わたしを忘れないで 015/365

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咲き誇る華やかさ、散り際の潔さから日本では「優美」「精神の美」「純潔」という花言葉を持つ桜。

が、フランスでは「私を忘れないで」という花言葉をもつのだそうです。

Ne m’oubliez pas

なんて読むのかわからんけど…(;'∀') 

 

中学生のとき、大きな川を渡って歩いて40分以上の学校に通っていました。

桜並木でわりと有名な新屋という土地で、春は花びら、初夏は毛虫を避けるため、晴れていても傘をさして歩いたりしていた。わたしだけかも知れませんが。

その後、20才まで新屋という地区で学生生活をまっとうします。

 

高校を出てから、美術系高校の専門課程に入学。本当は歌がやりたかったけど、そこはモラトリアム。時間稼ぎのためにバイト代で授業料が払えるその学校へ。秋大の方々やスタッフというスタジオの方とのバンドを掛け持ちしながら腰掛けの気持ちで通い始めました。今思うと残念な選択です。自分にとっても学校にとっても。

が、そこに通い出した途端、息がつけるというのはこういう感覚か…と思うようになりました

小中高、窮屈だったのが、気づけば不思議な人に囲まれていて。それぞれの個性を絵やデザインにぶつける、それまでとは違うものが求められる世界。ほんとうに自分の魂からそれが出ているのか? 一瞬で周りにバレてしまう。向き合っても向き合っても何も出てこないときの焦り。そんなスランプのときに限って親友がインスピレーション絶好調だったり。その作品をみて完敗し、自分とはなんだ?自分の絵ってなんだ?と考えたり。遊んでばかりのようでいて大事なことを考えていた時期。とても濃い2年間を過ごしました。今では通って良かったと思っています。

 

そのときの仲間とは今もつながっています。ただ、輪の中心にいた一人は死にました。

 

亡くなった彼女からもたらされたインスピレーション、イマジネーションは、特別なものでした。彼女が絵を描く姿が本当に好きで魂がワクワクしました。ケンカもいっぱいしたけれど、わたしは目の前で彼女が生きてることが幸せでたまらなかった。不器用でへんてこりん、でもどこか純粋で。いろんなこと抜きに彼女の存在が好きだったのです。彼女のそばにいると自分も息ができる。そんな感覚。

 

死ぬ前に彼女が言いました。

新屋という場所がなんとなく怖いんだよね。

どうしても怖いと言って、卒業以来あまり新屋に足を向けなくなった彼女。なのに嫁ぎ先のおうちのお墓は新屋にあり、彼女は春になるのを待たずに病気発覚から4ヶ月でそのお墓に永眠しました。

 

 

わたしは弔辞を読みました。

遺影を見たらだめだとわかっていたのに、途中でふと見上げてしまった。式場で一度も目に入れないようにしていたのに。遺影の中の彼女は、いつもよりすましていて、普段の彼女っぽくなかったのでした。それも全部含めて言葉にならない感情のかたまりがお腹の底から出てきて、弔辞の途中で涙を流してしまった。嗚咽を必死にこらえて無言で1分。そして何もなかったようにまた読み始めた瞬間の気持ち。

今でも思い出します。最後のお別れを精いっぱいやり遂げたいと思った気持ち。

 

あれから、干支が一回りして数年。

わたしの人生にもいろんなことがありました。その間、彼女からのサインが何度か送られてきました。はじめは弔辞を読んだ夜。彼女はコントラストの激しいグレーの世界で岩の上に座り苦しみ切った顔で私に向かって何かを言いました。そこから点々と段階を踏んで夢の中に現れていましたが、とうとうそんな夢も見なくなった。

 

最後、彼女は笑っていました。明るい空の下、気持ちのいい風に吹かれながら花のようないい匂いをさせて。ふわふわ飛ぶように歩きながらコロコロと笑い、ボブの髪が揺らしながらアホでも見るような顔をしていったのです。

 

「もういいから。もういいんだよ」と。

 

そして笑って消えていった。

 

 

彼女に触発されて描いていた絵も描かなくなり、体の中にあふれていた音楽も長女が生まれてからサッパリ電流が流れず12年以上。

気づけば、手にカメラがあり、写真を撮っています。まったく思いもよらなかった。
そして、誰かの個人的ヒストリーを形にするというこの仕事が残りました。

 

 

他の人にはさっぱりわからない個人的ストーリーだとわかっています。ですが、あの地点を通り過ぎる前の自分と今の自分では180度違う。どんなに戻りたくても戻れない。はしゃぐ自分が永遠に消えたような。それは年とは関係なく。

でもあの地点を通り過ぎたからのいま。
時々、あるんだと思います。出会ったことにより何かが大きく変わってしまう存在や出来事が。

 

 

この10数年、心のどこかで自分だけ幸せになることが赦せず、また失うことが怖くて人を遠ざけてきたけれど、そうではなくてきっと。

 

あなたの人生に幸多からんことを。

ただただそう願ってくれている。

 

これからも人と出会い、どんなストーリーが生まれるのか、死ぬまでに何を交わせられるのか実験しながら生きていく。ただそれだけを繰り返していく。

 

 

あなたの人生に幸多からんことを。

わたしもただただ、出会った人に心からそう思えるように、そんな生き物になれるように。