213/365 「癒し」はじめました。

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今朝5時まで友達とメッセンジャーでやりとり。

なんとなく話し始めたのが前日の11時ころで

気づいたら朝ってどうなの…

 

しかもこの友達とは去年の暮れから、

メール、現実の会話含め

毎日のように話してるのにまだ足りないってか…。

高校時代に戻ったかのようです。

 

性格は正反対。

あちらは、決めるまでが長く長く、

何年間も計画して手順踏んで、

何があってもやり通す。

いろんな人を仲間に入れながらも

最終的にはひとりでやっちゃう。

みんなの面倒も見ながら。

 

対するわたしは、

考えるより直感で決めたことのほうが

結果、当たっていて、

それ知ってるから

動きながら考えていく。

時々凹んで立ち止まりながら、

ひとりでやるつもりが、

最終的には知らぬ間に人を巻き込み、

助けてもらってようやく実現。

 

そんな感じで。

 

でも、回遊魚みたいに

いつも何かしてないと

ダメなところはそっくりで。

 

8か月、ずっと対話してるのに

知らないことが出てきたり、

いまさら腑に落ちることがあって面白い。

 

メッセージの途中で寝落ちして、

そのあと撮影に走る車のなかで、

なぜか、今朝の彼女の余韻と

今までの彼女の発言、

以前までの彼女の姿、

いろいろが繋がって突然、

彼女のこころを体感した気がした。

向かい合って見つめる相手の姿と

隣に座って共に同じ方向見る感覚って

違うでしょう?

 

そんな感じで、

突然、しみてくるものがあって、

それまでは流れなかった涙が流れて、

ああ、ほんとにしんどかっただろうなあって

ただただ、そう思ったら涙止まらなくなった。

でもきっと、また会えば軽口をたたく。

それだけの話だけど。

 

でもお互い、意味があって走っていた日々。

立ち止まって対話する時間が

らしくなくてとまどうけど

どっちが正しいとかなく、

ただただ思うがまま話して、

へえ~と驚いたり、

へえ~と感心したり、

相手の姿勢が、目線が

お互いの気づきになって開放にむかう、、、、

それは

 

癒しだ。

 

 

近所の先輩、石川さんから

宿題が出されてたのを思い出した。

「一恵さんは「癒し」ってなんだと思いますか?

わたしはあなたを癒したい。

それはなぜだか分かりますか?

わたしがあなたを癒せば、

あなたも人を癒せるようになるからですよ。

で、癒しとはなんでしょう?」

 

そういってニコニコ去っていった。

 

一個だけわかりました。

癒しとは開放、、解放?

だめです、石川さん。

まだ、全貌はわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

210/365 祝福の鐘

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ふっと田んぼを見に行ったら。
突然、あふれんばかりの鐘の音。

風上にいると全然聞こえなかった

いくつかの風鈴が

一歩、風下に入った途端

鳴り響いただけのことだったけど、

すごく突然に思えた。

 

祝福の合図。

そう思えた。理由なくそう思えた。

自分以外の人にはなんのこっちゃのことだけど

ここから私の本質の流れが始まるんだと

おなかの底から思えたのでした。

 

そのとき、

人生のパズルは死ぬまで続く。

と、教えてくれた人のことを考えていました。

自分のパズルはもうすぐ終わるけど、

それまで人と人の想いを繋ぐのが

自分の使命だと。

 

その言葉に

言い表しようのない悲しみと

張り裂けそうな孤独

地面が揺れるような感動、

慈しみと尊敬、

自分を問われる思い…とが同時多発して

胸にズシンと響いた。

 

出逢う人はみんな師匠。

小さい子供であっても大人であっても…

そう思ってるけど

 

 

魂の絆を感じる人との出逢いは

そんなに多くはないよね。

 

あたしは…

足下にも及ばないけれど

いまの自分にできることを

精一杯やるしかないと思った。

 

今日は夏祭りでした。

いろんな笑顔に会いました。

いろんな人に助けてもらった。

いろんな人と人が繋がっていって面白かった。

 

 

本当に不思議でした。

無事終わって、本当によかった。

 

 

満月だったから。

ニコニコ誰よりも笑いながら、

心の一番奥の静まったところで思っていた。

満月の夜に逝った父のこと。

同じ時を確かにともに生きてる人のこと。

出逢った人たちのこと。

 

