。

わたしは剣道を頑張っています。

 

 

彼女が伝えたのはこれだった。

 

 

少し味方が増えた。

目に見える悪質ないやがらせは消えた。

でも、何もかも解決したわけじゃない。

相変わらずなんとなく避けられたり

ついていけてなかったり。

 

だけど、うちらは

この問題を1週間で腑に落とした。

下手したら、このあと何か月も

もしかしたら一生引っ張ったかもしれないものを。

 

それでも、みんなの前で話したあとの娘、

平気な顔して一週間過ごして、そのあと

バトンでできない技ががあり悔しいと涙こぼし始めたら

止まらなくなって、えんえんと泣いていた。

そして最後に、

ああそうか、わたし本当は傷ついてたんだなあ。

と言った。

 

そうだね。やっと泣けて良かったね。

ちゃんと自分の気持ち、わかれてよかったね。

これで終われるね。

よかった。

 

と、わたしは言って。

 

 

嫌なことはまだまだ続いてるけれど

そんなことより

部活の初大会のことで大騒ぎ。

 

チームの仲間のやさしさ、先輩たちの心のまっすぐさ

みんなが自分を育てるために頑張ってる空気、

見守る父兄、コーチたちの姿…

 

ここがあるから、負けないでいられる、と。

 

ちゃんとした礼をもって人と闘う、

相手の懐を借りて真剣に向き合って、

自分を鍛えさせてもらえる、

そんなものに巡り合えて、

何がいいことで悪いことなのか、

よくわかれた気がする、と。

 

試合は命がワクワクする。

 

それでも3試合目でコテンパンにやられ嗚咽。

それを先鋒の男の子が、一心に慰めてくれていて

本当に感謝の想いしかなかった。

ありがとう。

 

 

今日も部活を頑張っていた彼女。

宿題も部活前に終わらせて、ドヤ顔。

ほんとうは月曜日にまた悲しいことあったけど

ちゃんと前見ている様子に胸打たれ

食べたがってたラーメン屋に連れていく。

 

こないだまでは、一杯食べるのも大変だったのに

大盛ラーメンをぺろりとたいあげて

笑ってしまうと同時に、

いつの間にか、大きくなってしまったなという

一抹の寂しさ。

 

帰りの車で娘がいった。

 

お母さん、わがまま聞いてくれてありがとう。

ごめんね。ラーメン。ありがとう。

 

ラーメンぐらい、

ラーメンぐらい、

ラーメンぐらい。

 

何杯も食わせてやるし。

 

負けるな。

負けるな。

 

負けない。

負けないんだよ。

 

自分に負けたりなんかしないんだ。

いいものも、そうでないものも学校にはあふれてる。

それは社会も同じだ。

 

誰のせいにもしないで、

今見つめてるものだけを追いかけて歩いていこう。

きっと、あなたらしい花は咲く。

必ずそうだから。

お母さんにそれを見せてね。

 

誰が笑っても、お母さんは素敵だなってきっと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019 3月 魚座新月

2018年が止まらないまま、休みなしで仕事してきて

やっと色々、納まるところに納まって

保留し続けたスタジオの準備に取りかかれそう…でいて

取りかかれない、という現実。

 

怒られるかもしれませんな。

スタジオでご飯食べる気なくて。

借金まで背負っておきながら。

でもなんだか、長いことウダウダ考えてましたが

ここでの写真撮影は偶然の出会いに任せようかと。

生活費は別で稼いでいます。

その重さたるや…

 

まあだから、すり減るまで頑張らない…

いや、頑張れない自分に気づきました。

あれもこれも、無理。

ここでも結果出すとかって無理。

ちょっと心を空っぽにしたくなりました。

 

起業したら、お金稼がないといけない。

アピールはこんな感じでやらないといけない。

何が成功で何が成功じゃないとか

写真が嫌いになりそうになって

待て待て待て。

仕事でちゃんと稼いでるんだよね。

どんだけ自分に期待してんの?

