2019-1.6 新月「amore」

f:id:life-history-mushroom:20181220005321j:plain

昨年、父が亡くなったので

新年のご挨拶はできないのですが、

2019年もどうかよろしくお願いいたします。

 

年末年始は悲喜こもごもでして、

2018の自分が必死だったことが

なんの意味もなかったような気がして

心底悲しくて泣いたり、橋の上で叫んだり、

たくさんメッセージをいただいたり、

歩いてたら突如、プレゼントのマフラーを首にかけられたり、

懐かしい面々から元気な顔見せてもらったり、

ほんと色とりどりな中、仕事は山積み、

お正月休みもないままに松の内も終わる。

ですが、2018と2019は続いてると思うことにした。

もう去年から始まってることが何件かあって、

一つ一つ形にしていかないといけなくて、

無理に元気でポジティブにするのが嫌いなので

なんなんだよおー

ちくしょー

とか正直に言いながら、奥歯かみしめながら

ただ前を向いてます。

そんな2019の幕開け。

 

こんな個人的なこと書いて意味あるのかわかんないけど

このブログを楽しみにしてくれてる

奇特な人々がいることがわかり、

まあ今年もめげないで書いてみようと思います。

新月と満月の日だけでも。

 

昨夜は、10歳の娘がお友達のおうちにお泊りで、

二分の一成人式の記念にと着物を着せてもらっていた。

とっても嬉しかった。

最近は、次女のことばかり考えて、

よその子たちのことまで、

心から思えなくなってた自分を恥じた。

ちょっと目が覚めた思いがした。

色々つらかった4年生。

冬休みに最高に幸せな思い出。

本当にありがたかった。

 

 

そして20歳の娘は、

中学時代の吹奏楽部の仲間と先生も招いて初の飲み会。

幹事で大張り切り。

その帰り、小学校時代からの仲良しが泊まっていき。

それこそ、二人は10歳ころにピアノで連弾し、

喧嘩ばっかりでハラハラしてみてた。いつも。

いろんな時間を共有して、好きも嫌いも超越して

何かあったらこの人がいる、

そんな仲になっていったなあ。

 

次女にもそんな出会いありますように。

いや、わたしが心配しすぎなだけで

もうあるのかもしれないよね。

 

 

年頃になったら、だれかわからないぐらい

けばくなるのを覚悟していた長女が、仲間の中で

意外にも誰よりも地味で小学生みたいで笑ってしまった。

すると、

教職も考えてるからそれでいいのだと

長女はきっぱり言い切った。

吹奏楽部の先生か…

そうだね、出会ってなかったらきっと

何もかもどうでもよかったよね…

先生が大事なことたくさん教えてくれたよね。

なったらなったで大変なのはよくわかるけど

それでも、どっちがいいんだろう。

大好きなものとともに生きていけるのと、離れてしまうのと。

未来。

これから気が遠くなるほど大変なことばかり。

でも、未来。

新しいことがいっぱい。

いいことも悪いことも、

なにを持ち帰ってきたとしても

どーんと受け止める強い母でありたい。

だから失敗を恐れないで、思いっきりやりなさい。

 

 

正直、成人式のことまで手が回らなくて、娘に

「全く思われてる気がしない」と言われちゃったけど

でも私、ほんとのピンチは必ず助けるし。

そういったら

「それは知ってる。あなたは必ずそうするって知ってる」って。

あたしんなかでは、そこだけだった。

大事なの…。

 

でも反省して振袖も買っちゃったり。

今更ながら着付けをしてくれる人に

無理いってお願いしたり。

本当に助かった…

そしたら今度はそれが楽しくなっちゃって

仕事から気持ちが離れる。

ほんと、どっちかしかできない。

 

 

時々、母なのも忘れ

現役の夢見る少女だもんで

子どもたちに申し訳ないのだが、

やらねばならぬことがたくさん。

 

これからも「何屋」にはなれないまま、

でも、

あなたに頼みたいと手渡された案件を

一つ一つ形にしていく、

それを

納得できるようやっていきたくて。

 

2018、自分の限界まで純粋になろうと思ったのに

年の終わりには、へたれちゃってた。

でもなんかつかめたから、

戻れないぐらい深いところまで降りて、

2019は覚醒したい。

いわゆるビッグになるとか、

認められるとか、活躍するとかではなく、

本質的なところでの「覚醒」。

静かに、静かに。

 

仕事するひととして、母として、人間として。

そして、一人の女として。

 

youtu.be