149/365 ありがとう

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おじいちゃんが死ぬ瞬間を見てから、

様子が変わってしまったちびこ。

いつも帰宅すると「ただいま~」と叫ぶなり玄関にランドセルを放り出し、

友達たちのところへ走っていたちびこ。

忌引き明けからは、まっすぐおばあちゃんちに向かいます。

仏壇に手を合わせ、おばあちゃんと夕刻まで過ごす。

49日まで故人はあの世への道をひとりで歩いていく。

遺されたひとが故人を、愛をもって思い出すこと、

忘れないことが、逝く道の支えに、供養になると。

幼い心の中にあるなにかを尊いと感じつつ、少し心配も。

まあでも彼女が決めたことだから。

でも日曜日はとても久しぶりに友達がひとりだけ遊びに来てくれて。

仕事も午前中で終わったので、おでかけ行こか!となり。

二人は双子コーデをして、友達のママが同じ髪型にしてくれて、

一緒にご飯食べて、買い物をして、なんでもないことを話し。

そのときお友達がつぶやいて、

「なんか気を使わなくてすむんだよなあ、〇〇といると」

いつも、なんとなくはじかれて帰ってくるのだけど

本当はそうなんだなあ、みんな気を使い合っているんだなあ、

気を使って合わせるということを一切しないからそうなのよなあ、

けど嫌われてるわけではないのよなあ…

なんか「できないこと」がある。

その「できないこと」がなんなのか。

空気を読む、だけでなくて、うまく言葉にできない何か。

なにか「やすやすと明け渡したくない何か」。

それは、普通は明け渡してなんぼの。

 

うまく言えません。

 

それができない自分との泥沼の闘い、

そして「少し違う」自分に対する周囲との闘い、

そのなかで彼女は何を見つけるのか。

手を出して答えを突きつけたい衝動にかられるけれど、

それはしても一切が無駄。

できることはただ一つ。

「見ている」こと。

 

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どこに向かおうが結局ね、ちびこさん、

自分を愛することしかできないんですけどね。

すべての出来事がそこに向かわせる。

 

 

その道のりが素晴らしいのであって、

答えを教えてどうする。

ああ…でも…教えたい。

教える代わりに、わたしがあなたを愛しましょう。

あなたがいやになるほど。

 

 

 

 

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とかいって、愛されてるのはわたしのほうだったりするけど。

その存在に支えられてるのは、わたしのほう。

でもやっぱり、このひと育てるのは結構たいへん。

向こうも、こんなお母さんは結構たいへんって思ってるだろうけど。

でもしょうがない。

せっかく出逢ったんだから。

しょうがない。

ほんとにしょうがないと思っちゃう、相手を照らすこの笑顔。

これをなくさないようにしないと。お互いにね。

 

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間違ったり、思うようにいかなくても毎日毎日、やり直す。

お互いが自分を、相手を、ただただ肯定できる自分になるように。

その肯定課金がなかなかうまくいかないけれど、いいのだ。

わたしは完璧じゃない。

そうそう、完璧であってたまるか!

でこぼこのまんまで、別にいいのだ。

でないと人のでこぼこまで否定し始める。

そんなことはしたくない。

そんなこと毎日するために生まれてきたんじゃないから。

きりたんぽもデコボコのほうが美味しいしね。

 

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なんてことを書いているのは、

きっと今日が満月だからなんでしょうな。

満月はわたしをポエマーにさせるんですよ…。

わたしのせいじゃないんですよ…。

 

 

先月の満月に父は逝って、もう次の満月。

長かったような短かったような。

いろんなことが変わっていきます。

不思議と寂しくはない。

不思議と寂しくはない。

わたしの寂しさは、父が持って行ってくれた。

 

 

ありがとう。

 

これからずっと、満月を見るたび父を思い出すという幸せ。

 

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それで十分。

いろいろダメでも、

一日一度でいいから誰かにありがとうと言えて、

一日一度、誰かからありがとうと言われたら、

それで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

133/365 道と器

歩いて3分もかからない私の実家に、
ちびこは毎日通います。

父が死ぬまではそうでもなかったのだけど、、、、

 

