Let go

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不思議なんだけど…

 

急に御飯を作る気力がわいてきたのは

創意たっぷりの手料理を

画廊カフェで食べたからだと思う。

家に帰ったら

スイッチの繋がる先が少し切り替わっていた。

 

あたいは

秋からもうとんでもなく忙しくて

ごはん、一品作ればもう限界

副菜作る暇あったら

レイアウト一本終わらせたい

諸連絡オワラせたい

何かに追われて追われて…

そのうえ心配事もあって

ようやく新年のイベントを終えたら

やっと睡眠不足が解消されて

休みをとってみた

そして誘われて手形のトゥルムへ

 

画廊スペースの版画からあふれ出る画家のエネルギー

 

ああ久しぶりだ…って

 

なんだか一瞬で

自由に

 

 

 

幸せになっちゃ悪い

自由になっては申し訳ない

 

その縛りが

自分も相手も苦しめていたような

 

 

三度の飯ごとに副菜の数が増えていく

料理が楽しい

 

そんな気分で部活にいったら

いつもはじっこで輪に入る気力もないのに

気がつけば普通に楽しく

あったかい心やり取りして

いつもはみんなと目が合わないのに

透明人間みたいなのに

なぜか話せば話すほど、みんなも笑っていた。

不思議。

 

仙台で長女と暮らしてた時も

シングルマザーで大変だった時

せんだいメディアテークに行くと元気出た。

元気というか

なんだろう

 

血沸き肉躍る

 

そういう何か。

ワクワク。

 

それを思い出しかけてるから

苦しみや悲しみが浮上してきてるんだろうな

整理しようと

浄化しようと

 

どこまでいっても

自分は自分なのだ

誰の代わりにもなれない

ひとり。

 

その孤独をどう生きることに生かすのか

何を選ぶのか

それも自分次第。

 

 

すこし自由になってみよう

 

 

 

三日坊主返上の末

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新年早々、三日坊主ブログになりかけましたが、

怠惰と言うよりは忙しくて…だからいっか。

あんまり自分を追い込まないように

外側で回していかなければならないいろんなことを

伊藤一恵本人と剥離しないよう

自分の心が悲鳴をあげないよう

願わくば

外側のために自分を変えていくのではなく

内側から溢れ出るものが外側を変えていく、

そして見つめる視線の先が

できれば利他的であり

本心であるように。

ひとりよがりでなく、利己心が上手に隠されていないように

でも一切にしがみつかず

今の一瞬を精一杯生きること。

というのを常態にするには

 

悩むのをやめて

案じるのもやめて

一週間に一回は休むことにして

寝ても良し

歌っても良し

縫物をしても良し

絵を描いても良し

そんなふうな時間を自分に与えることにして

あ、

冬のコートを買いました。

大学生がいる我が家は、お金がないので

リサイクルのを買ったのだけど

逆にあんまり安かったので

赤いコート

黒いコート

白いコート

キャメル色のコート

形もそれぞれ違って、試着して自分の体に合うものを。

4つも。

嬉しくって嬉しくって飛び上がりそうになって

レジにいったらさらに半額で

合計440円だったので

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と叫んだらレジの女子大生のバイトの子が

一緒に喜んでくれた。

わかちあってくれる人がいる歓び。

 

それから婦人会のヨーコさんから教えてもらった

秋田の現代美術家の村山留里子さんのこと調べて

作品として作ってるドレスを見て

あら、これやりたいし!

なんて思っちゃって

久しぶりに自分が好きなことを思い出したりして

ここ2年くらい

どっかに修行に出ていたような自分を改めて

感じたりして。

 

ヨーコさんは80代半ばなんだけど

生まれたての子供みたいに魂がきらきらしてて

人が好き、手仕事が好き

話すことが好き、食べることが好き

いつも興味をもったいろんなことを

楽しそうに教えてくれて

そばにいると

わたしのほうがおばあちゃんみたいな気がする。

それでも先日、孫の家に遊びに行き、

ひ孫と遊びながら、孫の作った手料理を食べたら

ほんとうに胸がいっぱいになったと言っていて

少し目がうるんでいて

わたしまで感慨深い気持ちになった。

こはちゃんとおばあちゃんなんだね。

よかったねえ、ヨーコさん。

 

ヨーコさんの明るさ、幸せそうな姿に

家族の皆さんもどれだけ救われてきただろうか

と考えた。

周りのひとたち、

ヨーコさんが自分らしく幸せに生きているだけで

救われただろうな。

そのまんまでいることが徳になる在り方っていいな。

ヨーコさんは全くそんなつもりもなかっただろうけど

ヨーコさんの自然体が与えてる周りへの影響、

積み重ねてる徳を感じて見つめていた。

 

そうなのよ

たくさん人は勘違いをしていて

こうあらねば正しくない

こうでなくては許されない

こうあれば愛される

認められる

 

だから

そうしてない人を見ると許せない

そんなことは正しくない

あなたを許せない

だからあなたを愛さない

認めない

 

こうでないとダメなんだよね?

こうでないと自分はダメなんでしょう?

