013/365

冬休みも残すところあと一日…。

さて。

宿題どうするのかな、次女よ…

本人の言葉を信じたふりしてきたここ数週間。

お母さんのチェックが入ります。

おお!

おお!

家庭学習、やったやったと言ってたけど

3ページしかやっとらん!

天使の様な笑顔で嘘つけるって、

大したタマだな!おい!

ま、想定内ですが…。

ということで、午後からずっとひたすら勉強してます。

そんな私は、今日の午前は子供会の臨時総会。

役員は終わったものの、なんとなくバックアップ体制で参加しております。要は古いやり方のまま世襲してきたものが立ち行かなくなってきて端境期を迎え…時代に沿って大々的に変革をしようという流れに。やらされてる感でしかなかった活動にイキイキとしたつながりを息吹かせようとしています。そんな空気をなんとか地域に根付かせたいと。

本当のピンチまでには数年余裕があり、実は無関心で通り過ぎることも可能。なのに身を削って声を上げてくれた人がいたのでした。自分も同じ様な危機感を感じていたので、縦の方、つまり町内側に助けを促した矢先、縦の前に横を!と、熱く説得され、感動しました。なぜ自分はそっちは諦めていたのか…結局はまだまだ根強く自分の中にあるママ友恐怖症。横が怖くて逃げてたんですけどもね。

そこから一人二人と仲間が増えて、変革の必要性を感じてる父兄が、子供会世帯数の4分の1まで広がった様な気がします。

気の合う仲間だけで場を共有するわけではないので、いろんな意見や反応があって当たり前。その中で大事な指針を共有し、活動を共にし発言もして責任もとる。その場だけ合わせて共感してるフリではなくて、率直な意見を交わしながら、相手の考えも受け入れて答えを出して行く。

けっこう当たり前のことなのに何故かそんな空気じゃなかったのは何故だろう?自分からもみんなの口からも出てくる、出しゃばったら申し訳ない…という言葉。これ、秋田はものすごく強い意識なのかなあと思います。昔、県外にいた時は通用しなかった。PTAでも仕事でも、みんな意見を積極的に交わして自己アピールバンバン!モジモジしてる私なんかは、完全になめられました。なめられるならまだしも、できるのにやらないという発想自体がない感じで、逆に怒られた。その代わり弱肉強食。だから場が活性化するんだなあと、エネルギーの強さの違いをまざまざと感じました。

話はそれましたが、この数ヶ月、子供会に対して冷めてた人が熱く目覚めて本来を取り戻す姿とか、本当はやりたかったけど仲間がいなかったので我慢してた人がイキイキとしてくる姿とか感動も多いです。いいことばっかりではありませんが、少しずつオセロのコマがひっくり返っていく嬉しい感覚はあります。

一人の力には限界がある。

でも輪が出来れば、一人ぼっちより大きなことが成し遂げられる。

でも一人の呼び声は、確かに誰かに届く。

そんなことを思った今日でした。f:id:life-history-mushroom:20180113181401j:plain

マッシュルーム、いや毒きのこ。

youtu.be

 

皆さん、いろいろと子供時代の記憶っておありでしょうが…わたくしは子供時代を振り返ると、いつも泣いていた記憶ばかり。押し入れの中、小屋の中、布団の中、宿題をひろげた机の上、学校のトイレ…家では怒られ、友達とはケンカばかり。

 

 

なんか最近、仮同居していた父母が去ったら色々思い出していました。

 

長い休みに入ると、田舎のばーちゃんが迎えに来て夜汽車に乗って連れてってくれました。駅前のヨーカドーでほしいもの何でも買っていいよって。だけどばーちゃんに悪くて、一個だけしか選べなかったなあとか。それを手に持って、ばーちゃんと夜汽車で、ビニールみたいな容器に入ったお茶を飲んで、みかん渡されて。ガタゴト揺れながら、ばーちゃんの匂い感じながらウトウト。そんな記憶がありありと浮かんでくる…。

 

いまだに夜の電車を見ると、汽笛が聞こえてくると、はたまた夜の新幹線から見る景色…何か蘇るものがあります。心細いような自由なような、切ない気持ち。

 