不思議な夜でした…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

184/365 灯篭

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今日は新月でした。
なんだかゼロ地点に戻ったような新月

洪水で濁流にのまれていく人の映像を

見るつもりなく

ネットでふと目にしてしまって、

生きる、死ぬ…の「すれすれ」って無差別で

普段つい忘れてしまう「無常」の存在をこころ新たに。

 

ここのところ、無性に亡くなった父の声が聴きたくて

外付けハードを引っ張り出して探してました。

写真はあるけど動画はあんまりなくて

10年前のがやっと出てきて、

次女の1歳の誕生日で…長女がいまの次女の歳…

お米を背負った次女が2、3歩あるいてひっくり返って

私の母が爆笑し、それを父が笑いをこらえながら諫める。

そして優しく優しく父は次女を抱きしめる。

大事なお人形さんみたいに。

偉かったなあ、ほんと偉かったなあと言いながら。

人見知りが激しかった次女は、

私以外のひとに抱かれるのは苦手だったのに

父の腕の中で穏やかに…そして父を見上げてニッコリ笑った。

 

そんな一瞬の時間。

それを見つめなおすことができたことに

いまはただただ感謝だけど、

いつなんどき自分だって

すべてをもぎ取られる経験をするかわからない。

ある日突然、家も家族もなにもかも失うことだって

ないとは言えないんだから。

写真の1枚さえ残さずに。

 

そしたら逆に…なぜか、

少し、楽になろうって思いました。

楽になろう。

気楽になろう。

お気楽になろう。

 

むしろ。

 

 

この手にギュッと握りしめても、

壊れてしまうもの

変わっていくもの、たくさんあるのなら、

何かを特別にせず、

自分という囲いの中に入れず、

すべての物事と同じ場所で立つ。

そしたら、わたしは世界と共にある。

何とも対比することもなく。

 

 

それすらいつか、全部失うけれど。

でも味わった苦楽はすべて

わたしの魂のなかに刻まれるだろうし。

でもそれも宇宙の塵となって消えるだろうけど。

 

 

今年の夏祭りは、

たくさん灯篭を飾って、

死んだ人にも生きてる人にも

見てほしいっすね。

 

お帰りなさい。

すぐまた行っちゃうけれど。

でも生きてるとか死んでるとか忘れて、
一晩飲み明かしましょう。

 

いろいろあっても、

逢えてよかった。

それだけだよね、本当は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

184/365 ひとつ脱ぐ

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今日、友達に届け物をしようと連絡をしたら

実は入院しているとの返信。

点滴を見上げている写真が送られてきて

驚きました。

同い年の彼女は気丈にふるまい、明るい文面。

でも、不安がにじみ出ている。

が、柔らかい部分にはけして触れさせてはくれません。

思いやれば思いやるほど。

だから、こちらも淡々と返すほかない。

 

いつも自分を後回し。

こどもをきちんと育てること。

仕事を誰よりもきちんとこなすこと。

「負けない」

「人から何も言われたくない」

彼女の背中から、

いつもそんな言葉が聞こえてました。

 

 

それを別に否定するでもなく

肯定するでもなく

彼女はそうなんだなあと、いつも思っていたけれど。

もう一つ思ってた。

「ねばならない」がなかったら、

このひとは本当はどんな女性なんだろう。

 

人を喜ばせることがたぶん好きだよね。

美味しいごはんを人に食べさせることが好きだよね。

そのひとが困らないように

いつも先回りして考えてあげるよね。

弱い人を見てられない。

ちょっと傷つきやすくて、寂しがりで、

たくさん褒められたいところもある。

みんなが円滑に回れるように

そのためなら損をすることもいとわないよね。

ほんとはもっと好きな服着たいよね、おしゃれだもの。

どこか永遠の少女だよね。

そしてちょっと年上の男性に大事に大事に可愛がられ

愛されたいんじゃないかな。

 

何も思うつもりなくても、

感じてしまう何か…

当たってるかどうかもわからない何か。

選ばなかったほうの、何か。

選べなくなってきたほうの、何か。

大人になるって…

 

 

別に何が言いたいわけでもなく、

いろんな想いが湧いても、

その感情には通り過ぎていってもらうしかない。

 