お坊さんが言っていた「道」の話。

死んだ人はお釈迦様の弟子になるのだと。

死んでも修行は続く。現世で終わりではないのだと。

33回忌を迎えるその日まで。

生まれるのも一人、死ぬのも一人。

だからこそ、現世で触れあう人が、

故人を忘れないということが、

あの世で新たな修行をする人にとって支えになるのだと。

 

おりしも映画「リメンバーミー」を観たタイミングで、

おじいちゃんが死んでしまう場面を見たわけですから、

ちびこ、

親が思うよりずっとずっと、いろんな思いをしたのだと思う。

 

毎日毎日、学校が終わると必ず実家によって

手を合わせるのです。

 

ばあちゃんのことも気になってると思う。

祖母から可愛がられて育った長女より、

(私に似たせいか)私の母から怒られることが多かったのに、

毎日毎日、祖母のそばにいます。

もしかしたら無意識にわたしの思いもくんでいるのかもしれず。

 

気づかなければそのままだったけど、

みんな気づいていました。

弟もお嫁ちゃんも。ちびこ、皆勤賞だね、と。

母はきっと気づいてなかったけどね。

 

父の死はみんなをつないでいる。

それが故人の願いだと思いました。

 

「道」と言えば、最近思うのです。

「道」を歩く人生と、「器」である人生のことを。

 

小さいころから、書道や合気道に親しんできたので、

道のことはうっすら感じているつもりです。

が、いかんせん健全な自尊心を育ててこれなかった私は、

道を歩くことが寂しくてたまらない。

かといって資質はないわけではないのです。

きわめてあきらめが悪く、しつこく追い求める。

もう少し育ってきた過程で満たされるものがあれば、

道の方向へギモンなく向かえたでしょうに。

 

根本的に寂しいのです。

でもそれに自分がおぼれることも許せない。

許せないというよりも。

否定形は何も生まないことを知っているから、

違う形で昇華することを選択している。

 

だから「器」であることを模索するのです。

場をつくる。感じたものを形にする。

しかもそこで自分が楽しむのではない。

自分と同じような誰かが、活きる場所を生み出す。

いやもはや、だれかと誰かがつながればそれでいい。

そのことを少しずつ少しずつ、できるようになりたい。

そんな風に歩き出している自分のこと、

いまさらながら気づく。

 

なんて話を、できる相手が一人だけいるのです。

同じ町内の少しだけ年上の女性です。

 

彼女は言いました。

ならばあなたは、

もう少し時間の使い方を覚えなくちゃいけないね。

どうしたらもっと良くなるか、振り返りをしている?

 

器になると決めたなら、

同じことを何度もしないように。

もっともっとたくさんの人を喜ばせられるように。

そのためにできることを私があなたに伝えます。

それによってどんなふうに現実が変わっていくか、

一緒に実験しよう。

まずは手帳術から。

その活用法を徹底的に教えます、と。

今のあなたのままでは、たどり着けない。

体を壊すだけ。

だから「方法」を、「足りてないところ」を教えます、と。

 

おそらくADHDな人間に健常のひとが見るに見かねて。

それでもあなたの持っている何かは、

この世界に絶対に生かしたほうが良い、と。

あなたの在りようは、うらやましいと思う部分がある、と。

 

そうですね、でもわたしにとっても、

のどから手が出るほど欲しかったものをあなたは持っている。

でも、そんな違いも超えて循環する何か。

信頼。

 

 

で。

素粒子ってわかる?と彼女が。

スピリチュアルは一切信じないけど、

魂が素粒子ならば、納得がいく。

そういう意味ではあなたの亡くなったお父さんは

あなたの近くにいて見守っていると思いますよ、と。

あなただけでなく、ご家族みんなのことを。

 

誰に慰めの言葉を言われても、つい冷静にふるまう私も、

いつも厳しい彼女から言われると、遠い目になっちゃう。

 

 

婦人会の総会のあと、お互い5分で家につくのに、

そんな話を3時間弱。

忙しい人なのに時間を割いてくれたことに気づき、

なんだか安心してしまって、

家に帰ると急にコンコンと眠った。

ちびこが帰るまで。

 

 

そして帰ってきたちびこは、また、おばあちゃんちへ。

 

ありがとう。

ちいさな愛の姿が、こんなにも何か支えになるとはね。

 

