三日坊主返上の末

f:id:life-history-mushroom:20180413011009j:plain



新年早々、三日坊主ブログになりかけましたが、

怠惰と言うよりは忙しくて…だからいっか。

あんまり自分を追い込まないように

外側で回していかなければならないいろんなことを

伊藤一恵本人と剥離しないよう

自分の心が悲鳴をあげないよう

願わくば

外側のために自分を変えていくのではなく

内側から溢れ出るものが外側を変えていく、

そして見つめる視線の先が

できれば利他的であり

本心であるように。

ひとりよがりでなく、利己心が上手に隠されていないように

でも一切にしがみつかず

今の一瞬を精一杯生きること。

というのを常態にするには

 

悩むのをやめて

案じるのもやめて

一週間に一回は休むことにして

寝ても良し

歌っても良し

縫物をしても良し

絵を描いても良し

そんなふうな時間を自分に与えることにして

あ、

冬のコートを買いました。

大学生がいる我が家は、お金がないので

リサイクルのを買ったのだけど

逆にあんまり安かったので

赤いコート

黒いコート

白いコート

キャメル色のコート

形もそれぞれ違って、試着して自分の体に合うものを。

4つも。

嬉しくって嬉しくって飛び上がりそうになって

レジにいったらさらに半額で

合計440円だったので

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と叫んだらレジの女子大生のバイトの子が

一緒に喜んでくれた。

わかちあってくれる人がいる歓び。

 

それから婦人会のヨーコさんから教えてもらった

秋田の現代美術家の村山留里子さんのこと調べて

作品として作ってるドレスを見て

あら、これやりたいし!

なんて思っちゃって

久しぶりに自分が好きなことを思い出したりして

ここ2年くらい

どっかに修行に出ていたような自分を改めて

感じたりして。

 

ヨーコさんは80代半ばなんだけど

生まれたての子供みたいに魂がきらきらしてて

人が好き、手仕事が好き

話すことが好き、食べることが好き

いつも興味をもったいろんなことを

楽しそうに教えてくれて

そばにいると

わたしのほうがおばあちゃんみたいな気がする。

それでも先日、孫の家に遊びに行き、

ひ孫と遊びながら、孫の作った手料理を食べたら

ほんとうに胸がいっぱいになったと言っていて

少し目がうるんでいて

わたしまで感慨深い気持ちになった。

こはちゃんとおばあちゃんなんだね。

よかったねえ、ヨーコさん。

 

ヨーコさんの明るさ、幸せそうな姿に

家族の皆さんもどれだけ救われてきただろうか

と考えた。

周りのひとたち、

ヨーコさんが自分らしく幸せに生きているだけで

救われただろうな。

そのまんまでいることが徳になる在り方っていいな。

ヨーコさんは全くそんなつもりもなかっただろうけど

ヨーコさんの自然体が与えてる周りへの影響、

積み重ねてる徳を感じて見つめていた。

 

そうなのよ

たくさん人は勘違いをしていて

こうあらねば正しくない

こうでなくては許されない

こうあれば愛される

認められる

 

だから

そうしてない人を見ると許せない

そんなことは正しくない

あなたを許せない

だからあなたを愛さない

認めない

 

こうでないとダメなんだよね?

こうでないと自分はダメなんでしょう?

 

わたしにもたくさんブロックがあって

スケッチブックの線は生きているのに

作品はクソだ

そう言われたあの言葉の意味がこの頃すこし

わかりかけてきたような

 

足すんじゃなくて引いて

力むのではなく緩んで

押し出すのではなく調和するように届けて

 

ずっと身の内で昇華しなければならなかった

がんばっても報われないとか

あんたは我慢してねとか

愛しても愛されないとか

わかってるから許すしかないとか

甘んじるとか

ふみにじられても忘れてあげるとか

多めに分けてあげるのが当たり前とか

多めに背負うのが当たり前とか

理不尽なこと言われても黙っているとか

ぜんぶ

抱えたまんまじゃ生きていけないから

でも人に擦り付けるのも許せなくて

だから

ひっくり返して愛することにかえて

わたしなりに生きてきたけど

それがキレイだと思ってたけど

 

まっすぐ輝いてる人を見ると

自分の中の一部が絵空事なのにふっと気づく。

もう少し若ければそれが

何もかもへの誰もかれもへの嫉妬にもなっただろうけど

もう生きてる時間も短そうなので

ただただ、ほんとうのものが欲しい

ほんとうに歩く道を歩きたい

ほんとうに愛し

ほんとうに積み重ね

良く生きて何かに身を投じるように死んでいきたい

ただひたすらにそうありたい

 

 

 

嫁だとか

仕事でどうこの社会で生きてるとか

いくら稼ぐとか

誰と知り合いとか

その場での自分のたち位置とか

空気読むとか

誰がどこの偉い人だとか

何が得とか損とか

そういうことの大事さが

ちょっとわからなくなってきて

 

 

無駄なブレーキを踏むの

もうやめていいんすかね。

それが一番、自分がこの世界と

調和することを阻んでいるような

 

 

あなたのためなら、

絶対ひとはだ脱ごうって思うのに

なんであんたが心のどこかで

もう死んでもいいって思ってるの

と、昨日怒られて

たくさん苦労しても裏返ししてきたそれが

わたしにはもうお腹いっぱいの愛で

それができるようになるために

生まれてきたんじゃないのかって

だから、もう余生みたいな人生で

自分のためにしたいことも

欲しいものも

ほんとうはあんまりなくて

 

でも目の前にやらなきゃいけないものは迫ってて

わたしがわたしのこころに点火して

いろんな人と手を組んで歩いていかないといけないのだけど

それがなんのためかはわからない

行かなきゃいけないことだけはわかるけど

 

でも

やらなきゃいけないからやる…なら

応援しないよ!

このイトウカズエがどうしてもやる、やりたい!

その心意気に応援したいのに

全部ささげて助けたいのに

 

あ~

 

そうか

 

俯瞰でみて歩くのが癖になって

わたしはわからない

やりたいことと自分が火のように直結するってことが

どっかで冷めてる

精一杯やりながらも

常にどこかが冷めてる

人にも自分にも期待しないで

届くわけないと思って

でも必死に歌っている

 

 

楽しそうに

幸せそうに

必ず夢をかなえると燃えて

元気で、笑顔で

情熱だけの

そういうわたしを見たいんだね

そういうわたしに応援したいってことだよね

 

ちょっとだけ心に響いた。

みんなそういう人に何かを授けたいんだね

そういう人になら

 

でもだから。

そのために、外側だけを整えるのは嫌で

ずっとこうして生きてきた気がするけど

それも終わらないといけないところにきたような。

 

 

愛は

私の知っている愛は

まだ半分なのかもしれないよね

わたしが愛だと思ったものは

もっとその先があって

その先を見ないといけないかもね

自分っていう人間の

北半球しか歩いてなかったのかもしれないし

南半球では愉快な人生かもしれないよ

そしてそれが誰かのための徳になるような

 

 

幸せになるのが嫌なのは

忘れたくないものがあって

終わってないことが一つあって

 

いま必死に

のんべんだらりとしながら

整理をつけている

 

でもやっぱ、無理はしない

心のなすがままに

目に見えないものに

見えるものに

調和しながら

 

結局わたしは

自分自身と

時に誰かと

世界と

きれいなハーモニーをただ繰り出したいだけなのかも

 

三日坊主返上しようと思ったら

これ完全にポエムだね…

きゃは…

 

では、またね