056/365 きた道、行く道

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近所のお宅に呼ばれてお邪魔してきました。

車庫の二階に隠れ家みたいなダイニングキッチン。

南に向いた窓が大きくて明るくて、桜の木に止まり木が2つ。

1970年代から続く数十枚の家族写真の年賀状。

壁一面に貼られたそれを一枚一枚、見つめてしまった。

実家に送ってたものを回収してきたの。

そしたらなんとなく飾りたくなって…と奥様。

ちっちゃかった二人のお子さんも、今ではお母さんだったり、都会からかえってこなかったり。

夫婦の間にはいつのまにか犬が二匹になり…そしてその犬も途中でいなくなり…。なんてのを見てた。

珈琲と、奥様お手製の酒粕チーズケーキをご馳走になりながら、旦那様が撮っているお花の写真を拝見した。山でなければ出逢えない花たち。綺麗な力強い黄色の花の写真が目に止まった。これは福寿草ですか?と聞くと、旦那様が嬉しそうに答える。

うん、男鹿の。

男鹿の方から聞いたばかりだった。

昔は沢山あった福寿草が、誰かがゴッソリ取りに来て道の駅で売られているんだと。その男鹿の方のおうちでは、自給自足に近い生活をしていて忙しく、楽しみといえば山の中の花だらけの場所に行くことが、家族の何よりの楽しみだったそう。温泉やレジャーよりもずっと心が満足した、どこもかしこも花だらけの一画。が、そこがいまはつるだらけの雑木林に…、そんな話を聞いたばかりだった。

近所のご夫婦から、また違うアルバムを手渡された。我が家の珍客というタイトル。窓から見える止まり木にやってくる鳥の写真だった。

ウソ、セキレイ、モズ…あとなんだっけな。

思いの外いろんな種類!びっくりした。

この辺にこんなにたくさんの種類の鳥がいるなんて!

そのご夫婦はファミリーサポートに登録していると話してくれた。10年近く、小さなお子さんを預かって、近所のママや子供達と仲良くなってきたんだと話してくれた。そのアルバムも拝見。自分の孫のように嬉しそうに話すお二人。転勤族のお子さんを預かることが多く、もう各地に帰ってしまったお子さんの年賀状や写真をこんな風に大事にしてるなんて。。。

思い出産業の隙間で生きてるわたしにとっては、幸せな出来事だった。

ひとしきりお話しして、新しいお茶を入れてくださったあと、奥様は言った。

わたしはね、そのファミリーサポートでいただいたお金、いつも使えなくてね。長年働いてきたから幸い生活はできているし。だからいつもコレだ!という場所を見つけては寄付してるの。

それでね、今年は雪まつりの資金がないと聞いたから、これをあなたに預けます。その代わりあと数年は頑張って継続して(^^)

渡された封筒には数万円入っていた。

どうしてですか?

と聞くと、

わたしはね、子供の頃学ぶことが好きで、本当なら大学行きたかった。でもうちはそんな余裕なかったし、女だし、当たり前のように就職した。出来ること精一杯やってきたから、幸せなことに特に恨みも後悔もなくてね。だからあしなが育英会とかね、自分じゃなくて誰かが進学する何かの足しになればいいなって思って、子供が巣立ってからはずっと寄付をしてきたの。

そしたらあなたが資金なくてワタワタしてて、そうだ!自分の地元を応援すればいいじゃないって思ったの。子供たちのあの楽しそうな顔、来年も見せて。出来ることなら何でも応援するから。

雪が降りしきる中、何度も頭を下げて帰ってきた。

封筒握りしめて歩いて帰る道々、建て替えのため父と母が我が家で暮らしたこの半年のことを思った。

子供の頃、お前は女でくれてやる娘だからお金は出せない。と言われて育った。弟は長男だからお金をかける。でもお前は人にあげる娘だから。

バイト代でいける専門学校を選び、免許も親と折半、なのに唯一未来に繋げたくて好きだったバンド活動も、連絡の電話を取りつがないなど、忘れていたような恨みが沸いてきて、弱った父と老いて甘えを見せる母に複雑な思いが…。