弱いように見える、

柔らかいほうの自分とどう付き合っていくかは

人それぞれ自由だ。

 

いろんな想いは相変わらず湧いて止まらないけれど

わたしは今よりもう一歩、

「ねばならない」を捨て去ろう。

今以上の自由を自分に与えよう。

誰のものでもない、わたしの残りの日々。

今の自分を最高に幸せにしていく。

それしか、できない。

 

いつか彼女から、

本当の言葉が聞けたら、

わたしも本当の言葉を返そう。

 

聞けなくても、言えなくても、

別にそこに何もないわけじゃない。

音のない、贈る言葉を。

 

とにかく元気になるように祈るから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

179/365 笑顔

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大曲農業高校太田分校70周年の試みである

「分校レストラン(中里温泉)」に

なぜかちょっとだけ加わっています。

いよいよ明日は大仙市役所で記者会見、

市長から詳細が発表されます。

ドキドキ!

 

最初の全体会議のときに、みんなで自己紹介。

自分が大好き!な何かを発表してください、と

太田支所の本間さんが。

自転車の練習、ジャズ…みんなが口々に発表していくのを

撮りながら傍観者でいたら突然!

伊藤さんも答えてください!と話を振られ。

不意打ちをくらい、3秒ほど絶句したものの

自分の口から出た言葉は「ああ、そうですねえ…笑顔です」

「笑顔が好きだから、笑顔を撮っています」

と答えていたのでした。

 

えっとね、

ちっさいころ、親がいつもケンカしていて、

たまに父と母が笑ってると嬉しくてですね…

子ども心に震えるほど嬉しかったんですね…

ほんとに泣きたくなるほど嬉しくてですね…

 

いやいや…

そういう悲しすぎるエピソードは言いませんでしたけど。

それはさておき。

 

すっかり忘れて先日、分校の運動会にお邪魔したとき。

一人の女の子が言いました。

「あっ、笑顔が好きなお姉さんだ!」

嬉しかったですね。

嬉しかったです。

そんな些細なこと覚えてくれたなんて!

しかもお姉さん…

まだお姉さんと呼んでくれる人がいた…

(ま、それもさておき)

 

こんなどうでもいい文章にお付き合いいただいて、

ほんと申し訳ない。

でも満月ですから、書いてしまいます。

 

新月から半月、表面でも内側でも

濃い出来事が多かったので、処理が追い付かず

だんだん言葉にできなくなり、シンプルになれず。

今もそう。

でも少しだけ気づいた、ザワザワする日々のなか。

 

映像のプロ中のプロ…

勝手に師匠と思ってる(時々破門されるけど)

ある方の映像を見ていると、

引きの画面でも、とてもきれいで。

アップをきれいにって、なんとなくできるのに、

引きに物語つけるのが苦手で。

何が違うのか、師匠に聞いてみた。

 

すると師匠は。

 

シンメトリーはシンメトリーにとことん拘る。

それから、

カメラで撮らない。目で撮る。

つまり、目線。

 

そっか。

わたしの目が何を見つめているのか、

ただそれがそのまま表れるだけなのか!

 

そう思ったら、なぜかホッとした。

そしてゾクゾクした。

そっか、気づいてなかった。

 

わたしの目線がとらえたものを

画像を見たひとが追体験するのか!(当たり前…)

どんな立ち位置なら新鮮?

人の目線ってどんな位置に自然に感じる?

その人に何を見せたい?

どれだけ届けられるか、揺らせるか、

結局そういう問題。

無意識でしていたことが、意識とつながった瞬間。

(遅い…)

 

自分は、まだまだ曖昧に「きれい」「汚い」を見てる。

もっともっと、ど変態にならないと…

もっともっとふり幅を追い求めていいのだ。

本当に中途半端。

どこまでいっても中途半端。

あ~~~~~~~~~~クソ!