ちびこさん、

わたしはあなたが好きだよ。

わたし、あなたが好きだ。

 

 

そしてそんな先輩の存在。

彼女の夢がかなうように、

出来る限りのことをしたいと思うのでした。

きっと彼女はそんなこと望んでないと思うのだけど。

それより私の成長を望んでいるのかな。

まずはそこから、だね。

 

なんか変だけど、

わたしの楽しいって切なさが混じっているみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

124/365 満月


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大事な一歩にしようと企画していた29日のイベント。
同じ思いの方々の力を借りて、
ここからをみんなと始めようと迎えた当日。
イベントが始まって15分、電話が鳴り、
父、危篤の知らせ。
全てをよそのママたちに任せて病院へ。
うっかり者の母が
先生の話を勘違いしたんじゃないかと半信半疑。

でも嘘じゃなかった。
一週間で退院できるはずだった父。
体調が急変し、自力呼吸ができない状態に。
この日の午後3時まで元気で、
午後5時6分、家族が見守る中、息を引き取りました。

イベント会場においてきてしまったちびこを
よそのママが病院まで連れてきてくれたり、
途中で任せきりになってしまったイベントも
町内のママたちが仕切ってくれて、無事終わり。
大事な一歩のはずの29日はバタバタと暮れていき、
ふと空を見上げると満月。

去年の暮れ、なんとなく撮っていた父の写真。
抗がん剤治療を一年半、月に二回受け続けても
弱音一つ吐かない父だったけど、
見るに見かねて少し休んだら?と言ったとき、
父が少しホッとしたような顔をして、
んだな…休むかな…と言って。
その休んだ期間、少し元気を取り戻したとき、
父らしい姿を何枚かカメラに収め。
それがこんなに早く役に立ってしまうとは
思いもせず。

ご近所の皆さん、葬儀に参列してくださった方、
斎場の職員の皆さんや別のご来場者さん、
お通夜ではお坊さんが、
父のこの笑顔に父の全てを感じてくださったようで、
娘として誇らしいと思いました。

うちの親戚は賑やかだけが取り柄で、
29日から毎晩大笑いでどんちゃん騒ぎ。
そんな最中、弟がどんどん頼もしく成長し、
お嫁さんも一生懸命頑張っていて、
母もやりきった感じで悔いなく。
娘たちも弔辞を自分の言葉で語り、
愛されていた父の姿が浮き彫りに。
それだけでもう十分。
まあ、寂しさはこの後からでしょうが。


葬式が終わって、飲み会前の料理のさい、
限界を超えた母の言動が怪しくなり、
少し言葉がきつくなってきて。
ここまで頑張った弟夫妻、母を少し休ませようと、
それまでは出しゃばらず控えに徹していたものの、
台所に立って、母に休んだら?と声をかけると、
邪魔なの?とキレ始める。
いつも届かない思いやり。
唖然とし、私も憤然となる。
が、最後まで笑顔でいると決めていたから我慢。


が、その後もジャブを打ってきて、
怒らせよう、怒らせようとする。
なぜなのか?

弟は優しい、なんでもしてくれる。
そんな言葉を親戚に繰り返す。
構ってくれない恋人に拗ねて意地悪するみたいな。
子供時代から、私へのこの行為の意味がわからず
ほんとに不思議でならなかった。
そして傷ついてもいた。


かわし続けても、とうとう最後まで持たず、
みんなが帰る直前に私に爆発してしまった母。
大丈夫?疲れてるんだよ…。
そんな言葉すら、非難と捉え怒り出す。

無言で荷物をまとめて帰宅。
三日三晩、父が寂しくないように
遺体や位牌、遺骨の前で寝た。
母、弟夫妻が少しでも疲れ取れるように。
自室で休めるように。
そうすればまた1日をみんな笑顔で過ごせる。
自分にできることは精一杯やった。
いつもそうだ。
精一杯やったときに限って母がむしり取る。
届かなかった。
もうとっくに丸くなったはずの
インナーチャイルドが大暴れして、
母に愛されてない娘なんて生きてる価値ないよな、
そんな気持ちが渦巻いて泣いた。