 

 

とりあえず原点に戻ることに。

稼ぐ仕事じゃないものに関しては

行き当たりばったり

出会うものに導かれるようにやってきた。

そして

日々、出会う人たちに

本当に救われてきた。

 

みんな各々、とても素敵なものを持っている。

たくさんのこと教えてくれます。

自分だけじゃ気づけない、たくさんのこと。

 

分校の先生たちも、生徒たちもそうです。

目には見えない何かへのリスペクトの心を感じます。

 

もしかしたら、わたしの報酬って

わたしの財産って

お金じゃないんだ。

 

そういう自分でいいということにしました。

ままごとって責められることもあって

でも、なんでそんなこと言われないといけないのか

呑み込めないまま、罪悪感もちながら、

しっかりやろうとしてきたけど

あれ?

仕事で稼いでるし、いいんだよね。

ままごと、ただ楽しんでも。

 

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話は変わりますが、

ちびこはどちらかというと、教室のカースト

かなり下のほうにいるらしくて。

本人曰く。

「いつかすごいひとになって見返してやる」

「いつか有名になって皆に認めさせてやる」

「その時には遅いんだから」

と、言うようになってきました。

 

…胸が痛む。

思い出しました。子供のころ。

わたしもそんなことを思っていたなあ。

 

そうやって自分を保つことが、

誰よりも「自分の今」を認めてないってことに

気づかないまま40代になって

そんな思い癖を引っ張って生きてきて

何もいいことはなかった。

 

誰が何と言おうと、今のわたしは素晴らしい。

 

誰が何と言おうと、今のあなたは素晴らしい。

 

わたしがいいと思ったらそれで良し!

シミしわ白髪、それで良し!

老いもウエルカム、それでいい。

 

 

何もかも忘れて好きになろう。

もう思いが溢れて溢れてたまらないぐらい

ただただ何かを心から。

本物の自己中が一番優しいんだよ。

 

ほんとの強さ、自分のなかに見つけよう。

お互いに。

お母さんはあなたが大好きなのだ。

それでいいじゃん。

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2019-1.10「それでいいのだ」

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昨春から子育てに関して

意見を交わしていた人が居て、

まあ、意見を交わすというよりも議論に近く、

相手はマジョリティ、わたしがマイノリティ側として

話し合うと真っ向から意見の相違。

でもどうにかして協力しないと先に進めなくて

こちらの思うことや、感覚もしっかり伝えつつ

相手の言ってることも自分のなかに感覚として落としていった。

相手は、私の言うことがわかるようでわからないという感じ、

どこか「この人論点すり替えてる」といった疑いを残したまま、

でもそこで切るのだけはやめようと、

話し合う姿勢、耳を傾ける姿勢は保ってくれていた。

 

時々合意できそうになったり、

相手側を否定したくなる気持ちが抑えられなくなったり、

そんなことを繰り返して一喜一憂しながら年末を迎えて。

最後の最後に、あなた側にとってそれが一番いいことですよ、と

マジョリティ側がマイノリティを理解したつもりの提案があった。

が、それが思いのほかこちら側を追い込んで、

子どもと二人で泣いた。

 

それで被害者ぶるつもりもなく、

こちら側の想いをまっすぐ伝えた。

それで事足りた。

が、思わぬ副産物として子どもがしっかりした。

やべ…って思ったらしい。

 

それでプラマイゼロ。

なんとなく諦めた。

違うんだから、どうしようもない。

ほんとうにほんとうに伝わらないんだ。

何を届けても相手からの目線で見ればたしかにその通り。

それ以外の見方、感じ方で

こちら側を理解してくれることはないのだ、と。

 

その件は自分の中でもう終わることにした。

でも、話せばわかるかもしれない

と、思っていた時に見ていた希望の光が消え、

これから何を支えにやっていけばいいのか小さくフラフラした。

でもとにかく冬休み、子どもとたくさん話して

笑って、料理作って、お菓子作って、

いま何を読んでるのか、どんなゲームしてるのか

一緒に興味持って楽しく過ごそう。

そう思ってたのに、

もりもりと仕事に追われて、

気づけばもう冬休みも終わりに近づいてる。

 