ばーちゃんちは、どっぽんトイレで悪臭で、たまにおつりが来たり。それは衝撃で。

でも腕をふるった料理が、とても美味しくて。たまに背中にしょってる、タヌキの毛皮の毛が入っていたけども。そんなの構わないぐらい美味しかった。

シュンシュンなるやかんの音、夏のセミの音、家の前の川の音がうるさくて眠れなかったこと、魚の焼ける匂い、うちでは食べたことのない川魚の味、不便なお風呂、家と違う匂いの布団、カチコチなる柱時計の音、ばーちゃんちの周りの迷路みたいな町内、

お手伝いさんが住んでいた小さな小屋、(知らない男の人が出入りしてた子供にとっては謎の事件)ものだらけのばーちゃんの部屋。

母親が扱い辛くて辟易してる子供なのに、ばーちゃんにとっては、まるごとの存在であることが嬉しくて。どんなわたしでも。ばーちゃんのほうがよっぽど変人で、アリだよ、全然アリ。なにやってもそんな顔して、クシャクシャの笑顔で笑ってくれたもんでした。

 

 

山によく連れていかれ、きのこを採ったのです。突然、目の前でパンツさげて用を足したり、熊がこないように大声で歌ったり、歩くたび、わーっしょって叫んだり、かと思えば、はぐれて姿見えなくなったり。牛のフンを踏んで、ばーちゃんも見えず、途方に暮れてると突然現れておにぎり食うか?と、渡されて。ばーちゃん手汚いよ…でも言えなくて、黙って食べて、でもやっぱり美味しくて。

 

まあ、ばーちゃんが波瀾万丈な人生を送ったのは、子供心にうすうす感じていたのですが、どこか不器用に自分を貫く姿勢に救いを感じていたのは確か。

四角い箱の中に入りきれなかったらそれでいいよ、と。人のこととやかく言うやつがバカなんだ!と言い放ちながら、どこか寂しそうだった姿。

 

 

 

おととし、起業を頑張ってる友達たちに影響され、遠藤貴絵さんから事業のブランディングをしてもらったとき、名前をどうするのかと聞かれ、自分がやりたいこと(個人のヒストリーを映像化、思い出の写真を使った本、遺影写真)の原点ってなんだろうって考えたのでした。そしてたとえば事業をやっていくなかで、踏みこたえなきゃいけないピンチや、思いもよらない辛いことが起きた時も、それを思い出したら乗り越えられるような、そんな自分自身の思い出がつまった名前にしようと、そう考えて。

 

振り返ったらそこには、きのこ。

 

ばーちゃんもわたしも、似ても焼いても食えないよーな、そんなところそっくりで。そうだ、毒キノコの看板しょってこれからは行こう、と。

それがライフヒストリースタジオマッシュルームの由来です。

 

 

 BGMは「あなた」ですが、あんまり関係ないです。

でもいわゆるソウルメイトみたいなものに出会うと救われる思いがするってことかなあ。この曲も。上手に息ができる関係に出会ったとき、魂が生きてくる感じ。 自分がやるべきことを思い出す感じ。そんなことを思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

セルフサティスファクション 007/365

あーきた!

きたよ、これはきた!

ことしのテーマ、なんかモヤモヤカタチにならなかったんですが、ようやく降りてきた!

ことしは!

普通に商売としてプロに徹するものは徹し、

共同作業は調和に徹し、

自分なりを発揮していい場所では これまで以上に遠慮なくだ。

どれかだけを選んで放棄しているようで、

実はどれも手放していないみたいなのはダサいよな。

人のせいにしたり、

八つ当たりもナシね。

自分の問題と他人の問題をごっちゃにするのもナシ。

自由と責任を全うすること。

んだ 。

だから自分の世界では、もう完全に好きにしよう。

変態も変態のまま。

誰かに分かって欲しいとかなしね。

媚びない、

退かない、

省みない!

オーヤマファームさんいいこと言うわー!

50までにはダサいの卒業しよう、

そのためのセルフサティスファクション。

「伊藤!

エースをねらえ!

はーい!

博物館のキノコに誓います!