が、30分も泣けば終わり。
アダルトチルドレンの自覚はある。
普通に考えれば母は疲れていただけだ。

いっぱいいっぱいな人って、
感情のトリガーを、
1番依存してる人に引かせるじゃない?
全部相手のせいにして、自分の怒りを解放する。
それは健全な愛じゃないけど、
母は無意識で知ってるのだと思った。
自分が何をしても私が母を許すことを。

現場を見ていた友人からメール。
お母さん、あれでスッキリだろうな。
羨ましいと思ったよ。
感情を奥底にしまうことの方が残るもの。

失礼なことしたんじゃないかと、
友人に申し訳なく思った気持ちが救われると同時に、
この50年がギャグに思えて、救われた。
ずっとモヤモヤわからなかったことが
はっきりとわかった。


でも思った。
もうそれは引き受けたくない。
もちろん、母があそこまで追い込まれることは
そんなにあるわけじゃないだろう。
でも、いつか母が病気になった時…。
きっと母の弱さは私に向かうだろう。
その時までにどうにか心を鍛えたい。
どうにか心を拡げたい。
いろんなことを諦めて、
他人のように優しくなりたい。
そうだね、お母さん。
お母さん、そうだよね。
母は私に一番、そう言って欲しいのだ。
心を殺さずにいつか、
それに応えることが…できるといいなと思う。


娘たちが私に、黙ってマッサージしてくれた。
そこには無言の何かがあった。
母を想う気持ちが感じられ、
私からのありがとうも二人にちゃんと伝わる。
母と私にはどうしてそれが生まれないのだろう。


与える一方だけじゃなく、受けとる。
そうすることが、
相手を幸せにすることも確かにあると思った。

イベントを終えた町内のママ仲間から、
いたわりの言葉と一緒に、
申し訳ないけどイベントがとても楽しかったと、
言葉をもらい、嬉しかった。
そのイベントで何をしたかったのかを、
みんなに受け取ってもらえたことがほんとに嬉しかった。
ちびこを病院に送ってきてくれたママ仲間も、
お母さんを若くして亡くしてる。
ちびこを、死に目に合わせてあげたいと思ってくれた彼女の気持ち。
私も受け取った。
彼女の中にある生死と私の中にある生死の接点が繋がって、
言葉にできない何かが循環した。
思えば今回助けてくれた仲間たちはみんな、
身近な誰かを亡くしていた。
黙って差し出してくれたものを私は沢山受け取った気がした。



この3ヶ月、父になかなか会いに行けなかった。
ほんとはそんな自分を
反省したほうがいいのかもしれない。
一緒に暮らした最後の半年、
後半の後半になって母と喧嘩して
父も心を痛めていたはずだ。
でも、時々の送迎ではそんなそぶりも見せず、
冗談ばかり言っていた。
そして、ありがとうを繰り返した。

満月の下、ふと思った。
最近のものすごい勢いの成長は、
父からのエネルギーもあったのではないかと。
病床から私に
自分の命を送ってくれてたんじゃないかと。

尋常じゃない進み方だった。
父の余命宣告を受けてから、
父からもらった命を燃やしたくて、
突っ走ってきたのだ。

私がもっとゆっくりしていれば
こんなに早く死ななかったかもと。

何もかも許した上で
愛されていたんだ、と思った。
そう思うことにした。



何が本当かはわからないけど、
父の遺影写真はいろんな人の心を動かしたようで、
依頼が沢山舞い込んできた。
遺影を見上げると、亡くなった人が笑っている。
一緒に話している気分になる。
大丈夫だよと言われてるような気がする…と。
いままで何をどう売り込んでも頓挫してきたのに、
突然の依頼の嵐。



お前にできることで、世の中で役立ちなさい。
お前ができることで人と人を繋ぎなさい。
でも、少し母のことをわかってあげなさい。
他人には向けられる思いやりを、
母に少しは与えてあげなさい。
俺をきちんと見送ったお母さんの心残りは、
弟もしっかりした今、
お前との心の繋がりだけなのだから。
お前が好きな遺影写真の仕事をあげるから、
お前も少し大人になりなさい。
いなくなっても、
離れていても、俺はお前を応援してるんだよ。



全てを、
父からのサインだと思うことにしました。



今回の満月は、
そんな今までとこれからのマイルストーン

いつだって
次には持って行けない、
手放さなければいけないもの。
別れが遺してくれる何か、志のようなもの。
もしかしたら、
そんな風に生きなくてもいいのかもしれないけど、
それが私の弱さなのか強さなのか知らないけれど、