 

わたしにもたくさんブロックがあって

スケッチブックの線は生きているのに

作品はクソだ

そう言われたあの言葉の意味がこの頃すこし

わかりかけてきたような

 

足すんじゃなくて引いて

力むのではなく緩んで

押し出すのではなく調和するように届けて

 

ずっと身の内で昇華しなければならなかった

がんばっても報われないとか

あんたは我慢してねとか

愛しても愛されないとか

わかってるから許すしかないとか

甘んじるとか

ふみにじられても忘れてあげるとか

多めに分けてあげるのが当たり前とか

多めに背負うのが当たり前とか

理不尽なこと言われても黙っているとか

ぜんぶ

抱えたまんまじゃ生きていけないから

でも人に擦り付けるのも許せなくて

だから

ひっくり返して愛することにかえて

わたしなりに生きてきたけど

それがキレイだと思ってたけど

 

まっすぐ輝いてる人を見ると

自分の中の一部が絵空事なのにふっと気づく。

もう少し若ければそれが

何もかもへの誰もかれもへの嫉妬にもなっただろうけど

もう生きてる時間も短そうなので

ただただ、ほんとうのものが欲しい

ほんとうに歩く道を歩きたい

ほんとうに愛し

ほんとうに積み重ね

良く生きて何かに身を投じるように死んでいきたい

ただひたすらにそうありたい

 

 

 

嫁だとか

仕事でどうこの社会で生きてるとか

いくら稼ぐとか

誰と知り合いとか

その場での自分のたち位置とか

空気読むとか

誰がどこの偉い人だとか

何が得とか損とか

そういうことの大事さが

ちょっとわからなくなってきて

 

 

無駄なブレーキを踏むの

もうやめていいんすかね。

それが一番、自分がこの世界と

調和することを阻んでいるような

 

 

あなたのためなら、

絶対ひとはだ脱ごうって思うのに

なんであんたが心のどこかで

もう死んでもいいって思ってるの

と、昨日怒られて

たくさん苦労しても裏返ししてきたそれが

わたしにはもうお腹いっぱいの愛で

それができるようになるために

生まれてきたんじゃないのかって

だから、もう余生みたいな人生で

自分のためにしたいことも

欲しいものも

ほんとうはあんまりなくて

 

でも目の前にやらなきゃいけないものは迫ってて

わたしがわたしのこころに点火して

いろんな人と手を組んで歩いていかないといけないのだけど

それがなんのためかはわからない

行かなきゃいけないことだけはわかるけど

 

でも

やらなきゃいけないからやる…なら

応援しないよ!

このイトウカズエがどうしてもやる、やりたい!

その心意気に応援したいのに

全部ささげて助けたいのに

 

あ~

 

そうか

 

俯瞰でみて歩くのが癖になって

わたしはわからない

やりたいことと自分が火のように直結するってことが

どっかで冷めてる

精一杯やりながらも

常にどこかが冷めてる

人にも自分にも期待しないで

届くわけないと思って

でも必死に歌っている

 

 

楽しそうに

幸せそうに

必ず夢をかなえると燃えて

元気で、笑顔で

情熱だけの

そういうわたしを見たいんだね

そういうわたしに応援したいってことだよね

 

ちょっとだけ心に響いた。

みんなそういう人に何かを授けたいんだね

そういう人になら

 

でもだから。

そのために、外側だけを整えるのは嫌で

ずっとこうして生きてきた気がするけど

それも終わらないといけないところにきたような。

 

 

愛は

私の知っている愛は

まだ半分なのかもしれないよね

わたしが愛だと思ったものは

もっとその先があって

その先を見ないといけないかもね

自分っていう人間の

北半球しか歩いてなかったのかもしれないし

南半球では愉快な人生かもしれないよ

そしてそれが誰かのための徳になるような

 

 

幸せになるのが嫌なのは

忘れたくないものがあって

終わってないことが一つあって

 

いま必死に

のんべんだらりとしながら

整理をつけている

 

でもやっぱ、無理はしない

心のなすがままに

目に見えないものに

見えるものに

調和しながら

 

結局わたしは

自分自身と

時に誰かと

世界と

きれいなハーモニーをただ繰り出したいだけなのかも

 

三日坊主返上しようと思ったら

これ完全にポエムだね…

きゃは…

 

では、またね

 

 

 

 



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先日の市川海老蔵さんの特番を見ていたら

6歳の勸玄くんが、

千秋楽で自分の演技に納得いかず楽屋で泣いていた。

周りからしたら立派につとめて「すごい」の一言。

でも自分を許せず、鏡の前で涙をこぼす。

その足元に姉の麗禾ちゃんが座り込み

励ましの言葉も何も言えずにただ弟を見つめながら

ハラハラと涙をこぼしていた。

 

 

物心ついてすぐ失った大きな存在

ぽっかり空いたものを

二人小さな胸に抱えながら

お父さんを支えなきゃ

お父さんの大事なものを自分たちが守らなきゃ

お父さんが壊れないように

 

そうやって

こんなに小さいのに

魂で生きる道のりの中に在る、

選ぶ選ばないすらなくて

 

 

本当は怖がりでシャイな麗禾ちゃんが

父や弟の姿にひっぱられながらも

共に同じ場にいて

人前で踊り、拍手を浴びて

苦手なことでも、どこまでも向かっていけるのは

大切な人のため…

家のためとか弟との競争心なんかじゃなくて

二人が感じていること、味わっていること

見ている世界、

置いて行かれないように

ちゃんと理解してあげられるように

何があっても応援したくて

誰よりも一緒に体感していたくて

その様子が愛でしかなくて

お母さんのような…

年なんて関係ない「母性」というか

誰かを本当に愛してる女の在り方で

見ていて心が震えた

 

これでいいんだなって思った

 

男の抱える孤独を見つめて

寄り添う

自分の道を勇気をもって歩いていく

そして花を咲かせる

相手のこころに雨が降ったら傘をさして

だいじょうぶだよって微笑む

相手が楽しそうだと嬉しくて

疲れてると安らいでほしくて

ただただ

 

 

 

きれいだよね

きれいなもの見た

 

  1.  