とにかくなんとか時間を作りたくて

猛烈に猛烈に頑張って、

でも必死な時ってトリガー引いちゃうみたいで

どういうわけか行く先々で、

何気ないことから相手が急にチクチクしてきて

それは私が空気読めないとか以上に、

普段はどこにいっても笑顔だらけなのに

どこいっても近しい人がぶつかってくる。

余裕のない心にやめてほしいくらいに。

というか、

自分が疲れ切ってるから些細なことも

切りつけられるように感じるのだろうな。

 

そんなこんなで人には会いたくないし、

仕事は待ったなし、

イベントなんか行ってる場合じゃなかったのに

義務で参加した講話会。

講師の方が子育てに関することで話されたことが

日ごろ私が、前述の意見交換相手に話してたこととそっくりで、

妙に救われた気持ちになっていたら、

意見を交換していた相手も同じ会場にいたのだった。

 

そして、その方に

いまの話、とてもよかったですねと呼び止められ、

あなたが言ってたことと全く同じだと思って聞いてました。

あなた、間違ってなかったんですね。

あなたの子育て、間違ってなかったんだ。

これからも頑張ってください。

あなたの持ち味生かして。

 

そう笑顔で言われて不思議な気持ちに。

今更、、、、もう諦めてから理解してもらえた…

正直、発言者に肩書や資格があるとマジョリティには

ちゃんと伝わるのかってのも思った…。

けど、

ほんと決着って、そう感じた地点から離れた場所に、

思いがけないところにあるんだなと再確認。

だから、いつも何もわかったような顔できない。

 

 

子育て、

 

間違ってないとは思えない。

でも、これで精一杯なんだよ…

なんでも出来る人から見たら、あほみたいだけど。

ほんとに、精一杯なんだ。

 

それでも

仕事もなんでもかんでも一生懸命頑張ってる。

それは、ただただ

子どもにこんな生き方もあるって

あなたとそっくりなお母さんでも、

こうして社会で生きていけるよって

ただただ、子どもに未来を信じてもらいたいからだよね。

頑張ってるんじゃなくて、頑張れてるんだ。

わたしも未来を信じたいから。 

 

だから、

笑ってる。

だから、

頑張れる。

 

だから、

周りには

応援してほしいよね。

 

だから、

わたしも周りの人を応援したいよね。

 

だから、

怒りや否定はノーサンキュー。

 ぶつけたいのを拾ってしまうのも。

愛で返す余裕も今はない。

 

外では笑ってしっかりやって、

一歩内に入ると

しんどいしか言ってない。

 

でも、それでいい。

 

自分を丸ごと愛したい。

そして

子どもにも周りにも言いたい。

 

「何があっても、それでいいのだ」

 

 

 

 

 

 

 

2019-1.6 新月「amore」

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昨年、父が亡くなったので

新年のご挨拶はできないのですが、

2019年もどうかよろしくお願いいたします。

 

年末年始は悲喜こもごもでして、

2018の自分が必死だったことが

なんの意味もなかったような気がして

心底悲しくて泣いたり、橋の上で叫んだり、

たくさんメッセージをいただいたり、

歩いてたら突如、プレゼントのマフラーを首にかけられたり、

懐かしい面々から元気な顔見せてもらったり、

ほんと色とりどりな中、仕事は山積み、

お正月休みもないままに松の内も終わる。

ですが、2018と2019は続いてると思うことにした。

もう去年から始まってることが何件かあって、

一つ一つ形にしていかないといけなくて、

無理に元気でポジティブにするのが嫌いなので

なんなんだよおー

ちくしょー

とか正直に言いながら、奥歯かみしめながら

ただ前を向いてます。

そんな2019の幕開け。

 

こんな個人的なこと書いて意味あるのかわかんないけど

このブログを楽しみにしてくれてる

奇特な人々がいることがわかり、

まあ今年もめげないで書いてみようと思います。

新月と満月の日だけでも。

 