だから、これからはもう迷うまいと。

103/365 シンクロニシティ

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ある日、ハートを開くと決めて

それからもう3年目になりますか。

いろんなことがありました。

2015まで、心の中に氷山の塊がありました。

が、初めて会った人の何気ない一言。

「もう2人分生きなくていいよ」

身近で死んだ人の分も生きようとして

張り詰めていたのを初対面のその人に見抜かれ、

ずっと誰かに止めて欲しかったと気づき。

以来、溜めていた何かがドーッと溢れ出て行き、

その空きスペースは12年ものの広さ。

開いちゃったハートは、

いろんな出逢いを引き寄せ

佐沢さんという、

相手の流れが見えてしまう友達ができ、

男鹿がゲートだよ。真山に言ってごらんと言い。

そこからが第2章。

YOSHITAKA SUZUKIさんや、

なまはげ郷神楽の小林さん、

三味線の浅野さん、

ギターの本間さんとの五社堂行きがあったり

真山で自然を守るご夫婦に出会ったり

若美のお仕事いただいたりと、

まあ不思議なことが。

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そうこうするうちに、

今度は佐沢さんから年始の唐松神社にお呼ばれ。

気づけば大曲のお仕事が入り、

太田町にご縁ができ。今度は大仙?と。

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何が言いたいかっていうと、

スピリチュアルでお仕事もらえるって

話ではなくてですね。

求心力ってありますよね。

ハートを開き始めた頃は、

それで叶っていくことが沢山あり、

嬉しくて面白くて、

それが全てだと思ったぐらいですが、

ある段階まで来たら違う景色が見えてきた。

というか、私の場合は

それでは立ち行かなくなった。

そのあたりを境に、出会う人が変化し、

なぜかみんな同じことをしてくれるのだ。

おもてなし。感動するほどの。

ご本人たちはそんなつもりじゃなく

誰に対しても当たり前にやってること。

相対したら、

相手の話をちゃんと聞き、自分の言葉も贈る。

わからないことはわからないと言い、

邪推しない。決めつけない。

自分なりの心づくしのお料理。

礼儀は割愛しても、

その人のためにお茶をたて、

同じ時を味わう。

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うーん、うまく言えないけど、

すごく尊敬してる、

お仕事でお世話になっている

吉野さんがおっしゃってたこと。

相手のために本当に的を得た

用途提案が出来れば、

黙っていても選ばれる、と。

それって、主役以上に

その主役のことを知ってないと、

理解しようと思わないと出来ないこと。

別な言葉に言い換えてみるなら、

提案する側に愛がなければ出来ないことだ。

一見、相手が言うことに全て同意する、

本心は違っても共感することだけが

愛のような気もするけど、

もちろんそんなことはなくて。

そうじゃなくて。

何が言いたいか伝わるだろうか。

最近、不思議なことがますます増えて、

真山のご夫婦から、名刺を見せられて、

この青年に会ってみて!と言われ、

会ったこともない人で、

誰ですか?って思ってたら。

勉強会に来れなくなった人の代わりに急遽

佐沢さんが連れてきてくれた方が

その青年で驚愕。

それも何かの縁なので、

町内に働きかけ、

会館でワークショップを開けることに。

町内も五月からの会館の開放日に

何かやってくれる人を探していたそうで、

渡りに船。

他にも不思議案件があって、

真山で偶然ご一緒した本荘の養蜂家の方が、

ミツロウをくださってこれを生かしてくれと。

あなたに授けるから、

私の願いを叶えてくれと。

それでブラブラ太田町で遊んでいたら、

ミツロウを欲しがってる方に会う。

そうやって預かったもの持ち歩いていると

何かしら渡すべき人が来る、不思議さ。

養蜂家さんの望みは

もう1つ違う意味合いのもあると感じてる

子供とお母さんたち喜ばせたいんだ、きっと

それを感じてしまったからには

その望みを叶えることに

これから私は出逢うだろうと思ってる。

まだ何かは知らないけど。

他にも色々とありますが、

なんというか、

何が言いたいかって、最近の自分は

なんとなく心で求めるとうまくいかず、