献本

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やきいものおじさんに会った。

久しぶりだったけど「おお、えくぼちゃん」と

おじさんはにやりとした。

おじさんはなぜかわたしに会うと

タレコミのようなことをする。

もちろん、聞いてもどうすることもできないが。

 

いい話と悪い話、今日はどっちも教えてやるよ。

そう言って、誰も知らないけれど

ものすごい人がこの辺に住んでいる話と

イージスに少しかかわりのある裏話を教えてくれた。

新聞社に持ち込んだが扱ってくれないと

おじさんは憤っていた。

売れ残りの冷やし芋を何個か手渡してくれて

おじさんは「じゃあな、えくぼちゃん」と去っていった。

 

話を聞いておじさんが心配になった。

その足で駅まで長女を送る。

道すがら、落ち着かない気分で

長女とスタバに入って、ふっと隣席の

なんとなく美しいファミリ―を見やると

イージスアショアの件で立ち上がった女性議員のご家族だった。

お子さんがふざけたのでお父さんがたしなめながら

それを見ていた私に笑いかけた。

わたしも微笑んだ。

 

長女は長い帰省が終わって東京へ帰らねばならず

機嫌がよろしくなかった。

今起きたことを話そうにも話せないまま帰った。

 

翌日の今日、イージスの献本をしたいと

女性記者さんがうちに来た。

何の気なしに話していたら、

やきいもやさんが話を持ち込んだ記者とは彼女だった。

そして受け取った献本のなかには

女性議員さんと一緒にわたしも女性のモチーフとして描かれている。

偶然の符号。

これ、わたしが村上春樹なら本一冊かけるな…と思った。

不思議な気持ちがした。

 

 

女性記者さんとはこの1年半、いろんな話をした。

初めての取材を断ったとき、彼女は自分の想いを

一生懸命伝えてくれた。

自分も仕事ではないけれど

人にマイクやカメラをむけることがあり

相手が話してくれることが

どれだけありがたいか身に染みている。

また彼女が、自分のために

私を利用しようとしてるのでは

ないのはよくよく伝わってきた。

 

その次に断ったとき、わたしはちょうど

次女のいじめ問題でそれどころではなくて

私がまた話したら、

周りからどう思われるかと躊躇してる

胸の内を明かした。

 

すると彼女は自分が

子供時代に体験したことを話してくれた。

それも同じ立場からの話ではなく、

ご家族のことだったけれど、

言いたくないことを正直に伝えてくれた。

たくさん話した。記事とはまったく関係ないことを。

そして結局、取材もなかった。

 

状況も変わって、いじめ問題も解決し

自分も主婦の範疇を大きく超えた問題に対しての

自分なりのアンサーが出た頃。また連絡があった。

そのとき思っていたのは

信じられないけど頑張る、そんなスタンスじゃ

何も叶わない

絶対にそうなる、そうする、そう信じる

そうでないと現実なんてやってこない

 

そういうものなんじゃないだろうかと

思い始めた頃だった。

すると

計測の間違いや、女性議員の当選、

いろんな風向きが変わる事件が起こり

併せて、あなたがどう思っているか

どうしてもお聞きしたいと彼女から依頼があった。

どうしても聞きたいんです。

その言葉を受けて会うことにした。

 

最初から答えありきの誘導インタビューではなく

こころで話を聞き取ろうとしてくれて嬉しかった。

そういう人が現場でちゃんと頑張ってくれてることが

本当に嬉しいと思った。

きっと利用されることも、

思うようにいかないことも沢山あるのだろうけど

いつまでもそのままで頑張ってほしいって心から思う、

そんな風に、彼女と関わって感じたことを

今日は伝えた。

 

すると彼女にとっても

同じ人とずっとアポをとり、

気持ちの変化を追うというのは

とても印象深いことだった、しかも

わが社が頑張ってることが

伊藤さんの心にも変化を起こし

自分がしている仕事が誰かの心に勇気の灯をともすなんて

記者をしていて初めて感じたことだから…と。

一生忘れられない経験になりました、

と彼女は言った。

 

暮れから台湾に勉強にいっていた彼女から

お土産をうけとった。

金魚のお茶。

明日、楽しみに飲もうと思う。

 

献本には、デスクと思われる方からの

御礼の言葉が長々と、したためてあった。

 

本の中では49歳のわたしが、

まっすぐいられずに右往左往している。

女性議員とは偉い差だ。

その姿を今はちゃんと受け止めて

この先…

 

いつか、あなたにこの問題とは違うことで

きちんと取材してもらえるように

わたし頑張りますね。

だから、あなたも記者人生を頑張って。

また会いましょう。

 

 

そう話して別れた。

 

 

やきいもは甘くて甘くてとても美味しかった。

純粋すぎて極端に振れている

やきいもやさんの心が鎮まりますように。

 

 

イージスが来るなら、ここにいられるかわからない。

そう思ってスタジオのことに本腰出せなかった私が

最近焦りだしてきたのはホッとしたからだと思う。

この町で小さな小さな、

人と人との時間にまつわるお仕事をするスタジオを

細々とやっていくのだ。

へんてこな事務所。

中にいる人もへんてこな。

 