ダメダメな己を知る。

(そしてシンメトリーの件はまだ肌感覚でわかっていない…

つまりアシンメトリーも中途半端ではいけないということか)

 

 でも。

最近如実に自分のことに気が回らなくて、

気づけば白髪頭、ボサボサ頭、眉毛なし

服にご飯粒ついてる…

久しぶりにフレンチ食べたけどボロボロこぼす…

食べ方も忘れてる…

だいじょうぶか?と思いつつ

 

なんとなく自分が小ぎれいになったりして

変にテンション上がると

気づけないのだ、対象や身の周りの微妙な変化に。

だからそれを選ばなくなってて、

忍者のように気配を消したかったりする。

そのエネルギーを違うものに注ぎたかったりして。

裏方へ…

 

だけど、それを本気でやるのなら、

それこそ自分を大事にしないと、

人を満たすことはできないんだって、

近所のイシカワ先輩が言う。

口がすっぱくなるほど言われる。

(口をすっぱくして言うの間違いか?)

 

メンテナンスしてますか

乾いていませんか

枯渇していませんか

徹底的に休んでいますか

休みの日にどうやって自分を楽しませていますか

満たしたいなら、まず満たされることです

 

 

 

本当はもう寝食忘れ、子供も忘れ、寝袋もって

何かに夢中になって、

どこかに行ってしまいたいのを必死で抑えてる。

全力…そのほうが楽だったりする。

悲壮感まるだしでやるだけやりきって、ばったり倒れたい。

 

でも、それじゃダメなんだって。

なんかいろいろ面倒くさいけれど、

 想いがあって、行動があるなら、習慣につなげなければ。

 

が!

自分が何で満たされるのか、

そっからだよ…ひいいいいい

いっぱい背負って追いかけて走って、綱渡りして

限界超える以上に楽しいことが思いつかない…。

 


と思っていたら。

木を削ることに異常に快感を覚えた自分がいました。

(オチはそこかい…)

 

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こんど、お皿つくるんだあ。。。。

 

おしまい。

 

 

嘘です。

今日は、88歳のおばあちゃんの遺影写真のデータ補正。

一人暮らしで離れた場所に住む家族の誰にも言わずに、

ひとり準備した遺影写真。

テーブルに冷やした果物と麦茶、お菓子がたくさん。

食べてね…と、ご用意してくださってた。

きれいにお化粧して、何を着るか何日も考えて、

美容院にもいって、いろんな準備なさってくれていて。

楽しかった…と。

おばあちゃんが亡くなったあと、家族が見つける写真たち。

そのなかに一枚でも

「ああこれはたしかに、おばあちゃんの笑顔だ」

そんなふうにおばあちゃんの本質を映し出せる

人間になれますように。

そしてそして、モヤモヤのなかから生まれた新たな夢。

 

子どもたちの目に、

魔法使いのように映る、人間になれますように。

そんなことを真剣に考える、あほな大人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

174/365 奥羽山脈

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ドローン美女と太田分校へ行く予定だった21日。

雨で、太田一人旅に。

その日は、田んぼの雑草を全校一斉で抜く日で。

 

 

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この直後も結構な雨が。

大きな木の下で雨宿りしながら、

分校が好きかどうか生徒たちに尋ねる。

 

リップサービス半分、でも。

わかる。

ほんとにこの学校が好きだってことが。

 

生徒が少ないけれどその分。

先生の生徒たちへの愛が半端ない。

 

教える、ではなくともにある。

木造校舎のこの空気を一緒に吸い、

季節の移り変わりを共に味わっている。

 

大きな学校では自分の存在を少し見失いがちだったみんなが

ここで必要とされ、力を発揮し、

3年の間に見違えるように育つ。

その姿を見守りながら、

どうか社会を生き抜いていってくれと先生たちは願っている。

そんな祈りが満ちている。

 

 

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学びってなんだろう。

生きる力だと思うんだけれど。

 

 

 

イージスアショアの件で、メディアに出すぎて、

この1週間、悲しく思うことが積み重なり、

意図しないところが使われたり、

予期しない出来事がたくさんあった。

今日も。

もちろん、

それを上回るほどの人のやさしさも多々うけとったし、

それはありがたすぎるほどだし、

自分のなかで別な方向へ燃える部分もあったし、

別に折れたわけじゃない。

どんな経験も基本、ウエルカムで、

清濁併せのんでやるといつも思ってる。

よいことばかりを期待して生きているわけじゃない。

 

でもなんだか思ったんだ。

その日、やるべきことを終えた大仙の図書館で。

ほんの少しだけ放電しながら。

 

子供たちの未来に、ミサイルを残すかわりに。

もう残りの日々は。

その倍にもなるような何か魔法のような希望を。

贖罪といったらおかしな具合になるけれど、

そんな負け試合と最初から決めてたらあれだけど。

 

でも、いつだって今できることをやるしかないでしょう?