どれだけそういうものから離れて、

無心で橋渡し役になれるのか、

というお題を持ち歩いてる。

なぜかは知らないが。

場が、人が、

求めてるものがなんなのか

心でキャッチできるか。

相手から好かれるためでもなく、

認められるためでもなく、

自分が満足するためでもなく、

ただただ、

その時々のコンディションに応じ、

どれだけのことがやれるか。

求心ではなく、無心。

全然やれてない現実と向き合いながらも、

自分なりに1つ1つ形に。

目に見えないご依頼が仕事、みたいな。

いやしかし、稼ぐお仕事もがんばらんと

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090/365 マイヒストリー

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3月上旬。

今年、全精力を注ぐつもりだった仕事がなくなりました。

わたしの本職。

人の一生を形あるものに変えて残すこと。

無粋な仕事だとはわかっていますが、

目に見えないままのその人だけのストーリーを、

少しでも本質を感じ取って創り上げること、

そしてお客様が周囲の方々と共有できる形にすること。

遺影写真、部活の記録、古希の記念本、成人式撮影、プロフィールムービー、いろいろあります。

そんななか舞い込んだ、この数年間で一番大きな仕事。言われた通りに本にすれば、数ヶ月分の給料以上支払ってもらえた。なのにどうしても出すべき内容ではない気がして、もっと違う視点で書いて欲しくて何度も話し合いを重ね。

そうこうするうち、その方の意識が変わり、それまでの苦しみを本にするよりも、外に出て学び、人と出会ってみることにすると。もう少し違う視点を持ち、毎日を自分のために過ごしてみたり、忘れ物を探してみると仰って。

それはそれでとてもホッとしたものの、わたしの仕事は消滅。

これでよかった、本当にありがとう。

と、何度も言われたものの、商売気からズレてる自分に激しく落ち込む部分も。何のためにやってるんだか意味がわからん。そんな自分に腹がたつやら。

その案件が消えると同時に、

年始からの忙しさがフッとやみ。

すると、

ソファから立ち上がれない、

ただただ眠い、何も覚えていられない、

怠くてたまらない、

ってな状態になり。

心は元気なのに、体が言うことを聞かない。

燃え尽きただけでもない、あれ更年期かな?と。

とりあえず焦らず騒がず冷静に、

ただやり過ごしてみることに。

雪まつりの打ち上げもメンバーに謝り、延期して。

すると、数日後。

玄関先にプレゼントが。

開けてみると、桜の入浴剤。

そしてリラックス効果のあるアロマスプレー。

短い手紙が添えられていました。

今は人に会う気分じゃないかもしれないから、

黙って置いていくね。

たまには無理せず休んで。

雪まつりのメンバーからでした。

そのメモを見た途端、胸がいっぱいになり。

そんなつもりでなかったのにな。

でもやっぱり、空になっていたのかな。

そんな自分だったら嫌だなとか思いつつ、

ただただ人の心からの思いやりにも打たれ、

ネジが巻かれ。

少しずつ、また動けるように。

その日から毎日、

何かしら人の優しさに触れている。

頑張れよ、まるで励まされてるみたい。

沢に案内してくれた、男鹿のご夫妻。

長女と次女を楽しませてくれて、

それを見て笑ってるわたしの顔が

今年いちばんの宝物だと言ってくれました。

親しい友達たちからも心からの依頼。

そんな風にこころの近くに置いてくれて

感謝しかない。それが次へのヒント。お前は人を感動させることができるのか?と。

まだまだやることは沢山ある。

子供達に教え伝えなきゃいけないことも。

わたし自身も気づいてない力だってあるかもしれない。長いこと人からどう思われるかだけを主軸に生きてきた頃に培えなかった力が。

まだまだ成長できるということを子供達に見せなきゃいけない。お母さん、大して優しい性格でもないし、強くもない、自分勝手な母だけど、あんたたちにそれぐらいしかできないから。

だから、身体も大事に。

まだまだ、これからだ。まだ大事なピース足りてない。多分それは好きってこと。◯◯バカ、そんな風な何か。

069/365 the change of life

https://www.youtube.com/watch?v=ntXwms1YXOs&feature=

最近、社名が長いってんで、

ヒストリー伊藤と呼ばれるようになった伊藤です!