 

毎年、やきいも買うし。

えくぼ見せてあげるし。

だから、いつものおじさんに戻ってほしいと願う。

 

 

 

 

50歳の伸びしろ

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家事もできずに仕事に追われる日々をやめることにした。

何があっても6時半になったら仕事をやめて

9時半には日記を書く。

それが終わったら風呂に入って寝ることにした。

今までの生活はとても書けない。

 

メンタル維持にプールに誘われたけど

自分は日記を書くのが一番ホッとする。

とはいえ運動不足なのは間違いないので

午前11時に設定した休憩タイムに

洗濯物を干しながら歌い、踊り狂うことにした。

なんて素敵な主婦だろう。

自分でやってて笑えるのがいい。

 

そんな新生活を始めて3日目。

15日まででいいと言ってた仕事が

今日中になりずっこける。

15日でいいって言ってたやん!

と、担当Dに怒るも

すみませーん、確認不足でしたー

と、のらりくらり。

何が腹立つって、3日坊主になることだよ…

1日のリズムを決めたのにさ。

 

そんなわけでプリプリ、予定変更しながら作業しつつ

でもやっぱり日記は書くのだ。

 

今日は長女が東京へ帰っていった。

毎度のことだが別れるまで無言。

よっぽど帰りたくないのか。

それでもやれ。

自分で決めたことだからな。

あばよ。

 

と、決めたつもりが

クルマのある方向と正反対へ歩いていってしまい、

また戻ってくる恥ずかしさ。

 

今日は、ちびこに友達が来てくれて

一緒に勉強していた。

穏やかに笑いながら…

去年は想像もしてなかった気がする。

不思議な、不思議な気持ち。

 

近所の石川さんがきて、少し話して

カズエさんの伸びしろ

まだまだあるから

忙しいけど面倒見てあげる、と。

それで全県を回って歩けるぐらいにして

かましてやるのよ!

と。

同じこと考えてた…

今年のテーマは「かましてやれ」ですね…

 

 

頑なにまじめなところがあって

今年はそれをぶっ壊すつもり

女っぽいことも苦手だけど

あえてその「女を使った正攻法じゃないやり方」

にも精通してみようと思う。

気分は昭和のストリッパー、そして

店をしめた帰り道のスナックのママ。

そんな気分で生きる‼ どんなだ…

 

ほっとくとロジカルに考えすぎるから

もうゼロベースに近い気持ちで

今までのこことは心の中で手放して

何がやってくるのか、

何が来ても

解せぬことでも身を委ねることを

楽しめるような

太っ腹になってみたい

 

自分が自分のまんまで、ただあれば

引き合うものがやってくる

 

大切にしたいもの

大切にできるもの

こころから愛せるもの

幸せだと感じるもの

 

それがやってくるスペースを作りながら

生活と仕事という筋トレをして

淡々と待つ

 

もう何も考えない

ひとつひとつ丁寧に準備

 

きっと

やってくるから

来ればわかるから…

ああ、これだ

これ、わたしのだって。

 

 

だから…探して歩かない

何かしなきゃと焦る日も

人から置いてけぼりくらってるような気がする日も

大事なこと積み重ねていこう

 

でも今年はいっぱい

すげーなーって思う人に会おう。

何このひと!って思うような

すごい人に会ってみるのだ。

 

 

 

未来から時間は流れてくる

わたしは

そう信じてる

Maybe Tomorrow

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高校のとき、県民会館にレベッカが来るよ!と

同級生のみっちゃんが誘ってくれた。

記憶はあやふやだけど、たぶん行くまではレベッカをそこまで好きじゃなかった。

でもステージを駆け回って歌うノッコのエネルギーに鳥肌が立って、自分がずっと探してたのはこれだと思った。

エネルギーが人に伝わる感覚。

魂にふれてくるパワー。

 「ノッコのように歌うのだ」

それから毎日、心の中に音楽が鳴って勉強も手につかず

歌、歌、歌

歌のことばかり考えていた。

 

目立ちたいとか、アイドル的存在になってチヤホヤされたい動機ではなく、とにかくあの姿になることしか考えてなかった。

修学旅行、文化祭、出られる場所ではいつも歌っていた。

偶然、歌もうまかったので(謙遜はしないで書くけど)、文化祭で音響に来ていたスタッフという会社の人に声かけられ、大人の人や、秋大の人とバンドしたりするうちに、コンテストにも出るようになった。

高校の音楽の先生が大学時代のレコード会社の友人に紹介すると言ってくれ、友人のギタリスト・寺内タケシさんに歌手の道を頼んでやるぞ、と。

 

ただでさえ、バンドの人たちからの電話連絡を断ち切る両親。

説得する勇気もなくて、応援してもらえる気もしなくて、見えない未来にワクワクするどころか、突然怖くなった。

どういうわけか、バスガイドになって歌う道を選びますと断った。

わたしのために進学費用は捻出できない、弟が跡取りだからって口を酸っぱくして話していた親に、就職して歌うならOKもらえるだろうと踏んだ。

それでも親は難色を示し、さらにはその試験も校内選抜で落ちた。

不思議なことにホッとした。

たぶん、向いてないのを自分でよくわかっていた。

人を楽しませるために歌うとこまでいけてる自分じゃなくて、根本からなにか違っていたから。何か欠けてる自分を埋めてくれるのが歌だったから。

 