折しも自分は長女の仕送りや学費を稼ぐのに尋常じゃないほど忙しく、、、自分がきらいになるほど、忘れたはずの何かが蘇り…。苦しかった。

あの頃は大変だったんだ、だからあんたに我慢してもらうしかなかったんだ。わたしだって親にそうされてきたし。でもそのおかげでうちは借金もなく息子も立派になった。と、母。

小学校のとき、内職の刺繍手伝ってた。

中学校は地図の色ぬりのバイト。

高校はパン工場と郵便局。

専門学校はお弁当屋さんと酒屋さんと雑貨屋さん。

それでも母にとっては扱いづらい存在として、家族の中では厄介者扱い。

すれ違うから喧嘩、喧嘩、喧嘩。

でも本当はそんなに悪い子じゃなかったんじゃない?

お母さん。わたしのこと本当に真っ直ぐ見てた?

…なんて。

もう言っても仕方ないことが沸いた。

でも父と母が引っ越して行ったらまた消えた。。。

あったかい新しい家で父と母が暮らせることが有難いと自然に思える自分に。気持ちなんてそんなもんだ。

お母さんがお母さんなりにきた道。

これからわたしが行く道。

違って当然。もう自分の人生は自分で選べるんだよ

自分が経験できなかった可能性を、誰かに贈りたい。

奥様はそう言った。

孤独なお母さんたちのことも、

この町の子どもたちのことも、

今よりは少し環境を豊かにできたらいいね、と。

応援するから一緒にやろうって。

今きてる子どもたちとも野菜作りしてるし、何かしら力になれると思うよ、と。

小さい頃から見たかったのはそれだ。

しみじみと嬉しかったから、なおさら。

一つ一つ形にしていこう。

声かけるのを恐れずに。

自分がやりたいことではなくて、

いま時代が、町が無意識に求めてることを。

奥様の作った干し柿

今まで食べた中で一番美味しかった。

053/365 私、お母さんだから。

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雪まつり

 

今年もやるかやらないか迷っていた時、

顔見知りのママが言いました。

「迷惑ってかけちゃいけないもんなのかな?」

 

子供の部活での話で。

 

もちろんウチんちの子が

いつも迷惑かけてるのはわかってる。

だけど、全体的に常につきまとう、

人に迷惑かけちゃいけない!

なにも言われないようにしよう!

誰からも嫌われないようにしよう!

そこだけしかない感じが…苦しい。

だからママ友恐怖症になりそうだった。

でも、この町内の人たちは違うね。。。

 

と。

 

で、雪まつり

 

仕事も詰まっていて、悩み事もあったし、

私も人に迷惑かけるのが怖くて迷ってたし、

やらない理由を探していた。

けど、それを聞いたらそんなわけにはいかなくなった。

 

近所のおばさんが自宅で自死した時、決めたのだった。

誰かが声をかけられる町内になるように、

自分にできること少しでもするんだと。

そして次女のような、

個性豊かな子でも居場所がある町内に。

子供達がいつかどこかに散らばってしまっても、

そのエッセンスだけは覚えていて、

何かの時にその精神が花開くことを願ったのだ。

どこのどいつだった?

