184/365 灯篭

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今日は新月でした。
なんだかゼロ地点に戻ったような新月

洪水で濁流にのまれていく人の映像を

見るつもりなく

ネットでふと目にしてしまって、

生きる、死ぬ…の「すれすれ」って無差別で

普段つい忘れてしまう「無常」の存在をこころ新たに。

 

ここのところ、無性に亡くなった父の声が聴きたくて

外付けハードを引っ張り出して探してました。

写真はあるけど動画はあんまりなくて

10年前のがやっと出てきて、

次女の1歳の誕生日で…長女がいまの次女の歳…

お米を背負った次女が2、3歩あるいてひっくり返って

私の母が爆笑し、それを父が笑いをこらえながら諫める。

そして優しく優しく父は次女を抱きしめる。

大事なお人形さんみたいに。

偉かったなあ、ほんと偉かったなあと言いながら。

人見知りが激しかった次女は、

私以外のひとに抱かれるのは苦手だったのに

父の腕の中で穏やかに…そして父を見上げてニッコリ笑った。

 

そんな一瞬の時間。

それを見つめなおすことができたことに

いまはただただ感謝だけど、

いつなんどき自分だって

すべてをもぎ取られる経験をするかわからない。

ある日突然、家も家族もなにもかも失うことだって

ないとは言えないんだから。

写真の1枚さえ残さずに。

 

そしたら逆に…なぜか、

少し、楽になろうって思いました。

楽になろう。

気楽になろう。

お気楽になろう。

 

むしろ。

 

 

この手にギュッと握りしめても、

壊れてしまうもの

変わっていくもの、たくさんあるのなら、

何かを特別にせず、

自分という囲いの中に入れず、

すべての物事と同じ場所で立つ。

そしたら、わたしは世界と共にある。

何とも対比することもなく。

 

 

それすらいつか、全部失うけれど。

でも味わった苦楽はすべて

わたしの魂のなかに刻まれるだろうし。

でもそれも宇宙の塵となって消えるだろうけど。

 

 

今年の夏祭りは、

たくさん灯篭を飾って、

死んだ人にも生きてる人にも

見てほしいっすね。

 

お帰りなさい。

すぐまた行っちゃうけれど。

でも生きてるとか死んでるとか忘れて、
一晩飲み明かしましょう。

 

いろいろあっても、

逢えてよかった。

それだけだよね、本当は。