のんびり、デザインの勉強をしながらバンド活動でいいかなって軽い気持ちで選択を変えた。ほんとうに軽い気持ちで。

魂の願いを意識で簡単に塗りつぶすことができると思った。

 

デザインの専門学校は、バイト代でも払える金額で、修学旅行の費用を親に出してもらって、そっちのほうが高かったくらいだ。

でもいざ、学校に入ってバンドを続けようとしたら、大学生や社会人の人たちとのつながりが切れて音楽活動は尻切れトンボに。

次第にデザインのほうに傾いていく。

 

たいして才能もないのに、当時秋田で勢いのあったデザイン会社の面接を受ける。

その社長に作品を見た瞬間言われる。

うーん。ちょっとスケッチブック見せて。

作品とラフスケッチを見比べて言う。

君は何か自分に対して勘違いをしているね。

ラフのほうが現場では使えるものばかり。

作品は全然だめだ。

その辺の絡まりをほどいてから、この仕事にむかってください。

 

目の前真っ暗になって疑問だらけになってとぼとぼ帰る。

すぐに学校の先生から勧められた別の会社を受けることになった。

面接をしてくれた専務は、スケッチブックを見なかった。作品も。

笑顔だけで合格になった。

大きな会社が後ろについているデザイン会社で親は大喜びした。

それでいいかなって思った。

 

笑顔だけで受かった会社でわたしは、なんもしないで

お茶を汲んで、毎晩先輩上司たちと飲みに歩き、

時々、得意先や代理店の人とチークダンスを踊っていた。

ケツ触られたりもした。そんなもんだと思ってた。

 

デザインもやめて医療営業の仕事につき、お金のためだけに4年働いた。

決まった時間に決まった場所にいき、決まったことをして余計なことを言わずに帰る。

帰る道を照らす月を見て、自分は何をしているんだろうって何度も泣いた。

温泉に泊まりに行ったある日、地方営業の歌手のステージが終わったあと、お客さんで歌いたい人いますか?と司会の人がいったので手をあげて一曲歌わせてもらった。

すると「ちょっとこの歌も歌ってみて」「これも歌ってみて」とオーディションのようになり、もしその気があったら、この名刺に連絡をしなさいと言われた。

ちょっと整形はしないといけないけど…会社に話を通すから、と。

また、嬉しい反面怖くなって母に話すと、包丁を持ち出し、「歌手にするぐらいなら、あんたを殺して私も死ぬ」といった。

 

とりあえず苦手な営業職をやめることにした。デザインに戻ることでお茶を濁した。

テレビで吉田美和をよく見かけるようになった。

楽しそうに、心から楽しそうに歌っている姿を見て見てるだけで生き返る思いがした。

 

友達も仕事で悩んでいた。

二人で月に一度は歌いに行くようになった。

その瞬間だけ自分を取り戻す気がした。

でも、彼女が死んでしまった。

 

絵を描くことが大好きだった彼女が絵を描くのをやめて、日常に適応することを選んで数年後だった。わたしも似たようなもので。それでも時々、ふたりで思い切り歌を歌えばなんとか幸せに過ごせた。

 

死に突然向き合うことになってどうしたらいいのか何もわからなくなって、その恐怖を埋めるように、デザインの仕事に没頭しはじめた。

何日も寝ないで仕事した、休みもなく働いた。

仕事してると泣かないで済んだから。考えないで済んだから。

そんな日々を数年続けてある日、家から一歩も出られなくなった。

 

もう頭も心も狂いそうに苦しくて、言葉をブログに書き始めて押しとどめていた表現するという行為に没頭した。

するとそれを目にした映画監督とであう。

 

そのひとは私が、ないことにしようとしていた欠けの側のひとだった。

不思議な人が周りに沢山いた。

その人と関わった短い時間、自分は自分をマイノリティだと思っていたのに

実はマジョリティ側で、少し外れてるだけだと知った。

自分が思ってるより、ささいなことをただ恐れているだけの。

 それまでの人生で会うはずのない人を沢山知った。

コミュニティビジネスで億を稼いでいる人、ヒッピーみたいに暮らしていながら、月200万不労所得がある人、悪名高い宗教に心酔していた人。

ずっこけるほど想定外の人生を歩んでるひとたち。

おっきく欠けながら…おっきく輝いてる人もいた。

漫画に命をかけた人生、映画の配給に人生をかける人、絶命したゲイの作家の人生、その妻…ゲイの人たちの団体生活…

みんなそのままの自分を受け入れて当たり前のように存在してた。

わたしのほうが変わり者のように思えた。

 

どういうわけか、

ラフスケッチの線は生きてるのに、作品はクソだと言われた過去の出来事が何度も思い出されて…

それでも何を問われているのか、どうしてもわからないまま。

「みんなが丸く収まる」

それが自分の安心。

そういう選択をまたしていく。

 

そして今に至るのだけど。

 

欠けを、ないことにして普通に徹した時代。

欠けのほう側で歩かされた時間、

光と闇と思っていたものを一周する羽目になって

全て解決したのかって思っていたら、

次のらせんにまた突入して

 

欠けている自分が発するものが人の役に立ち始め

今度は、人から愛され

嬉しくって嬉しくって

欠けが埋まったように思えるけれど

やり過ぎて疲れ果てて、ふと自分を振り返ると

ぽっかり空いた大きな穴

 

それだけでは限界があることを知り…

そうじゃなくて

 