やっぱり、やらなきゃ。

 

そこからわずかな日数で、本一冊分入稿と並行して、

いろんな人に相談し、チラシを子供会全戸に手配りし、、、

1人でもやってみせる!と思ったら、

全然できなくて結局、

いろんな人の知恵、助け、アイデア、労力、

お借りしまくりでやっとこさ。

 

なかでも本当に力になってくれたのは、

一番頼みづらい横の世代のママたち。

1人は限界がある。

でも力あわせたらすぐ解決。

ほんとに涙出た。

ありがたかった。

 

長女の時の子育てはさんざんで、ママ友1人もできず。

いや、そんなこと言ったら怒られるかな…

あまりに孤立することが重なったので、

心開かなかったのは私の方で、

中には親しくなろうとしてくれる人もいた。

でも、つるむ人たちを見下すことで自分を保っていた。

 

まず、最初に躓いた。

子供の病室が同じだった方々と、

退院後も交流があったのだけど、

お家に呼ばれた時、私だけが職場復帰していた。

主催の子のおかあさんは本当は働いていたのに、

子供を産んで社に戻ったらリストラされてしまった。

そのことが整理つかなかったんだと思う。

 

わたしは、あなたみたいに働くお母さんより、

毎日子供のそばにいる母親の方が

ずっと子供の為にいいと思う!

わたしの方がずっと子供にとっていい母親だと思う!

やっぱりね。親から離れてると乱暴っていうか。

 

私は私で子供のそばにいたいのに、

生活の為働かざるを得なくて悩んでいたのに、

毎朝、保育園前で私の手を握る長女の手が

緊張なのか?冷たくなるので泣けてくるのに、

パーティ主催のママにはそう見えなかったのだろう。

 

彼女は、よそのママにも同意を求めた。

その姿を見て頭の中が真っ白になって帰ってきた。

残業につぐ残業の日々で、やっと取れた休みだった。

 

 

近所でも似たようなものだった。

毎日、朝から夕方まで一緒に子供を遊ばせてる

ママ達の輪には当然入れず、

たまに早く帰宅して話しかけようとすると

皆んなパーっと散っていく。

それが夕方だからか、自分のせいなのか危ういところ。

だって話が弾んで遅くなることもあるようだから。

 

ある日、

早く家に入って2人で遊ぼうと思い帰宅すると、

おばあちゃんに預けていた長女がまだ友達たちと遊んでいた。

傍らにはそれぞれのお母さんたち。

友達の輪の中に入ってる長女の名を

離れたところから呼んだ。

どうせ風も強くて皆んなもう家に帰り始めてる。

自分が来たからとは、なるべく思わないように、

気にしないように。。。

 

すると1人のママがやってきて叫んだ。

子供がかわいそう!

なんで面倒見てあげないの?

早く帰ってきた日ぐらい、

少しは遊んであげたら????

 

 

その頃、おそらくわたしの知らないところで、

彼女はうちの長女にいつも愛情をくれてたんだと思う。

不憫な子として。

そして長女の中での愛情不足を感じ取ってたんだと思う。

あるいは、いつもお世話になって💦

とか、もっともっと沢山言うべきだったのかも。

でも何も言わせない言い方に

なんとも言えない気持ちになった。

ワタシハアナタヲオカアサントシテミトメナイ!

それが突き刺さった。

ああ、ずっとそう思ってたのか。。。

 

 

朝から晩までクタクタに働き、

それでも1人しか働いてない

あなたのオタクより月収は少なく、

そこまで言われても、

私はどうすればいい?

もう何も出てこない。

カスカスだよ。

 

 

その夜、彼女から電話があった。

人の家のことなのに言いすぎたと彼女は言った。

余計なお世話だった、と。

 

そこじゃないな。と思った。

わたしは言った。

 

こないだ、、

あなたの旦那さんと話した時にこう言ってたよ。

おれは、妻と子供達守る為に

好きでもない仕事を頑張ってるんだ!って。

今の仕事は給料がいいから。

家族のためなら頑張れるって、嬉しそうに言ってたよ。

羨ましいなって思った。

うちは私も頑張らないといけないから、

子供と離れてるの辛いけど、そうするしかないから。

私が楽しそうに見えるかもしれないけど、

あなたが思う通りではない。

仕事だからちゃんとやるしかないだけだよ。

 