昨夜は、10歳の娘がお友達のおうちにお泊りで、

二分の一成人式の記念にと着物を着せてもらっていた。

とっても嬉しかった。

最近は、次女のことばかり考えて、

よその子たちのことまで、

心から思えなくなってた自分を恥じた。

ちょっと目が覚めた思いがした。

色々つらかった4年生。

冬休みに最高に幸せな思い出。

本当にありがたかった。

 

 

そして20歳の娘は、

中学時代の吹奏楽部の仲間と先生も招いて初の飲み会。

幹事で大張り切り。

その帰り、小学校時代からの仲良しが泊まっていき。

それこそ、二人は10歳ころにピアノで連弾し、

喧嘩ばっかりでハラハラしてみてた。いつも。

いろんな時間を共有して、好きも嫌いも超越して

何かあったらこの人がいる、

そんな仲になっていったなあ。

 

次女にもそんな出会いありますように。

いや、わたしが心配しすぎなだけで

もうあるのかもしれないよね。

 

 

年頃になったら、だれかわからないぐらい

けばくなるのを覚悟していた長女が、仲間の中で

意外にも誰よりも地味で小学生みたいで笑ってしまった。

すると、

教職も考えてるからそれでいいのだと

長女はきっぱり言い切った。

吹奏楽部の先生か…

そうだね、出会ってなかったらきっと

何もかもどうでもよかったよね…

先生が大事なことたくさん教えてくれたよね。

なったらなったで大変なのはよくわかるけど

それでも、どっちがいいんだろう。

大好きなものとともに生きていけるのと、離れてしまうのと。

未来。

これから気が遠くなるほど大変なことばかり。

でも、未来。

新しいことがいっぱい。

いいことも悪いことも、

なにを持ち帰ってきたとしても

どーんと受け止める強い母でありたい。

だから失敗を恐れないで、思いっきりやりなさい。

 

 

正直、成人式のことまで手が回らなくて、娘に

「全く思われてる気がしない」と言われちゃったけど

でも私、ほんとのピンチは必ず助けるし。

そういったら

「それは知ってる。あなたは必ずそうするって知ってる」って。

あたしんなかでは、そこだけだった。

大事なの…。

 

でも反省して振袖も買っちゃったり。

今更ながら着付けをしてくれる人に

無理いってお願いしたり。

本当に助かった…

そしたら今度はそれが楽しくなっちゃって

仕事から気持ちが離れる。

ほんと、どっちかしかできない。

 

 

時々、母なのも忘れ

現役の夢見る少女だもんで

子どもたちに申し訳ないのだが、

やらねばならぬことがたくさん。

 

これからも「何屋」にはなれないまま、

でも、

あなたに頼みたいと手渡された案件を

一つ一つ形にしていく、

それを

納得できるようやっていきたくて。

 

2018、自分の限界まで純粋になろうと思ったのに

年の終わりには、へたれちゃってた。

でもなんかつかめたから、

戻れないぐらい深いところまで降りて、

2019は覚醒したい。

いわゆるビッグになるとか、

認められるとか、活躍するとかではなく、

本質的なところでの「覚醒」。

静かに、静かに。

 

仕事するひととして、母として、人間として。

そして、一人の女として。

 

youtu.be

 

350/365 虹色の光

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夫の父…義理の父が亡くなって15年ぐらいになる。

その朝、ものすごい夢を見て飛び起きた。

ベッドの隣で眠る5歳の長女、

長女を挟んで向こう側にいる夫はまだ眠りこんでいて

カーテンのない寝室には昇る朝日の光が立ち込めて、

現実に戻るのに少し時間がかかった。

 

前日に雄物川が流れる、とある山に行ったのだ。

親友を亡くしたばかりで、立ち直れない私は

彼女が亡くなる少し前にすがっていた…

命を助ける水がある場所を訪ねた。

どこでもよかった。彼女の面影を探していた。

でもその場所に入った途端、ああ違う。と思った。

これは本物じゃない。

何とも言えない気持ちになって

すぐさまその場を去った。

そして車を走らせた。

 