なんとなく

欠けてるのは自分だけじゃないから

もっとだから、

それを大きなものに使えるように

何ができるのかって

同じことを無意識、意識的にしている人たちと

力を合わせていくことを覚えたりして…

 

それもゴールじゃなくて

きっとこれからも

何度も何度も螺旋は続いていくんだと思うけど

 

なんとなく、

一番最初に軽い気持ちで間違えてしまった選択、

そこに立ち戻りたくて…

二日前、わたしを大切にしてくれる人たちに

バックで踊ってもらいながら歌を歌ってみた

 

そしたら、大きく欠けていたころの自分が

どうしても取り戻せなくて

当たり前だけど…愛されてない、

それを埋めるための歌はもう歌えなくて。

ボイトレもしてないの、まあまあ上手、

そんぐらいの歌しか。

 

ああ、そうかって。

 

 

 

遠い昔に確かに選択を間違えた

18歳から

本当は違うのに、軽い気持ちで、

みんなが丸く収まるってことを

選ぶことのほうが多くて

 

でもそれもわたしの優しさでもあって

いい、悪いってなかったのかもしれない。

親を説得してまで、夢に向かえなかった

自分を許せなかったのが本当で

少しすり替えて、

親の応援がなかったから夢に向かえなかったと

そう思ってると楽だったのかもしれない

 

いつも本当は

自分が許せなかっただけで。

勇気のない自分が

がんばりとおせない自分が。

 

それでもやっぱり、夢って。

本当にかなえたい夢ってとっても怖いから

叶わなかったら本当につらいから

人の応援がなかったら、歩いていけない。

がんばれという声

できるよ

きっと叶うよ

大丈夫だよ

見ているよ

信じてるよ

あなたならできる

力になるよ

そばにいるよ

気持ちは一緒だよ

がんばってくれてありがとう

 

そんな自分以外の背中を押す存在が

いつでも

うなずいてくれる存在がなかったら

到底、あるけない

 

だから

がんばれなかったのも本当だ。

 

 

夢はひとりじゃかなわない

 

 

そんなことを想いながら、

誕生会で応援してくれる人たちを目にしていたら

18歳の誰も応援してくれる人がいなかった

自分が浮かんできて、

たくさんたくさん遠回りをして

50のいま、こうしていて

ああそうか、

わたしは歌手になりたかったわけじゃなくって

あのとき、

鳥肌をたてて見ていたノッコのエネルギーに

いまだ惚れていて、

まだそれに近づこうとがむしゃらに

生きているだけかもしれない、って

そう気づいて

 

アホみたいだけど

 

それに付き合ってくれるみんなへの感謝とか

愛情とかありがたくてたまらなくなって

でも泣かないって決めてたから

絶対泣かなかったけど

 

ひとりぼっちで歩いてきて

ひとりよがりが身に付きすぎて

自分が馬鹿すぎて、今も泣けるけど

 

作品にはなれない人生も

ラフスケッチがイキイキしている人生も

いいも悪いもなくて

もう仕方のない、それが自分で

もうずっとラフ書いてればいんじゃね?

って思った。

 

 

そんなこと思いながら歌った

「maybe tomorrow」だけは

ちょっと魂はいってた…かもしんない。

 

幸せでも、欠けてなくても

歌える歌があるんじゃないだろうか。

あるよね。普通に。

 というか、

幸せになったら表現が終わるって思ってたのかも

とも思い当たって…

つまんなくなるんじゃないかって

満たされて何もしなくなるんじゃないかって

 

だけど、

 

 

でもそうじゃなくて

 

老いても

きっと

伝えられることはあって

衰えていくものがあっても

むしろ

人を幸せにできる

 

欠けていたころの魂の入り方とはまた違った…

なにか

いろんなことへのリスペクトのような

そんなものの存在がきっと

その表現のなかにあるんじゃないかって

あるよね、普通に。

どうしてそれに気付かなかったんだろう。

 

わたしだから、

歌うことはやめないって決めた

 

 

そして

もっと楽しくなっていいと

幸せになっていいのだと

ブレーキをかけていたものを

一つまた外してみることにした

 

 

ラフ書いて

作品作って

ラフをいつも超えられなくても

どっちもやればいいよね

どっちもすごい勢いでやればいつか…

 

それじゃ今までと同じだけどさ

このまんま生きたらすぐ倒れそうだけど

 

それでも

しあわせじゃん

 

 

とりあえず、みんなの意見で決まった

誕生会の日取りの1月4日は

亡き父の誕生日

 

 

父があの世から言ってる気がした。

 

お前はいい加減、気づきなさい。

ずっと愛されているんだよ

ずっと

はじめっから愛されていたんだよ

 

 

そうなのかなあ、お父さん。

きっと、そうなんだろうね。

でもね

どうしてだろう

 

愛されるってずっと怖かったんだよ

 

 

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夏の終わり

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昨日、信金さんと保証協会の方がいらして、

起業してから現在までの流れを報告する時間があって

 

この半年以上、何をやってたの?って見られる怖さから

過剰防衛でお迎えしたわけですが、

なんのことはない

むしろ、困ってることがあったら力になりますよって

そんな面接タイムだった。

 

それでもやっぱり、昨年末に掲げた目標金額に

到達する見込みがあるかと問われ、、

まったく理想には届かない現実。

 

 

 

でも、なんのために、

ライフヒストリースタジオマッシュルームと名付けて、

何をしたかったのか、

今年の前半は何をしていて、これから何をするのか

話しているうちに、よくわかった。

何も形になってないようでいて、

挑戦もたくさんして、自分なりのコンセプトに沿って

動いてきていた、振り返ってみれば。

…自分なりのコンセプト。

それはストーリー。

 