彼女は少し黙って、ごめんなさいと言った。 

そこから、彼女と数年話さなかった。

でも会うと彼女の方からきちんと会釈してきた。

心の中で責められて表面はなんでもないふりしてた頃の方が

まだマシな気持ちだった。

わたしはママ友作りを諦めた。

1人でいることに決めた。

 

そこから10年。

今じゃ、次女の周りは働くお母さんだらけ。

時々、そんなお母さん達の本音を聞いたり、

子供さん預かったり。

引きこもりも経て、V字回復のいま。

あの経験は一体なんだったのだろう?と思う時がある。

いや、今も決していいことばかりじゃないけど。

 

 

この10年、人生の横っちょで出逢った

不思議な不思議な人達、優しい人達のおかげで、

友達は作るものではなくて、

その人の本質的なものを自分がちゃんと感じられるか?

だと思うようになった。

仲良しこよしでなくてもいい。

いつも同意見でなくてもいい。

嫌われたからといって、

相手も自分も全てが悪い人でもない。

合う人も合わない人も、

良いところは良いままで。

自分の都合の良いようにジャッジしてる暇があったら、

その分、逆に自分の本質を考える。

どこの部分なら人からの信頼に値するか。

全部は無理でも。

 

私は先に立って何かやるタイプでは決してない。

能力的に無理だ。

ただ消してはいけないものを見つけた時に、

気づかなかったふりはできない。

前はよくしていた。めんどくさいから。

でもそれでよく後悔した。

 

とりあえず動く。

私にはそんぐらいしかできない。

大嫌いな大嫌いな地元だったのに。

でもそこだけ必死にやってたら、

私よりもっと知らんぷりできない人が現れて、

それに触発されて

動かずにはいられない人も出てきて、

楽しみ始める人も出てきて、

救われる人も出てきて。

巻き込んでいるとも言える。

だけど反省はない。

 

みんなが出来ることを持ち寄って、

違うもの同士、場を作っていけたらいい。

そして広がっていけばいい。

みんなも頷いていた。

同じメンバーだけでいつもこうしていくのではなく、

自然に自然に輪が広がっていくように、

もっともっと見事に楽しんでいかなければ。

 

 

雪まつり後の打ち上げで飲みながら、

そんな話をお母さん同士でしていた。

それが何より嬉しかった。

段取りの悪さを反省しなさい、

これから同じこと繰り返すな!と怒られたけど。

それすらも嬉しかった。

もうみんなが来年の話をしているんだもん。

 

長女を産んでから20年間、

母ってなんだと答えを探していた。

が、帰り道、もうそのことは終わった気がした。

 

 

とりあえず人と力を合わせられる人間になる。

ここからは、それが目標。

何かあったら助けられ、助けにゆく、

そんな循環ができる人間になることが目標。

 

私もあなたもそこに居ていいのだと、

思えるような、思わせるような

そんな人間になることが目標。

 

 

045/365 老いとか、遅い気づきとか。

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トラウトステージ、今年で発売して11年です!

つい先ほど全て校了、入稿しました。

年々しんどさが増して行く…

なにせ徹夜ができなくなってきて、

イデアも枯渇…萎える。

…と思っているのは自分だけ。

少し前の自分のレイアウトを見てみたら、

デザインするぞ!って気持ちが前のめり。

自分が何とかしてやる!って気持ちが強かった…

もうへこたれてそんな元気なく、

全体のバランスや担当さんの気持ちに沿って作業してみたら、担当さんの写真がとても生きて見えた!今まで 年下の担当さんのこと信頼してなかったのか、追い越されちゃったのか、大したことない自分に気づきたくなかったのか、自分しか見えてなかったのか。

調和を考えるようになったとも言うか。

 

遅いけど成長したのか。老いなのか。

わかりませんが。

No.11にしてまた新たな一歩です!

 

 

そゆことにしておきます!

それにしても、なんとなく私、

去年まで通ったことが通らない。

私が!ではない。

相手が欲しいものをキチンと提供できる?

