056/365 きた道、行く道

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近所のお宅に呼ばれてお邪魔してきました。

車庫の二階に隠れ家みたいなダイニングキッチン。

南に向いた窓が大きくて明るくて、桜の木に止まり木が2つ。

1970年代から続く数十枚の家族写真の年賀状。

壁一面に貼られたそれを一枚一枚、見つめてしまった。

実家に送ってたものを回収してきたの。

そしたらなんとなく飾りたくなって…と奥様。

ちっちゃかった二人のお子さんも、今ではお母さんだったり、都会からかえってこなかったり。

夫婦の間にはいつのまにか犬が二匹になり…そしてその犬も途中でいなくなり…。なんてのを見てた。

珈琲と、奥様お手製の酒粕チーズケーキをご馳走になりながら、旦那様が撮っているお花の写真を拝見した。山でなければ出逢えない花たち。綺麗な力強い黄色の花の写真が目に止まった。これは福寿草ですか?と聞くと、旦那様が嬉しそうに答える。

うん、男鹿の。

男鹿の方から聞いたばかりだった。

昔は沢山あった福寿草が、誰かがゴッソリ取りに来て道の駅で売られているんだと。その男鹿の方のおうちでは、自給自足に近い生活をしていて忙しく、楽しみといえば山の中の花だらけの場所に行くことが、家族の何よりの楽しみだったそう。温泉やレジャーよりもずっと心が満足した、どこもかしこも花だらけの一画。が、そこがいまはつるだらけの雑木林に…、そんな話を聞いたばかりだった。

近所のご夫婦から、また違うアルバムを手渡された。我が家の珍客というタイトル。窓から見える止まり木にやってくる鳥の写真だった。

ウソ、セキレイ、モズ…あとなんだっけな。

思いの外いろんな種類!びっくりした。

この辺にこんなにたくさんの種類の鳥がいるなんて!

そのご夫婦はファミリーサポートに登録していると話してくれた。10年近く、小さなお子さんを預かって、近所のママや子供達と仲良くなってきたんだと話してくれた。そのアルバムも拝見。自分の孫のように嬉しそうに話すお二人。転勤族のお子さんを預かることが多く、もう各地に帰ってしまったお子さんの年賀状や写真をこんな風に大事にしてるなんて。。。

思い出産業の隙間で生きてるわたしにとっては、幸せな出来事だった。

ひとしきりお話しして、新しいお茶を入れてくださったあと、奥様は言った。

わたしはね、そのファミリーサポートでいただいたお金、いつも使えなくてね。長年働いてきたから幸い生活はできているし。だからいつもコレだ!という場所を見つけては寄付してるの。

それでね、今年は雪まつりの資金がないと聞いたから、これをあなたに預けます。その代わりあと数年は頑張って継続して(^^)

渡された封筒には数万円入っていた。

どうしてですか?

と聞くと、

わたしはね、子供の頃学ぶことが好きで、本当なら大学行きたかった。でもうちはそんな余裕なかったし、女だし、当たり前のように就職した。出来ること精一杯やってきたから、幸せなことに特に恨みも後悔もなくてね。だからあしなが育英会とかね、自分じゃなくて誰かが進学する何かの足しになればいいなって思って、子供が巣立ってからはずっと寄付をしてきたの。

そしたらあなたが資金なくてワタワタしてて、そうだ!自分の地元を応援すればいいじゃないって思ったの。子供たちのあの楽しそうな顔、来年も見せて。出来ることなら何でも応援するから。

雪が降りしきる中、何度も頭を下げて帰ってきた。

封筒握りしめて歩いて帰る道々、建て替えのため父と母が我が家で暮らしたこの半年のことを思った。

子供の頃、お前は女でくれてやる娘だからお金は出せない。と言われて育った。弟は長男だからお金をかける。でもお前は人にあげる娘だから。

バイト代でいける専門学校を選び、免許も親と折半、なのに唯一未来に繋げたくて好きだったバンド活動も、連絡の電話を取りつがないなど、忘れていたような恨みが沸いてきて、弱った父と老いて甘えを見せる母に複雑な思いが…。

折しも自分は長女の仕送りや学費を稼ぐのに尋常じゃないほど忙しく、、、自分がきらいになるほど、忘れたはずの何かが蘇り…。苦しかった。

あの頃は大変だったんだ、だからあんたに我慢してもらうしかなかったんだ。わたしだって親にそうされてきたし。でもそのおかげでうちは借金もなく息子も立派になった。と、母。

小学校のとき、内職の刺繍手伝ってた。

中学校は地図の色ぬりのバイト。

高校はパン工場と郵便局。

専門学校はお弁当屋さんと酒屋さんと雑貨屋さん。

それでも母にとっては扱いづらい存在として、家族の中では厄介者扱い。

すれ違うから喧嘩、喧嘩、喧嘩。

でも本当はそんなに悪い子じゃなかったんじゃない?

お母さん。わたしのこと本当に真っ直ぐ見てた?

…なんて。

もう言っても仕方ないことが沸いた。

でも父と母が引っ越して行ったらまた消えた。。。

あったかい新しい家で父と母が暮らせることが有難いと自然に思える自分に。気持ちなんてそんなもんだ。

お母さんがお母さんなりにきた道。

これからわたしが行く道。

違って当然。もう自分の人生は自分で選べるんだよ

自分が経験できなかった可能性を、誰かに贈りたい。

奥様はそう言った。

孤独なお母さんたちのことも、

この町の子どもたちのことも、

今よりは少し環境を豊かにできたらいいね、と。

応援するから一緒にやろうって。

今きてる子どもたちとも野菜作りしてるし、何かしら力になれると思うよ、と。

小さい頃から見たかったのはそれだ。

しみじみと嬉しかったから、なおさら。

一つ一つ形にしていこう。

声かけるのを恐れずに。

自分がやりたいことではなくて、

いま時代が、町が無意識に求めてることを。

奥様の作った干し柿

今まで食べた中で一番美味しかった。