太田分校を太田町から失くさない「太田分校応援プロジェクト」。

トラウトを愛してる人たちに、トラウト愛を届ける別冊本「トラウトステージ」。

まちゃこや、大好きな人達と花ひらこうと始めた「hanaひらく」。

町内の各世代の心のつながりをどうにか繋ぎたかった「さるやまプロジェクト」。

トラコちゃんの写真を、寝たきりの旦那さんに届ける撮影。

高校や中学校吹奏楽部の想いを届ける、ポスター作りや動画制作。

動物愛護の施設作りに尽力したアロマスクール・ルベールさんの想いを届ける動画制作。

娘が通い、わたしの母校でもある小学校の50周年記念誌のレイアウト。

着物アレンジ和~夢の集大成ともいえる、思いの詰まったイベント開催にあたってのリーフレット制作。

ああ、そうだ。二月には秋田の名工のパーティーの裏方もあった。

これからの理容美容業界が少し変わっていくタイミングでの。

そして、歌うことが大好きな、

秋田の短大生シンガーソングライター梨湖ちゃんのCD制作もあった。

ひとりの女性の今までとこれからを描きたい「dress」撮影も。

そして「豆と味噌の学校」。

 

有償無償入り混じって、この8か月も、この先もまだまだ駆け抜けないといけなくて、ちゃんと、やりきれるのか怖くもなる。

 

断り切れなくて手を広げすぎたわけでも

出来ると思って出来てないわけでもなく

(自分のストーリーでないものは淘汰していくけれど)

やらなくてはと必死なわけでもなく

何かから逃れたくてやっているわけでもなく

かといって、

思った通りに、描いたとおりに

結果を得られているわけでもなく。

 

 

では、なぜ。

なんでこうしてるだろうって。

 

そういうラインに乗せられてるからだ、と思う。

見えないそんな流れがあって、

いまはそれをしなくちゃいけないような。

それがどこに通じるのか、何もわかってない。

それでもやらなくてはいけないんだ、それだけはわかってるような。

 

なぜか現れる助け人たち。

日々のスケジュール、組み立てるのが何よりも苦手だったわたしに、手帳術を伝授してくれる先輩や…日々の苦しみ、幸せ、なんでも毎日毎日話せる友達…。どんな撮影でもついていくよって、無償で同伴して機材もってくれる古希の先輩。何があってもイベントを手伝ってくれる仲間たち。そして本当の強さを教えてくれる、不自由な体でいつも愉快に笑ってる友人の存在。

 

ちびこの部活も、ちびこの学校の問題も

地域のボランティアも

大学生の仕送りも…

普通に頭も心も財布も痛いけれど

 

それでも必死ではなく、本気でやれてるのは

本当に本当に幸せなことなんだろう。

 

だけど…

この夏はしんどかった。

 

 

しんどくて一度だけ子供みたいに泣いた。

 

おさななじみと仕事していたら、ふっと子供時代の話になり。

 

 

それは

家の中でわたしが引き受けていたスケープゴートの話で

 

正直、もう何度も何度も乗り越えていたはずの

自分のなかの根深い記憶で

 

 

んがいったものは(あんたみたいな人間は)

クソのあてにもならない。

クソだって肥料になる。

んいがいったもの(あんた)、そのクソ以下だ‼

 

と、閉じ込められる押し入れの記憶と

どんなに許しを乞うても開けてもらえない

誰も助けてくれない

見捨てられる恐怖と無念さと自己価値のなさ

 

暗闇の中で泣き叫んで

泣きつかれて

これが現実なんだ

わたしは

何をどうしても愛されない

と、体に刻んでいく感覚

 

もしもこの襖があいたなら

全力で

お母さんに気に入られるために、嘘をつこう

ごめんなさい、わたしが悪かった

と誓って、

 

そして土下座をしてしまう自分を

心底嫌いになり

 

その怒りは

大人になって、少しずつ癒えるも

いまだ集団のお母さんたちが怖かったり

当時の母によく似た人が

怖くてたまらなかったりする。

 

 

夏休み中の小学校での先生との面談や

遊び相手のいない、ちびこの夏休みの生活

部活の送迎

慣れない久しぶりのお母さんたちとのやり取り

親しい人とのやり取りの中での言葉のすれ違い、

想いのすれ違い、現実のすれ違いや

思うように進まない編集作業、

結果を出せない自分への苛立ち

 

いろいろなことが積み重なって

 

クソの役にも立たない自分が

無力な自分が

そこにいて。

 

 

気づけば、幼馴染の前で弱音を吐いていた。

すると彼女は意外なことを言って

 

あの頃、一恵ちゃんが悪いんじゃないって

思ってた人は案外周りにたくさんいたと思う。

 

 

昔、わたしは恥ずかしかったのだ。

わたしだけ周りの友達の前で辱められ、

しょっちゅう、家の外に出され泣いていたその声を

みんな知っている、でも助けてくれないのは

わたしが悪いからだ…

そう思っていた。

 

だから、不意をくらって

わんわん泣いてしまった。

 

 

昨日今日大人になったわけではないから、

母の当時の気持ちも

もうとっくに理解できるし、

この人はそういう人だってよくわかってる。

飲み込んだつもりだった。

それも、何度も。

 

 

幼馴染は続けた。

 