そこだけを問われるようになってきた。

その代わりお金や責任もついてきたりも。

だから出来ないことを見極める必要もあったり。

自信ないけど頑張る!挑戦!よりも、

確実に出来ること!あたりまえなんですけどね。

この数年がボーナスタイムだっただけだと思う。

違うシーズンにはいってきたんだなあって

気を引き締めつつ。

 

 

そんな中、最近思っていたのは、、、

自分が起業で突き抜けてないうちに、

同じように苦労してる方に出会い、

手伝いたくなってしまったこと。

気持ちもよくわかるし、

支えあえたらいいと思い、

相談にのり意見を交わし、

自分のことのように考えた。

でもそれは間違いでした。

自分のことから目をそらしてたんでした。

人のことだから怖さがなく口に出せる、

励ませる、アドバイスできる。

でも本当は自分がそれできてない。

それなのに相手をそんな風に仕上げようたって。

 無意識だったけど、誰かにかわりにやってもらって

勇気出そうとしてたのかな。

それだけじゃなく本当に応援してたんだけれど。

でも結局は、自分が経験してないことは

誰にも何も分けてあげられないんだなって、

痛感しました。それは期待になったり、

重いものにもなってしまうと知った。

で、そういう時ってやっぱり上手くいかない。

 

だからね、いま猛烈に頑張っています。

自分がやるということ。経験してないことは

知識があっても差し出さないということ。

その代わりに、本当にそこから脱却して

自分なりの答えを見つけたことに関しては、

自分の経験談としてちゃんと伝える。

でもそれも100あるうちの一つの形でしかないってことも。

 

てな訳で、少しいつもの巣からも離れて勉強中。

かといって孤軍奮闘でもなく、、、

 

17日、町内の大人と子供を結ぶキャンドルナイトをやります。

1回目は何もわからないから無我夢中でやれたけど、

2回目の今回はやるかやらないか、

周囲を考え過ぎてスタードダッシュ遅し。

誰も集まらないかなと覚悟してたけど

結局、思ったよりずっとたくさんの人たちが手を貸してくれた。

去年の今頃を思えば予想もつかなかった

横側の仲間たちとも協力体制を組めて、

本音を吐かせてもらったり、知恵をもらったり。

信じられない流れです。

自分の熱さが空回りしていると思ったら、

もっと熱い人が現れて目が覚めたり、

水かけられて冷え込んだり、

また人から熱をもらったり。

そういう色々こそが幸せなんだと思って。

そうやって向かってることだけで十分なのだと。

私だって誰かのまっすぐな姿に

勇気もらったりするのだから。

 

とりあえず今は己に邁進。

与えられた仕事を、求められてる状態で納品!

とかいって、ほんの少し滲み出ちゃう何かは

一生涯、大事にしたい。

ほんの少しで済むかわからないけど。

お金になる仕事と、そうじゃない仕事を通して

耕されまくりの毎日。

自分の考えだけが正解でないことも、

相手の現状を想像しながら話すということも、

優しいだけがいいということではないことも、

色々、色々と思うようにいかない毎日だけど

たくさん感じながら、

大事なことは忘れないように特訓中。

 

けど17日は暴風雪?

なんとかならないかな。

神様、お願いします!

子供達と笑いたい!

 

 

039/365 恵の子

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台湾で地震がありました。

日本だって火山が、大雪が。

それからタンカーの爆発事故。

種子法。

蜂が全国で死んでいること。

気づいてないだけで加速度上げながら、

世界でいろんなこと起きてるかもね。

 

 

あほな小学3年生だって色々考えてつなげたみたいです。

いただきもののチョコケーキ食べながら、

「お母さん、もしかして地球はもうすぐ終わるの?」と。

いや終わりやしないだろうけど、

生き物は死ぬかもね。

ポールシフトあるし…。

逃げられる人は火星に行くんじゃないの?

 

もしかしてお母さん、無限ループなの?