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006/365

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一昨日の夜から昨日の昼まで、 最終編集をしていた動画。 「ジャーキングスピリット5」 東北のカリスマ釣り師、佐藤偉知郎さんのDVDデス。 今月25日、釣り東北社より発売予定! サクラマスって、そんな簡単には釣れないものなのに、イチローさんの姿みてると簡単そうに見えてしまうのがマジックです。 3河川で六本のサクラマスとやりとりする姿は、 まるで命のダンスのよう。 そんなイメージをラストシーンに込めました。 今年も取材で撮影できて光栄でした! まだ若かったころは偉知郎さんにあってもキンチョーして、目もろくに合わせられず逃げていたけど、今は一期一会だと思って、しっかり目を見つめて何を聞かれてもまっすぐ答えられるようになりました。 どうせ何もかもお見通し。 まっすぐ目を見て、会えて嬉しい気持ちや感謝の思いを無言で伝える。すると偉知郎さんの鋭い目力の奥から、慈愛が溢れてくるのを感じる。 一年に一度会うだけで、自分がちゃんと生きてきたかどうかのバロメーターになる、不思議な時間。 さて。 完パケに向けて、まだまだやることあります! なんとか偉知郎さんを唸らせることが出来るようになりたいっ!

新年4日目

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年末、怒涛の仕事納めと忘年会。
すっかり夜型の不規則な生活になってしまいました。

今日から朝型に切り替えようと思っていたのに、

結局、5時まで眠れず。8時半に目覚めてしまいました。

しばらく寝不足のまま仕事をすると思うけど、

そんなときは免疫力が低下しやすいから、

ショウガ、ネギ、にんにく多めの餃子。

みかんも幾つか食べてビタミン補給。

はちみつとカリンのお茶も。

ルッコラ、クレソンの生野菜も。

 

からだを温めて、お風呂でリラックスして、

美味しいご飯食べて、たくさん寝よう。

元気で、自分の源からあふれ出す蜜のような光で周囲を照らして

自分のなかにある悪も善も超えていこう。

 

仕事も人を愛することにも

いのちを吹き込むような自分であること。

 

そんな約束をして生まれてきたような気がする。

誰かと。

遠い昔。

 

やることはまだまだ沢山ある。

頑張ろう。

一つ一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年最初のお仕事

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life history studio mushroomの伊藤です。

ちょっとだけ自己紹介をします。

 

2006年~2011年まで結婚式のプロフィールムービー制作、披露宴のビデオ編集、結婚式のライブエンドロールの仕事をしていました。

仙台からの依頼がメインだったため、東日本大震災を機に仕事が激減し、2012年からは副業のデザインと釣りの動画編集を秋田で細々とやってきました。

2014年、人の一生を綴る仕事に戻りたいと思い始めました。やはり見えない時間を形にすることが好きだと気付きました。

色んな方の手助けがあって少しずつ仕事が増え、趣味だったカメラも身を助け、遺影写真の依頼もいただくようになりました。自叙伝などの依頼もあります。 部活動の2年半の記録動画などの依頼もいただいています。

 

 

ですが、この仕事だけでは生計を立てられず、ご飯を食べるための仕事と二足のわらじ。

やりたいことを軌道にのせるには種まきも必要で、貧乏暇なし。

おまけに満足しきれない表現欲求…ケーブルテレビの番組制作をボランティアで始めたり。

そんなわけでとても忙しかった2017年。

ボロボロに疲れ果てたところに、現れたお仕事。

2018年の半分以上は、この仕事と取っ組み合いになりそうです。

80代の女性の波瀾万丈な物語。

 

 

頂いた文章をただ文字打ちして校正して写真を撮って本にする。

そんなふうに終わらせず依頼主と対話をしながら、一章一章に光のようなエネルギーを送る。

その結果がどういった形になるのか実験してみようと思う。

彼女の80年の歴史が湖だとしたら、そのなかに深く潜って感じる。

空っぽになってエピソードの一つ一つと、彼女の本質を自分の中に受け入れる。

読む人に彼女の命が伝わるように、出来るだけ正確に捉え形にする。

 

相手の指示が細かいときは、即、機械になりきるようにしているけど、信頼して任されたときは、いつもそうしてるやり方。

それを今回は限界までやってみようと思っています。

 

やりたいことで生活できるようになるのか、二足のわらじでこのままアタフタのままいくのか、その瀬戸際にいる気がする現在、きっと今年は正念場。

 

当たり前のことを当たり前にやりながら、目に見えないエネルギーを注ぐ。

その結果がどんな現実を生むのか。

自分の真心がいかほどなものなのか。

そこへ向かって、そこだけ見つめて歩く一年に。