車を路肩にとめて、山の斜面を登った。

かなりの高さまで登って蛇行する雄物川を眺めた。

ほんとうに蛇のように川はうねり、流れは生きていた。

斜面に体育すわりをして何時間も川を見ていた。

鹿嶋さんの舟が岸辺に流れ着き朽ちていた。

見えないけれど水の中にはたくさんの生き物がいて、

枯れた葉は養分になり、土は水をろ過し…

巡り巡る様々なことを思った。

みんな生かされてる。

命はリレーしている。

だけど、彼女はいない。

ただただそう思った。

いつまでも寂しがるなんておかしいよ、と

人からあきれられていた。

違う。

寂しかったからじゃなくて、

飲み込むことができずにグルグル回っていたのだ。

死ぬということを。

昨日まで確かにここにいた人が居なくなってしまうことを。

 

その翌日だった。

夢の中、自分は空を飛び、蛇行する川を俯瞰して見ていた。

突然、虹色の光に包まれた。

そのひかりの中にものすごい勢いで吸い込まれていく。

感じたこともない感覚が襲う。

セックスでも味わったことのないような

ものすごい快感だった。

あまりの気持ちよさに息ができなくなって目が覚めた。

そのあと、しばらくして電話が鳴った。

夫の実家からだった。

「今朝突然、眠ったまま、お父さんが死んでしまった…」

 

弔問客のべ1000人。

ただただ人を愛していた人だった。

 

最後に会ったのは義父が死ぬ一か月前で

会った途端、何故かわからないが、

義父が死んでしまうと悟った。

義父はわたしに自分が好きな納豆の食べ方を

丁寧に教えてくれた。

伊藤家直伝の食べ方だから忘れないでね、と言った。

納豆の膨らみ具合…卵を入れるタイミング、

あおさを入れるタイミング、

笑っていた。でもとても怖かった。泣きたかった。

そのあと、夫の三番目の兄夫婦や夫に

「お父さんが死んじゃう」と意を決して話した。

夫は信じてくれなかった。

三男夫妻は外国にいたので気に留めてくれ、

お父さんと連絡をとってくれた。

そしてそれが最後の会話になったよ、ありがとう…と、

お葬式のあとで、三番目のお兄ちゃんがそっと教えてくれた。

 

 

 

亡くなった友人に言える言葉があった…

そんな気がした。

抗がん剤治療を受けていることを自覚しながら

家族がガンではないと言い張る言葉にすがる彼女の前では

たいした病気じゃないふりを、お互いにする他なかった。

病室で笑いあって、ほんとうのことを話さないで

笑ったままドアを閉める。またねと言って。

その直後から止めていた涙があふれる。

本当は本当は、

心細そうにしている小さな少女が

暗闇から手を伸ばしているのが見えるのに。

 

いよいよ病状は悪化して

もう病院での治療も終わり、自宅療養になったころ

仕事場に彼女から連絡が入った。

なんでもないことを少し話したあと、

彼女が何か言いかけた。

そしてやめた。

…なに?どうした?

いいかける彼女は、言葉がみつからないようで

そしてわたしも頭が真っ白になった。

ううん、いい、じゃあ…

そう言って、彼女は電話を切った。

 

そのあとは亡くなる二日前に5分だけ会って

次は亡骸の額をなでていた。

 

まるで別次元にいるみたいに

かみ合わなかった電話のあと、

そんなに楽しく生きているわけではないのに

自分がいる生のベクトルと

死に向かうベクトルの違いを思い知らされた気がして

夜眠る前に

死が身に迫っている状態を体感しようと思った。

どうあがいても余命宣告され、

死が身に迫る感覚にはなれなかった。

所詮、、、人は…

本当に一人で死んでいくしかないのか…と

分かち合ってあげることもできないのか…と

布団の中でむせび泣いた。

そのまま眠りかけた時だった。

布団の四隅から暗闇が押し寄せてきた。

自分が飲み込まれていく。息ができない。

恐怖で心拍数が上がり、

布団のへりを指で握りしめていた。

寝汗でぐっしょり濡れていた。

こんなものを、と思った。

こんなものを抱えるのが日常だなんて。

 