もしかしてお母さん、またわたしたちは原始時代からやり直しなの?

そしてまた戦争して、原発は爆発して、火山が爆発して…

また原始時代に戻るの?

 

そうかもね。

そうかもねえ…。

そうかもしれないねえ。

 

涙目になって見つめられました。

いや、すんません。

こんな母で。

 

 

いや、わかんないけどね…。

わかんないけどとりあえず出かけるぞ。

 

と、ピアノ行くために車のったら、あほな小学生はもう忘れたようだった。

 

そうさ、忘れてしまいなさい。

 

運転しながら思う。

いつも目の前や自分の周囲のことだけしか見てなくて、

自分について悩んだり、人とのかかわりに悩んだりしてたけど、

ここ数年で視点が変わったのか、

もっと違うものが目に入るようになってきて。

ニュースやSNSのなか、流れる「喜怒哀楽」、

自分に向かってくる出来事もすべて現象。

そんな風に感じるようになって、そこにとどまらなくなった。

それよりも世界がどこかに向かって動いていく感覚。

不思議な仕方なさ。みんなの余裕のなさ。

だからこそ叫ぶ人もいれば、ぬくもりを産もうとする人も。

自分が時代にまったくフィットしてないのも感じる。

コメンテーターたちがいう言葉、風潮が

自分の意見とは正反対のことが増えてきて、

同調圧力のようなものに辟易する。

本当のことよりもっと手前で大騒ぎしているみたいな気持ちがする。

これが加齢なのかな…。

 

 

 

窓の外を珍しく静かに見つめていた小学生、

実は忘れてなかった。

 

「お母さん、生まれ変わったらまた会いたいね」

そうだねえ。

お母さん、今度はあんたの娘がいいなあ。

生まれ変わってもまた一緒にいたいなあ。

どんなに離れても見つけてくださいね。

 

でも、

 

今は、だから精一杯いのちを生きてくれ。

いいことも悪いことも夢中で受け止めて生きてくれ。

喜びも悲しみも怒りも絶望も全部味わってくれ。

きっと愛に続くから。

 

どんな思いも出来事もみんな、恵みなんだ。

 

でも死にたくねーな。

やっぱり死ぬの怖い。

 

そのとき後悔しないように、何を大事にするかだよ。

パソコン、スマホの画面みてばっかりな場合じゃないね。

毎日毎日、やさしい気持ちで生きられたらいい。

すべての時間、すべての景色、すべての出来事、すべての人に

出会ってくれてありがとうという気持ちで生きられたらいい。

わたしもう出家したい。

瀬戸内寂聴に会いたい。

いや岡本太郎に会いたい。

 

なんてね。

 

仕事がんばろ。

がんばるよ。坂本龍一聴きながら。

 

終わったら、子供たちと遊ぼう。

げらげら笑うんだ。

 

 

youtu.be

 

 

036/365 永久平和

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今日は中国残留邦人の支援をなさっている根田さんをインタビュー。

忙しい最中、お時間いただき本当に申し訳なかったです。

ですが、やっぱり撮らせていただいて本当に良かった。

残すべきだと思った。

もちろん根田さんの支援団体「同路人」を通して、

秋田の中国残留孤児の方々が歩んできた道のりや

根田さんの活動をご存知の方は多いと思うけれど、

私たちぐらいの年代はよくわからないかもしれない。

だから、

少なくとも私の知り合いぐらいは見てくれたらいいなと願う。

誰か1人でもいいから、心に何か残ってくれたら。

 

兄弟に売られてしまった人、

集団自決で生き残り売られてしまった人、

殴られて育った人‥

大きくなってからも

中国では日本人とイジメられ、

日本では中国人とイジメられ。

そんな風に

戦争に人生を引き裂かれてしまった人たちが、

目の前で穏やかにお茶を飲んでいる。

沢山の苦労と引き換えに得た慈愛のようなものの気配。

目に見えない何かを赦すことでしかたどり着けなかった境地にいる気配。

 

