229/365 慈雨

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早めの夏休みの最後は、旦那様の実家の家業の手伝い。
出戻りの嫁としては、

なかなか根性が試される部分がありまして。

でも毎年、気合いれていきます。

 

盆と正月、あとお彼岸の稼ぎ時、

大きな工場にひとり暮す義母を

独りにしないって決めて10年…。

義母にもわたしはそれしか出来ないと宣言。

あとは嫁しませんと。

わたしはわたしのままでしか生きられないと。

旦那さんには兄弟がたくさん、

そして義母のそばにいて、

末っ子の嫁、しかも出戻りだから

行かないほうが逆に

周囲のためだったりするぐらいだけど…

まあ自分で決めたことだから

毎年、アウェイでも根性で行ってるわけですが。

 

一年一年、親戚、仕事場の皆さんから

少しずつ声かけられることが増えて…

なんていうか

受け止められ方が変わっていく不思議さ。

復縁した当初の帰省は

わたしにとっても周囲にとっても

なかなか大変なことでしたが…

 

とっても愛されてた嫁時代。

周りにとっては良かっただろうけど

自分にとっては嘘だらけ。

やってることは今も昔も変わらないけど

動機のところが違っていた。

いい人でありたい、

いい嫁と思われたい、

非の打ちどころがないようにしたい、

そして

心のどこかでは自分が一番でありたい…

いや、勝ち負けじゃなくて、

そうだなあ、

誰よりも頑張ってないと

自分が必要じゃない人間のように

思えていたのかも。

頑張ってるから、わたしを見捨てないで…

そんなことを誰にでも思っていたのかな…

 

その後の、

どうなの、この嫁…っていう時代。

嫁でなくなっても、変わらないスタンスの人、

知らなかった横顔、

でも本当は知っていた裏表、、、

全部、自分が

本当の土台から生きてなかったせいだと。

 

そして気づく自分の本心。

他人じゃない。

自分がどうしたいか?だけだと。

そこが育ってなかった自分の姿。

人の態度の違いがどうのこうのの前に、

自分の選択の軸がどこにあったのか。

わたしは、

何をどう大事に思い、

どんなことがしたかったのか。

そこを一番にしていなかったのは何故なのか。

 

いい嫁、悪い嫁、

両方過ごしてみて…

結局わたし自身がやってしまうことは

なんも変わってなく、

自分の想いを貫ぬくだけだと改めて。

 

もしもの話…

義母が迷惑でなければ、たとえ

また旦那さんと別れたとしても

盆と正月だけは手伝いに行きたい。

いいときもわるいときも縁があった女同士、

やなとこもいいとこも、よくわかってる者同士。

ここだっていうポイントだけ

支え合えたらっていうか。

そんなことを想う。

あっちはどうか知らないけど。

ほんとに、バカみたいに自己中心。

でももう、自分はそれしかできないって思う。

それが相手にとっては理解不能でも、

ダメならそれでいいっていうか。

 

これは義母との関係の話だけではなくて…

 

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良き妻、

良き母、

良き娘、

良き会社員であること…

この10年、

それを捨てて歩いてきたつもりで

まだまだ罪悪感を引きずっていたことと

完全なるお別れ。

 

誰がなんと思おうとも、

わたしはわたし。

それでいい。

 

 

そんな当たり前のことにたどり着くまでに有した時間。

日が暮れちゃうよね…

 

 

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10代、

20代、

30代、

理由をつけて棚上げしてきたものを

40代でいろいろ清算している気が。

 

2018年下半期、いろいろと断捨離しながら

空きスペースをたっぷり拡げながら、

自分にとっての

ほんとうのことだけ

胸に置いておきたいって思う。

 

それは、切ないぐらい形がないものだけど。

 

自分は

生かされていたんだなって思えるような

時の流れが意味する、

 

出逢いとか

 

絆。

 

あたしもうすぐ50だなあ。。。

 

でもまだまだ、やることいっぱいだ。

どんなときも受け止める。

 

だから惜しみなく、ください。

 

今日は雨で

そんなことを考えながら仕事三昧。

 

明日こそ、DVD仕上げたい…

頑張るもん。

 

 

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