 

そんなわたしに、今日も奥羽山脈は。

「いらっしゃい、よく来たね」と。

わたしは今日も笑顔で頑張ったよ…

 

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163/365 雨の大森山

 

 

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頭を整理したくて、入稿の待ち時間を使って

大森山の展望コーナーへ。

見事に何も見えない。

先の見通したたず。

 

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そうそう、そんな気分。

 

 

 

 

そんな今日は夕食時に。

ママ、5年前に戻れたらどうしたい?
と、次女に聞かれて少し考えましたが、ほぼ即答。

「戻りたくない」

どうして?と、ちびこ。

「今のほうが楽しいから」

 

またこの道のりを歩けと言われたら死んじまう。

 

「わたしはね、昔に戻れたら

3.11に戻って 福島の人に言うの。

地震が来るから、 原発が爆発するから

逃げてください!」

 

…と、次女は続けた。

さようですか…。

でもさあ、次女さん。

きっと誰も信じないだろうなあ…。

 

 

 

そういえば最近お母さんから 「ママ」に戻ったね。

まあ19の娘もいまだに「ママ」なんだから。

いいよ。

あんた、まだ甘えてていいよ。

 

先週は5月からの次女の異変に

自分側で決着をつけて

担任の先生や、ママ友たちと本音の会話をし、

負担だったことをやめて、

漠然としてたことに線引きをし。

そしたらピタッと原因がやんだ。

もたもたと動かないから、

いつも向こうからやってくることになる。

わたしが変わるまで。

 

誰が悪いって結局自分がわるいのだ。

目の前に起きることは全部、

自分が作っている現実。

つまり自分で変えられるってこと。

 

落ち着いてしまえば、

次女の元気ない姿に、

自分の昔を重ねていたのでは?と。

もしわたしにそんな傷がなかったら、

笑い飛ばしてあげられるぐらい小さいことだった?

なんだかそんな気もしてきた。

傷おそるべし。

 

 

 

そんな折、若い友人から久しぶりにメールが。

とっても柔らかい部分で対話して、

いじめを受けた過去から現在…

その過去からつながる今の活動を聞く。

 

 

わたしも死んだ友人のことを心に背負って、

友達の分も生きようと12年、

気張って歩いてきた歴史があり。

出逢った初対面のひとが突然

「二人分生きなくていいよ」って。

なんとなく今はその人がそう言った気持ちがわかる。

 

たぶんとても難しくて簡単なことなんだけど、

過去から連綿と続く自分を

持ち歩かないで生きてもいいのだ。

そういう自由もあるような気がしてきた。

 

忘れるわけでもない。

成長しないわけでもない。

でも、

ただただ今日生まれて今日死ぬ。

毎日生まれ変わる。

うまくいく日も行かない日も。

ただそれを繰り返して、ひとつひとつ精一杯。

結果はどうあれ。

動機が純粋なら理由なんていらなくて…

そしたらなんだか軽くなって、

執着も自己否定も自己欺瞞も、

誰かとの比較もなくなっていき、

あるのはただ「いま」だけ。

そんなことを考える。

 

きっと、年をとって

背負うことにつかれたのかも。

もう血が通わない枝葉を切り落とし、

全体を生かすしかないって、

木を見て思った。

手放したらそのスペースに風が吹くことも

新しい何かがやってくることも知っている。

覚悟できるかどうかは別として。

 

そんなわたしの今日は、

毎月の締め切りをようやくクリア。

でも新しいお仕事が待っていて、

明日から始まるけどいまは考えず。

このひととき、

友達からもらった純米吟醸を飲みながら、

ちょっとホッとしている。

 

今年ももう折り返し地点。

夏至までに、2018の後半の自分が

これだけはやろうと思うことを「覚悟」しよう。

まだカスミがかかってるけど。

表面ではやらねばならぬことを全うしながら決めよう。

 

 

そして決めたならあとはまっすぐ。

 まっすぐ…

まっすぐになろう。

まっすぐでありたい。