最初は言葉も通じなくぎこちなかったのに、

何度か顔合わせていくうちにお互い慣れてきて、

先日の太田町の火祭りでは身振り手振りで会話するようになり。

中国語で数字を教えてもらいました。

イーアールサン‥‥なんだっけな、もう忘れてる💦

指の数え方も違うから頭が混乱。

同じ言葉でも音の上げ下げで4パターンの意味になるそうで。

私がたどたどしい発音で繰り返すと

みんなから総ツッコミ入り、

ばっちりだとみんな喜ぶ。

嬉しそうに笑う。

なんだか懐かしくて泣けてきた。

爺ちゃんと婆ちゃん思い出した。

 

辛いことがたくさんあった人生だけど、

今が本当に幸せだと思えるんだそう。

そうなるまで支えてきた根田さんの苦労もはかりしれない。

根田さんの人生にも想いを馳せた1日でした。

 

同行の和〜夢のメンバーも、色んな想いを持ち帰ったようでした。

スムーズな進行に助けられました。

そして根田さん、本当に

ありがとうございました。

 

 

 

035/365 心の灯

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98%レイアウトを任せていただいている別冊トラウトステージという雑誌が、今月25日に発売になります。そのため毎日缶詰状態でにっちもさっちも行かない中、町内プロジェクトのイベントが17日に迫り…しかしまだ告知すらしていない状態。そして着物アレンジ和~夢がケーブルテレビに投稿している番組「わあむちゃんねる」の編集もまだしていない…。そちらも締め切りが15日ころと、いろんなものが2月中旬をめどに渦巻いており…いつもなら過呼吸もの…が、体力が落ち、そんなファイトすらない状態。

伸びきったゴム状態で何も感じなくなってしまっている…💦

わずかなエネルギーを最大利用するためにロー状態で長持ちさせてる感じ。

とても冷静で逆に怖い。。。。

どうあがいても無駄。一つ一つ粛々と…。

 

 

残り40ページを明日明後日で完成させ、7日には雪まつりのチラシを完成させ、町内子供会のおうちに一件一件手配り。

 

チラシ配布は手伝ってくれる人がいないかもしれない…

声かけて断られたら傷つくからもう自分でやっちゃおうかな…というレベル。

それじゃ意味なし…なんですが、みんな本当に忙しそうだよね。

みんな本当に忙しい。だから気が引ける。

普段からも迷惑かけるなとか、迷惑かけないようにしようとか…

子供たちすら言っている。なんとなく寂しい。

 

そしてこんなに切羽詰まっていても手伝って~と甘えられない自分にも疑問。

言えよ、ゆうき出せよ。なんもかわんねーぞ。

 

で。

今日はレイアウトの合間に、近所の中学生が顔出してくれて昼ご飯を一緒に食べ。

元気そうな姿にホッ。

最近調子悪そうだったので、思ったより笑顔で心底ホッ。

真剣な話と、くだらない話して笑って帰っていった。

フッと思い付き、17日手伝ってくんない?と聞いてみたら、いいですよと二つ返事。

ほんとにうれしかった。

で。

前の子供会の仲間にも聞いてみたら「いついうかと思いながら待ってたよ」と返信が。

助けてって言ってもらったほうが助かるんだよ、と。

で。

町内会長も多忙ながら、予算をやりくり検討してくださるとのこと。

で。

ちびこの幼馴染のお父さん一名も、設営手伝ってくれるとのこと。

で。

そして、町内のお母さん2名が読み聞かせをしてくださるとのこと。

 

怖がってないでさっさと動けばよかった~~(´;ω;`)ウッ…

 

 

いろんな人の手を借りながら、

なんのためにそれをやるのか目的だけ見つめて、

とにかくあと2週間をなんとか淡々と乗り切ろう。

 