そして彼女は亡くなって、

お通夜、火葬、お葬式での弔辞の準備、

遠方からくる友人やその他の友達へのやり取り

仕事はちょうど締め切りで入稿日、

丸二日寝ないで読んだ弔辞。

お葬式が終わったあと、うちで友達たちと飲んでいて

別の部屋に物を取りに行ったとき、

そのまま、ソファーでふっと眠ってしまった。

夢のなかでわたしは暗闇の中を歩いていた。

石畳のような感覚、周囲に飛び交うたくさんの声、

人がすれ違っていく気配。

チリーンチリーンと鐘の音があちこちから聞こえて、

みんながどこかに向かって歩いている。

わたしも何も見えないけど歩いている。

すると急に明るくなってモノクロの景色が広がり、

彼女が目の前の岩場に座っていた。

そして何か言った。

聞き取れないままテレビが消えるように

真っ暗になって、目が覚めた。

 

 

そんなことがあって、

一年ほどしたころの義父の死だった。

その時に見た虹色の光、

味わった感覚に救われた思いがした。

あれがそうなら、あれがそうならいい…。

年月がたつほどに、その思いは強くなる。

 

 

彼女に伝えたい言葉は

なんだったのだろう。

 

行かないで

わたしが、行かせない

必ずまもるから

 

想いと想いがつながれば、病から

引き戻せると思ったのはなんでだろう。

今もそう確信しているけれど。

 

 

でも何も言えなかったし、何もできなかった。

そんなもんだろう。

そんなことはわかっている。

でもそれで話は終わりじゃなかった。

 あの世とこの世はつながっているらしい。

 

その後、ごく一部の人としか関わることをやめ

失うことを恐れて

引きこもっても

人と出会う方向に向かわされ、出会った人を通して

与えられた命を生かすことを教えられた。

 

もういいんだよ、もういいからさあ、と夢の中で、

きれいな服を着た彼女が、けらけら笑っていた。

 

彼女の夢を見たのはそれが最後。

それから

二人分背負っていたのをやめた。

 

そこから、12年間止まっていた時間が動き出した。

 

 

この世の物質はすべて、

人間さえも素粒子でできてるんだから

わたしはスピリチュアルも宗教も信じないけど

息子が反抗期で口をきかないときも

わたしの愛の素粒子を息子に送ったのよ

と、近所のイシカワ先輩が言ったとき、

ああ、そうかと思った。

 

人間の本質は光

 

宗教もスピもわたしも苦手だけど

そうかもしれないと思った。

 

 

とらわれず 自由で

すべてをつつみこんで

一生懸命かがやく光になって

 

いのちのふるさとに還る。

 

 

現実は相変わらずのままの、ちっこい私と

見えない世界を感じ生きている私、

わたしが二人、

手に手をとりあって生きている。

ほんの少しだけサイキックになった。

人が何故、こころや体を病むのか、

目の前の人が何を必要としているのか

何を恐れているのか、

本当のことが、わかるようになった。

それで嫌われることも増えたけど

好かれることも増えた。

 

でもそんなことはどうでもよくて、

一番よくわかったのは自分のこと。

それ以上でも以下でもない

わたしはわたしだということ。

そして、わたしはみんな、なのだ。

 

 

いま、

最後は何も持っていけないのに

あくせく働いているけれど

本当は毎日毎日、奇跡を感じている。

お腹いっぱいになるぐらい。

何にもいらないけど、精一杯やるしかない。

わたしにできることを。

 

 

 

 

もうすぐ2018も終わるなあ。

 

たくさんのこと、ありがとう。

体を大事に…

残りの半月も、一日一日大事に…

恐れないでありのままで。