急に遠い目になりますが、むかし

おばあちゃんが紙をめくる時、

指をなめるのが不思議でならなかったのですが。

スーパーで買ったものを入れる際、

ビニール袋が開きやしねえ…。

愕然とするほどに、指に潤いが、ない。

あれですよ、紙一枚まともに持って歩けない。

油断するとヒラヒラ落ちていく。

昔はそんなことなかっただろ?

そんな感じでね。

ここ二週間ですかね。

作業してても30分持たず。

気づけば寝てる。

心は元気なのに、身体が動かない。

考えも整理できない、

やること山積み、

でも焦りすらどこかへ。

自律神経失調症らしいです。

早い話が更年期だしょ。

おお、きたか!

と、むしろ面白がってますが。

どうしたら少しでもシャキッとするのか、

色々と試したんです。

早めに寝る。

これは効果ありました。

が、それでもやはり眠い!

気づけば夕方、ソファで爆睡。

まるで、妊婦の時のようです。

続いてカラオケ。

これは気分はとても良かった。

いつも凹んだ時には有効な手段。

でも、更年期には効かなかった。

では、、と、友達と話す。

普段より人の気持ちがわかり、

深い話もかなりしたのに、

わたしの更年期には効かないよう。

じゃあ、どうしたら?

と、途方にくれて、体に聞いてみたら。

とにかくくたびれた…と。

それで、リンパマッサージのよっちゃん先生の所に行きました。ボロボロなんでお任せコースで。

そしたら脚と胸腺、頭にかけてのマッサージをプラスしてくれて。この歳になると人からいたわりを持って触れられることもないので、かすかに泣けてくる。

なんだかねー。

なんて思ってたら、二重あごが消えていた!

おそるべし、よっちゃん先生!

それで、ちょっとげんきになったら身体が

果物が食べたい…と!

やっとサインが。

それでスーパー走って果物買って、

食べたんです。色とりどりの。

そしたらバーっと世界が変わって行った。

色のない世界が色付きに。

結局、酸化してたんかい!

まあ、そうでしょうねー。

高いからって果物避けてた…貧乏人。

フレッシュにならないとねー!

そしてね、歌うような気持ちで生きたいっすね。

更年期、調べてみたら

the change of life

とも言うらしい。

そう言い始めたの誰なんだろ。

泣ける。素敵(^^)

追伸、

よっちゃん先生のセラピールームは八橋です。

セラピーきららで検索!

056/365 きた道、行く道

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近所のお宅に呼ばれてお邪魔してきました。

車庫の二階に隠れ家みたいなダイニングキッチン。

南に向いた窓が大きくて明るくて、桜の木に止まり木が2つ。

1970年代から続く数十枚の家族写真の年賀状。

壁一面に貼られたそれを一枚一枚、見つめてしまった。

実家に送ってたものを回収してきたの。

そしたらなんとなく飾りたくなって…と奥様。

ちっちゃかった二人のお子さんも、今ではお母さんだったり、都会からかえってこなかったり。

夫婦の間にはいつのまにか犬が二匹になり…そしてその犬も途中でいなくなり…。なんてのを見てた。

珈琲と、奥様お手製の酒粕チーズケーキをご馳走になりながら、旦那様が撮っているお花の写真を拝見した。山でなければ出逢えない花たち。綺麗な力強い黄色の花の写真が目に止まった。これは福寿草ですか?と聞くと、旦那様が嬉しそうに答える。

うん、男鹿の。

男鹿の方から聞いたばかりだった。

昔は沢山あった福寿草が、誰かがゴッソリ取りに来て道の駅で売られているんだと。その男鹿の方のおうちでは、自給自足に近い生活をしていて忙しく、楽しみといえば山の中の花だらけの場所に行くことが、家族の何よりの楽しみだったそう。温泉やレジャーよりもずっと心が満足した、どこもかしこも花だらけの一画。が、そこがいまはつるだらけの雑木林に…、そんな話を聞いたばかりだった。

近所のご夫婦から、また違うアルバムを手渡された。我が家の珍客というタイトル。窓から見える止まり木にやってくる鳥の写真だった。

ウソ、セキレイ、モズ…あとなんだっけな。

思いの外いろんな種類!びっくりした。

この辺にこんなにたくさんの種類の鳥がいるなんて!