自分だけじゃないんだよね、きっと。

みんなそれぞれ大変な中、動いてくれてたり、待っていてくれてたり。

手伝いたくても手伝えなかったり、いっぱいいっぱいだったり。

今は自分を大事にしたかったり。

だから、できることでできるだけのことをしよう。

理想はさておき、かかわる方々みんなにとって無理ない範囲でいこう。

 

今日から節入りかあ。今日の流れからすると、

これから次の節までは「無理しない、させない」ってのがテーマみたいだなあ。

自分にもひとにも。

そんなことを思いました。

 

まあでも雪まつりで子供やおじいちゃん、おばあちゃんがにこにこ笑ってくれたら、

本が売れて担当や雑誌社さんがにこにこ笑ってくれたら、

番組を見た、たったひとりの人でいいから演者の行動に何か感銘を受けてくれたら。

それだけで全部報われる。

 

何があってもまごころだけでいられますか?

そんなお試しの2週間。

 

がんばろ。

 

030/365 明日は満月

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明日、満月ですか。

秋田では見えないかもしれないけど、

雲の向こうには、きっと。

こんな感じでいるんでしょう。

今日は、お世話になってる方の手伝いで、

折り紙を沢山おりました。

真心を込めて…と言いたいとこですが、

12時半までにある程度完成させたい、

明日、自分は来れないから2人が大変になる

だとすれば、自分の力量ではこの部分の担当だな、

手が効く人が難しいものをやり、

私はこの土台あたりをかなりの数作れば

全体の作業効率がいいなあ、、、

などと、折り紙を誰のためにどうして作るのか、

全然遠い意識でありました。

人と何かするとき、

そういう冷めてるところがあるなあ。

でも明日、飾り付けする方々は、

幸せな思いを味わうのですよ、

きゃーかわいい!とか言って和気藹々と。

いつも楽しみながら頑張ってきたご褒美。

それが嬉しい私なのでした。

あ、去年、

伊藤さんの書くものは、嘘くさい。綺麗事。

と、言われました。

だろうなあと思いました。

炎上系の人だったので(^^)

何が言いたいのかよくわかりましたが。

なんて答えたんだっけ。

私はロクでもない人間なので、

それは重々わかっているので、

だから自分から出すときにはせめて

一番綺麗なものを差し出したい。

心の中にはそうじゃないものも山のようにあるけど、

書くときは一番綺麗なものを選択する自分でいたい。

それは自由選択ですよね。

とか。

自分をどう見せるか頭を使っていたら

もっとマシにしてるでしょうな。

仕事の宣伝しようと思って書き始めたのに、

全然ビジネスライクになりません。

むしろベクトルは全て逆へ💦💦

ベクトルが逆といえば、、、

目標に向かって夢中に走ってきた間、

周りの友達を相手に仕事する感覚でいたら、

本当のお客様はそこにはいないと気づいた。

私のことを全く知らない人がお客様。

その人に何が提供できるか。

食べるための仕事と同様。

それならもうとっくにやっていた…

自分が輝くためにじゃない、

当たり前にお客様に何ができるか、だった。

私の場合、イマココで、振り出しに戻る。

でも、おなじようでいて出発地点とは全然違う。

何も変わってないようでいて全然違う。

頭でわかってることを経験で裏打ちしていくたび、

出逢いがある。流れが変わる。

自分の中で螺旋を描くように何かが巡る。

テーマはいつもおなじ。

知らなかった自分を知る。

私は何も知らないことを知る。

幼稚な心は他人を見下すことで保たれて、

己から目をそらす。

そんな自分や人の心を知りました。

私は何もわかっていない。

まだまだ何も。

だから身体は疲れていても、心は全然なのだね。

今日何が起きるか、

何も考えてなかった子供の頃みたいです。

二十歳に戻してあげると言われても断る。

子供の頃より今が幸せ。

時々誰かが現れて自分の物語を聞かせてくれる。

私の知らない物語を。

それが私の幸せですなあ。