人とのかかわりって、結局

親子関係が全部影響してるよね。

恋愛でもなんでも人間関係が上手くいかないときは

親とうまくいってない何かがあるから。

 

そう、年末に母と喧嘩して以来

自分のなかで許してない何かがあった。

 

幼馴染の家を出て

少し考えて母を食事に誘った。

娘たち2人とあわせて4人でランチに行くことにした。

 

母はうれしそうだったけど

わたしをいつ怒らせるかと気を遣っていた。

いつもは外食に行っても、

家で食べたほうがマシだったな、

と言うのだけど、さすがにそれは言わなかった。

クルマから降りても

ありがとうって最後まで言わなかった。

 

 

ちびこの夏休みも終わりに近づいて

長女が東京に帰ることになり、

秋田駅に送る道すがら、ちびこの剣道の試合までに休みがあるなら

東京に来い、東京に来い、という。

仕方なくその夜、高速バスにのり東京へ向かう。

行ってみると、朝に弱くて

いつも待ち合わせに遅れるはずの長女が

待ち合わせ場所に早々いて、

ちびことわたしを、自分の連れていきたい場所へ案内し

誰よりも嬉々としている。

その夜、長女はわたしは幸せに暮らしてるよと、

自分の生活を見せてくれ、

バイトも始めたし、仕送りも減らしてくれていい

進路は…就職は来年しないと思う。

でもなんとかやってくから大丈夫、と言われる。

 

普通の親なら

ちゃぶ台ひっくり返していいのかもしれない。

どんだけの学費…お前…

と、5分だけもがいて、わかった。と納得する。

自分の人生、自分で責任取りなさい。

これまで頑張ってきた自分に恥ずかしくないように。

 

帰りの道すがら、ふっと思う。

ものわかりのいい母親づらは、

自分の母への当てつけかもしれないなと。

 

こうでなければ絶対許さない

 

その枠にどうしてもハマり切れずに

悪いことしてないときも

罪悪感の塊として生きてきて

 

それがなかったら、普通に

ちょっと変な女の子でも居場所があったかもしれない

 

 

家にもどこにも居場所がなかった自分は

いま

同じように居場所がない私のような子供やちびこが

生きられる場所を残そうとしたり、

自分なりに創ろうと四苦八苦している。

 

オセロのゲームが黒から白に

なっていく最中なだけ

 

 

 

全部、それでよかったんだ。

わたしのせいではなくて

母のせいでもなくて

 

全部、決まっていたことだったんだ。

 

 

その翌日、ちびこは部活の大会で

疲れた体で試合にのぞみ、

コテンパンに負けたのだけど、

強化チームの練習があって、なぜかその現場を

見せてもらえることになった。

とても短い限られた時間のなかで

強い選手たちが、先生の胸を借りて

掛かり稽古をしてもらっていた。

ものすごい迫力で、先生たちも手加減なし。

その様子を見ていたちびこが、モジモジしはじめる。

目の端でそれをとらえながら、黙って練習を眺めていた。

「お母さん…お母さん」

やっと、ちびこが思いを言葉にし始める。

「お母さん、わたしもやってみたい…」

私を動かせようとするのを無視して、

「自分で先生に頼んでみなさい」

と、心を試す。

しばらく迷っていたちびこが、やっと意を決して先生の所へ行く。

「わたしも入ってもいいですか?」

先生は無言で頷いて、素っ気ない。

正直、一番へたくそなちびこが入ることで

選手のみんなの時間も減ることになる。

それをわかっていて、

それでも自分からその輪の中に飛び込んでいった。

よし、と思った。

とはいえ、先生は思いっきり手加減してくださってた。

そして、

「よく勇気出したな、その気持ち忘れるなよ!」

と最後に声かけてくださって

その瞬間、ちびこは号泣していた。

「ありがとうございました」

と、深深と頭を下げていた。

 

そして、夏休みの宿題は終わってなくて

登校日の朝まで親子で対応に追われ、夏が終わった。

 

 

部活があり、迎えに行く準備をしていると母が来た。

手にハンバーグをもって。

これ作ったから、ちびこに食べさせてあげて、と。

そそくさと手渡して、玄関から出ようとした瞬間、

「こないだはごちそう様。ありがとね」

と言って、去っていった。

 

 

 

長い時間の流れのなかを、いい時も悪い時も

ただ歩いてるだけだ。

いつも、結局そこに落ち着くんだな、

と思いながらクルマに乗ったら、

カーラジオから

加山雄三の「君のために」という曲が流れてきた。

 

父が大好きだった青大将。

ちがう、それ田中邦衛だ。

若大将ね。若大将。

 

いつも風呂でわたしの体を洗いながら歌っていたな。

あ、でもあれは「君といつまでも」か。

その曲じゃないんかーい、と

天にツッコミ入れたくなったけれど

流れてきたその曲は、とても素敵な曲だった。

男の人が出会った女性をとてもまぶしく思い、

心から愛してる歌。

 

 

涙が出てきた。

 

 

わたし、お母さんにそんな風にいて欲しかったんだな。

愛する人の子供を育ててることが

幸せでたまらないって

そんな風に

生きててほしかったんだな

 

そして私自身も誰かから

そんな風に愛されていたいんだ

 

 

たくさん、たくさん飲み込んでもなお

ここまで歩いてきた私に

その資格あるって

思っていいよね

 

自分にそう言い聞かせた。

 

 

2019の夏も終わる。

 

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