そのご夫婦はファミリーサポートに登録していると話してくれた。10年近く、小さなお子さんを預かって、近所のママや子供達と仲良くなってきたんだと話してくれた。そのアルバムも拝見。自分の孫のように嬉しそうに話すお二人。転勤族のお子さんを預かることが多く、もう各地に帰ってしまったお子さんの年賀状や写真をこんな風に大事にしてるなんて。。。

思い出産業の隙間で生きてるわたしにとっては、幸せな出来事だった。

ひとしきりお話しして、新しいお茶を入れてくださったあと、奥様は言った。

わたしはね、そのファミリーサポートでいただいたお金、いつも使えなくてね。長年働いてきたから幸い生活はできているし。だからいつもコレだ!という場所を見つけては寄付してるの。

それでね、今年は雪まつりの資金がないと聞いたから、これをあなたに預けます。その代わりあと数年は頑張って継続して(^^)

渡された封筒には数万円入っていた。

どうしてですか?

と聞くと、

わたしはね、子供の頃学ぶことが好きで、本当なら大学行きたかった。でもうちはそんな余裕なかったし、女だし、当たり前のように就職した。出来ること精一杯やってきたから、幸せなことに特に恨みも後悔もなくてね。だからあしなが育英会とかね、自分じゃなくて誰かが進学する何かの足しになればいいなって思って、子供が巣立ってからはずっと寄付をしてきたの。

そしたらあなたが資金なくてワタワタしてて、そうだ!自分の地元を応援すればいいじゃないって思ったの。子供たちのあの楽しそうな顔、来年も見せて。出来ることなら何でも応援するから。

雪が降りしきる中、何度も頭を下げて帰ってきた。

封筒握りしめて歩いて帰る道々、建て替えのため父と母が我が家で暮らしたこの半年のことを思った。

子供の頃、お前は女でくれてやる娘だからお金は出せない。と言われて育った。弟は長男だからお金をかける。でもお前は人にあげる娘だから。

バイト代でいける専門学校を選び、免許も親と折半、なのに唯一未来に繋げたくて好きだったバンド活動も、連絡の電話を取りつがないなど、忘れていたような恨みが沸いてきて、弱った父と老いて甘えを見せる母に複雑な思いが…。

折しも自分は長女の仕送りや学費を稼ぐのに尋常じゃないほど忙しく、、、自分がきらいになるほど、忘れたはずの何かが蘇り…。苦しかった。

あの頃は大変だったんだ、だからあんたに我慢してもらうしかなかったんだ。わたしだって親にそうされてきたし。でもそのおかげでうちは借金もなく息子も立派になった。と、母。

小学校のとき、内職の刺繍手伝ってた。

中学校は地図の色ぬりのバイト。

高校はパン工場と郵便局。

専門学校はお弁当屋さんと酒屋さんと雑貨屋さん。

それでも母にとっては扱いづらい存在として、家族の中では厄介者扱い。

すれ違うから喧嘩、喧嘩、喧嘩。

でも本当はそんなに悪い子じゃなかったんじゃない?

お母さん。わたしのこと本当に真っ直ぐ見てた?

…なんて。

もう言っても仕方ないことが沸いた。

でも父と母が引っ越して行ったらまた消えた。。。

あったかい新しい家で父と母が暮らせることが有難いと自然に思える自分に。気持ちなんてそんなもんだ。

お母さんがお母さんなりにきた道。

これからわたしが行く道。

違って当然。もう自分の人生は自分で選べるんだよ

自分が経験できなかった可能性を、誰かに贈りたい。

奥様はそう言った。

孤独なお母さんたちのことも、

この町の子どもたちのことも、

今よりは少し環境を豊かにできたらいいね、と。

応援するから一緒にやろうって。

今きてる子どもたちとも野菜作りしてるし、何かしら力になれると思うよ、と。

小さい頃から見たかったのはそれだ。

しみじみと嬉しかったから、なおさら。

一つ一つ形にしていこう。

声かけるのを恐れずに。

自分がやりたいことではなくて、

いま時代が、町が無意識に求めてることを。

奥様の作った干し柿

今まで食べた中で一番美味しかった。